筆跡と同じように、人の指先には人格や人生、価値観、美意識が映し出される。

細く長い、きれいな指先がみせるその人の価値観。

きっと、きれいな人生を送ってきてるんだろう。

その指先に触れてみたい。
上手く話しを伝えることができないってことはよくある話。
上手く話せないのは、自分自身が上手く理解できていないんだと最近思う。

完璧に、細かいところまで正確に自分のなかで咀嚼されたものは、
人に説明するときにも、自分が理解した過程にそって、
理解しやすい順序に乗っ取って話すことができる。

『自分は分かっているんだけど、上手く話せない』 というよりかは、
自分自身の理解が浅いことのほうがはるかに多いように思う。


伝達の精度は、自分自身が持つ情報の精細さによる。
言いたいことの整理は、自分自身への問いかけからはじまる。



価値を数値で表すには金が万国共通のものさしになっている。
わかりやすいんだろうな。
ものを作るうえでも、金という基準は外すことができない。
ものの価値が金額にあうか。
自分が働いて稼いだ金をつぎ込むのに値するのかどうか。
働いて稼いだ金は自分自身の時間そのものだ。
自分自身の時間は人生そのものだ。
自分の人生をより豊かにするのは、金ではなくものだ。
ものを手に入れるには、金が必要だ。




豊かな人生って、なんだろう?
収入と支出が上手くバランスしていれば、
金額の大小ではないともいえる。
スローライフなんて言葉もある。
だけど、今のこの時代に金がなくて豊かさを感じることができるだろうか?
無理だ。


自分の人生を費やす仕事に生きがいを感じて、
収入以上に、仕事を楽しむことができれば、
それは自分にとって大きな付加価値だ。




仕事を楽しめるかどうかが、
自分の人生を豊かにすることができるかどうかにつながると思う。




第6感を信じるかどうか。
不安や疑念というのは、根拠のあるものだけど、
全く根拠のない、予想外の感情が生まれるものなんだろうか?

長年の無意識に近い記憶が第6感の源泉じゃないかな。


効率化という手抜きの落とし穴に落ちるのをどこまで防げるのか?

標準、基準からはずれた条件をどこまで想定できるのか?

”備えあれば憂い無し”というが、
どこまで保険をかけておけるのだろう。
金も時間も人間も能力も限られている。
ギリギリのリソースの中では、
組織としての判断で動くことがMUSTだ。


自分の意見を持たないということではない。
自分の考えを組織に納得させて、 組織に”行うかどうか”を判断させる。



リスク回避というより、リスクを集団で背負うこと。それが組織である意義だと思う。
城が左手に見えているって・・・・
大きく広げた地図上で、城が左手に見えるのは、
城を大きく取り囲む環状道路だ。
直進しているように感じたが、実際は大きなRを走っているのか。

城に向かっているはず、
直進しているから、あの城への一本道だろう、
という二つの思い込みが・・・・
自分の思い込みか。


まぁ、良く見れば、この道路沿いは観光用と思える街並みや街路樹が続いている。
これが、この町でのスタンダードな観光コースの一つなのか・・・・

はじめに運転手が行ってたのは、
城に行くのか、城を中心とした観光コースに行くのかってことだったのか。

まぁ、これはこれでいいけど・・・・・

俺は運転手に改めて地図上の城を指差した。
今度は直線的に。


運転手はまた、ニヤリとして頷いた。
今度は通じたんだろうか。




【 あ と が き 】
これは、2つの主題があって、

一つは、
初めて、一人でフランスでタクシーに乗ったときに、、
いくら行っても、同じような景色が続いて、
どこに自分がいるのか分からなくなった体験。

もう一つは、
間違った認識、解釈をしているのに、、
自分的に納得してしまっているせいで、なかなか間違いに気づけないという落とし穴。


まぁ、運転手が行き先がはっきりしないまま、
車をだすことはよっぽどないが・・・


人を疑う前に、まず自分を疑えってことだな。




日本とは違い、
視界の先には地平線が見える。
流れる景色を見ていると、
左手に遠く、城が見えてきた。
ここから、あそこまでどのくらいかかるのか?
距離感がいまいち掴めない。


目標が見えたことで、やれやれと少し安心したのもつかの間、
『ん??』俺はなんか妙な気がしてきた。
なんか近づいてないような気がする。
車は直進し続けている。
左手に見えるあの城に近づいてないような・・・
気のせいなんだろうか?
地図を見ると、城への道は一本道。
変な気がしたが、やはり気のせいか・・・・

この疑念は30分後に確信に変わった。
確実に城に近づいていない。
同じ距離感のまま車が直進を続けるなんてことがあるのか??
自分の動機が異常に高まるのをとめられない。
俺は、落ち着きを取り戻そうと大きく地図を広げてみた。


あっ、
えつ、
『そっ、そういうこと・・・なのか?』


大型連休というわけで、俺はとある国にやってきた。
中世からの街並みが守られている。人々もわが国と違って、のんびりした様子に見える。
困ったことは、英語が通じないってこと。
基本的に言葉が全く通じない。
いざとなれば、身振り手振りでなんとかなるという安直な考えで、
特別な準備もしていない。

今回の旅の目玉は王城の観光だ。
そこに行くために、タクシーを拾って乗りこんだ。
俺は運転手に地図を差し出し、王城を指差した。
運転手はなにやら、俺に言いたげだ。
運賃のことか?それとも、休憩中だから後にしてくれっって言ってるのか?
とにかく、車を出そうとせずに、不明な言葉でまくし立てている。
俺は何度も地図上の城をグルグルと指差した。
すると、運転手は急に笑顔になって車を出した。

タクシーの中で、俺はどこか違うところに行ったらどうしようか、と少し不安になったが、
車は速度を上げていく。



EVER ONWARD-レスエレメント



レスエレメントデザイン

”サステイナブル”

持続可能なという意味でこの数年頻繁に使われていたが、

リーマンショック以来、見なくなった。



持続可能かどうかというのは、そもそもどういう視点で見ていたのだろう?

この10年ほどの景気の波に乗って、

このまま行けちゃう的なサステイナブルだったのか?

景気である以上、必ず波はある。

20年、30年というスパンでみれば、必ず落ちる時があるはずで、

”100年に一度”  なんて言葉は、

逆にこの景気の浮沈の確率について甘く考えすぎている。


金は天下の回りものである以上、

誰かが儲ける  ⇒  誰かが金を払っている

この原理原則に立ち返れば、リスクを回避し続けることなんてありえないはずだ。


リスクを回避するにあたって、確率を上げるための金融工学なんてマジックに

みんなはめられたんだ。


確かに効果があるはずなんだろう、理論上は・・・・・

机上の空論というか、確率の悪いものは全部別の人に、

リスクが高くても構わないって人に頼めばいいって考えたんだろうけど。

いかんせん、その上澄みを得るための母数がでかすぎた。

現実に破たんした場合に受けきれるサイズを遥かに超えていることに、

誰もが目をそらしたことに問題がある。


リーマンショックの事実をギリギリまで伏せ続けて、

なんとか回避する手段を模索し続け、

眠れぬ日々を過ごした人がいるはずだ。

彼らはきっと、人生の頂点とどん底を両方見たに違いない。





そんな金融業界の人たちの話は置いといて、

100年というスパンで見れば、世界は持続的な成長をしてきている。

100年前の生活なんて、すでにテレビの中だ。

進化、成長を続けた歴史の積み上げが、現在であることは間違ない事実だ。

100年、1000年というスパンでみれば、サステイナブルという言葉が言えそうだ。


波に耐えるには、マスやスパンをできるだけ大きくとる必要がある。

金融も物理も似たところがある。

金融工学の出発点でもあるんだろうけど、

統計学、数学との決定的な違いは、金融には人の思惑が入り込んでしまうことだろう。



思惑と純粋な確率には共通点はない。