酒場人生覚え書き -4ページ目

続・続 人間機雷 350

第六章 夢幻泡影
三 歳月 
3 国士への道 3 (11)


反共思想・軍閥構想に凝り固まっていた龍王寺義嗣は、関東連合をも防共勢力の一翼を担わせるために、特別相談役として名を連ねていたが、その彼に最高顧問として祭り上げられたのが、日本に蔓延し始めた赤化思想を、亡国の痲薬だと危惧していた山野井元陸軍中将である。
彼は尾島の話を聴きおえると、いずこかに電話を入れ終わると「君の友人の会社にとって風向きが変わるといいんだが、まあ2・3日様子をみてみることだね」と言った。
「しかし、君の友人・・・・大森組の石森さんは“何とかして欲しい”と頼みに来たんじゃないんだよな。だけど君は困り果てた同期の学友のために、彼には内緒で下げたくもない頭を下げ、ワシのところに相談に来たわけだ。いいねえ、軍人の友情はそうでなくちゃならん。これから小津組を背負っていくうえで、様々な難問にもぶち当たろうが、その辺りの呼吸・・・・軍人魂をもって正々堂々と闊歩していってくれたまえ。いずれ関東連合の至宝と言われる存在になるだろうよ。それからもうひとつこの社会のことには詳しくないが、老婆心ながら言うと、頼み事には義理が生じる。受けた恩義は必ず返すのが鉄則だ。ワシだから良いが、誰かまわず相談事や頼み事は慎んだ方が良いと思う。とんでもない義理返しを言われることもあり、それでも果たさなければないのが、任侠道の辛いところだな。まあ君のことだから心配はしないが、時折感じる純粋さが気になってな。純粋さなんてものいつまでも纏っていたら、生き馬の目を抜く様な世界でもあるわけだから、生きてはいけんぞ・・・・」

 


 

70歳に近い山野井敏一は終始、愛息語りかける慈父のような言葉で諭してくれた。

石森が緊張の面持ちで、再度訪ねてきたのは翌々日の事だった。
きけばこれまで何やかやと邪魔をして、あわよくば大森組が請け負った大工事を横取りせんとしていた、競合する建設会社の社長自らが、平身低頭で謝りに来たというのである。
これに驚いたのは大森組の社長や重役の面々で、まるで狐につつまれたように感じたらしい。詳細を聞いてもこれまでのことを謝るばかりで、なにひとつ弁明しなかったという。
「まさかと思うが、貴様がなにか手を打ってくれたわけじゃあるまいな」
「違うなあ。畑違いのことに口をはさむほど、オレも暇じゃないよ」
「それにしても不思議だ。オレが貴様の所で愚痴をこぼしたすぐあとのことだから、もしやと思って訪ねてきたんだ」
「そんなことよりさっさと会社に戻って、その難工事とやらを一日も早く完成させるべく頑張れよ」
「いやね、社長も急転直下の好転が不思議で仕方ないらしく、主たる者にその原因を探らせているんだよ。相手側の雰囲気では、なにかしら途轍もなく強力な圧力で、競合社の邪心を叩きつぶしたらしいということだ。それを知ることによって、姑息にも後日の役に立てようとでも思ってのことじゃないか。だからその正体が分かったら、相当額の謝礼を払うつもりで、予をも組んだらしいということだ」
「まあ、そんなことを言っているようじゃ、貴様の業界の近代化もまだまだ先のことだな」
「しつこいようだが、本当に貴様がどこかに働きかけてのことではないんだな」
「当たり前だ。もしそうなら実はかくかくしかじかでと、その謝礼いとやらを戴くさ」
「分かった。そこまで言うのなら信じよう」
と石森はいいつつもなお釈然としない面持ちで帰った。
昭和31年の11月のことであった。
 
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続・続 人間機雷 349

第六章 夢幻泡影
三 歳月 
3 国士への道 3(10)


「新設道路の用地買収は、公共事業施行者が執り行うのだけど、外部秘であったはずの計画が担当官庁から、悪徳政治家がらみでうちと競合していた建設会社側にもれてしまったのだよ。そこに絡んできたのが貴様の前で悪いが、暴力団がらみの建設業者だったから始末が悪い。工事予定地の重要地点を、虫食いのように買い占めてしまったから、事業計画は頓挫してしまった。この買い占め資金を出していたのが準大手と言われてる競合するゼネコンだった。そこの社長とは旧知の間だけに、我が社の社長の怒りたる手もつけられんほどなんだよ。このまま買収できずに長期にわたって事業が滞れば、ウチは辞退しそのゼネコンに巨額工事が舞いこむことになる。そうなればこれまで営々と築きあげてきた大森組の信頼は地に落ちてしまうことになる。表からは見えないそんな裏事情を抱えているんだ」

 


 

「うちらの世界でも土木・建設食い込んでいると言うよりは、その建設現場の人集め仕事から、徐々に勢力を伸ばし、はてには建築会社の看板を上げている組も沢山あるって聞いた。貴様の所でも現場で働く人足が集まらなきゃあ、どんな工事でも出来ないわけだから、そういうことを専業とするところに頼るわけだろ。人足集めなんかは本当にヤクザ仕事だよ。だから何々建設って表看板を掲げているところが、直接そんな仕事をするわけはない。よしんばその領域に手を出したところで、海千山千の荒くれ者の多い連中が素直に言うことを聞くわけがないだろ。連中には連中のプライドみたいなものがあるだろうし、生っ白い社員様が怒鳴ろうが蹴っ飛ばそうが、素直に従うことはあるまい。そうなればそれを受けてくれる強面の連中が必要となってくるわけだ。いわば分業だな」
「そのとおりだ。俺の所だけではなく大手の元請は職人の直接雇用はしない。元請としては監理が仕事だから、実際に作業をするのは職人たちだ。そこで人材斡旋を業とする者に頼まざるを得ない。人材斡旋業と言えば聞こえはいいが、一昔前で言うならば手配師だよ。こういった連中の多くは、顧客から人集めを請け負い、自らは労働や作業をすることなく、必要な人夫を手配し、その賃金から何割かをピンハネして利益を得るというからくりだ」
「その道の先駆者というか、江戸時代に人夫口入業を営んだのが、侠客の元祖ともいわれる随院長兵衛と言う人物だ。武家の出身で,江戸浅草花川戸に住み,町奴の頭領で、対立していた旗本奴の親玉、水野十郎左衛門と争い謀殺されたんだが、これは歌舞伎や講談に脚色され有名だが、これこそいわば俺たちの生業の産みの親なんだな。それから年月を経て様々な形に変化していったが、いまの世の中で手配師になるような連中は、ほとんどが、酒とバクチと女と喧嘩とによって、仁義や任侠を売りものにするヤクザだ。一緒くたにしたくはないが、大部分が無知で、低劣で、その日暮らしのなかで飯を食っているような輩が多い。こういった連中は任侠道もへったくれもないんだろうな」
「幡随院長兵衛が出てくるとは思わなかったが、尾島のいまの世界と、俺のいまの世界の腐れ縁にはそんな繋がりがあったんだなあ・・・・」

その日、石森重郎は住む世界は違うが、精一杯の健闘をしようと約して帰って行った。
しかし、その後の尾島の動きは素早かった。
跡目を継いだばかりの身であれば、裏社会が絡んでる石森の悩みは荷の重すぎる難問であり、その解決策の道をつけようと、小津組が属する関東連合の最高顧問である山野井敏一に相談することにした。
山野井は元陸軍中将であったことから、六代目襲名後に挨拶に行った尾島が、軍人出身であることを知り、陸海軍の違いこそあれ親近感を持ち「不慣れな稼業で大変だろうが、なにか相談事があったら、遠慮せずに訪ねてきたまえ」とまで言ってくれたのである。
それに小津組は古くから浅草神明会・新門一家・三蓋松等とともに関東連合の幹事として名を連ねていたから、代は変わっても相変わらずの付き合いを受けたこともあった。
昭和30年11月に、自由党と日本民主党の保守政党が合同して“自由民主党”を結成したときの軍資金を提供したのが、防共の為の勢力拡大のため多くの任侠団体を束ねてもいた龍王寺義嗣であり、その資金の出所は彼の機関が上海で管理してきた旧海軍の在留資産の一部である。

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続・続 人間機雷 348

第六章 夢幻泡影
三 歳月 
3 国士への道 3 (9)
 

襲名式から半年ほど経ったときに、尾島義雄のところに同期の親友である石森重郎が『夢染会』有志の小津組六代目襲名の祝賀金を届けに来た。
「これまで一度も欠席したことがない貴様が顔を見せないんで、みんな心配していたんだぞ。なんといっても弱肉強食の社会で命を張っての稼業なんだろうから、何かあったんじゃないかと、誰もが気遣ったんだ。後になってすべての事情が分かり、ホッとしながらもこれからの生き様についてもまた心配の種が生じたが、貴様の武運長久を祈りつつ由緒ある家門の後継者となった祝儀を届けようということになってな、オレがその役をかってでたわけだ」
「ありがとう。今となっては住む世界もまったく違っちまったオレに、そこまでしてくれるとはついぞ思っていなかった。正直いって涙が出るほど嬉しいよ」
「おいおい、頭を上げてくれ。そんな他人行儀の挨拶をされたんじゃ、返す言葉もないじゃないか。会の連中もくれぐれも宜敷とのことだが、貴様のことだけは俺たちにはサッパリ分からない世界だけに気になるらしい。こんな言葉がふさわしいかどうか分からんが自重して小津組の隆盛を極めてくれよ」

 


 

「俺はなあ、死んじまった先代の小津政吉に惚れ込んで少しばかり助けてやろうかという
軽い気持ちで、この世界に飛び込んだ。右も左も分からない極道という世界にな・・・・人間の屑どもの寄せ集めだとばかり思っていたこの世界にダヨ。ところが飛び込んでみて分かったことだが、半端者でも無知蒙昧の輩でも、日々親分や兄貴分からぶちのめされながら、厳しくしつけられ、神道にもとづいた精神をたたき込まれ、代紋を守るために文字通り命がけで頑張っている姿を見ているうちに、敗戦後忘れられてしまった日本人の精神を、脈々と受け継いでいると感じるようになった。日本という国を死守しようと、学び心身を鍛錬してきた俺たちの過ぎ去った世界に近いものを感じたんだよ。だからこんな裏街道を歩くような世界に飛び込んだばかりか、その親玉におさまっても悔いることはない。『夢染会』の連中にも俺のいまの気持ちをそう伝えてくれよ」
「わかった。尾島がいまの世界に不退転の決意で臨んでいることを聞いたら安心するだろうし、羨ましく思う者もいるかも知れんな。貴様が死守する代紋を、旭日旗に置き換えたら俺たちが海軍魂で、死守しようとしていた世界に酷似しているものな」
「おいおい、そんな大仰なことをいうな。だけどかって三国人と呼ばれていた者達から、“日本国民は三等国民”と蔑まれる無様な国になってもなお、誰もが命がけで守ろうとするものがあるはずだ。それが裏社会の虫けらのでしかない俺の場合は、浅草に根を張る小津組の代紋だというとさ」
「たしかにナ。オレの場合はさしずめ大森組だな」
「大森組と小津組なんて言うとなんか妙な具合だな。かたや日本の骨格を作る建築業界屈指の大会社で、かたや社会の鼻つまみ者の腐れ集団だものな。まあ、オレのことはともかく新天地の居心地はどうだい」
「悪くはないさ。元来オレは適応能力に優れていたからなあ。それなりに重宝されているよ」
「それは良かった。順風満帆ってわけだ」
「イヤそうでもない。貴様だから愚痴らせてもらうが、いまうちの会社は難問を抱えていてな、興廃の岐路に立っているのだよ」
聞いてくれるか・・・・と石森重郎は大森組が受注した名神高速道路の工事に際して、サヤ取りを目論む用地買収に闇資金が動き、容易に進展せず、一時は契約を放棄しなければならない寸前まで追い詰められた事などを話した。

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続・続 人間機雷 347

第六章 夢幻泡影
三 歳月 
3 国士への道 3 (9)


大森組の中堅管理職までになった、石森重郎の悩みはそこにもあった。
大森組のみならず建築業界の近代化を目指している彼が第一の目標に掲げたのが 『偏狭な因習にとらわれた親分子分の仁義道』であり、裏社会が暗躍する『数段階にも分れる不合理な下請制度』だったからである。
不動産業と建設業を中心に、表向きには暴力団と無関係な企業を元構成員等に経営させ、その収益から暴力団に資金を提供させる動きが強まり、そのような暴力団関係企業は、金融機関から多額の融資を受け、不動産業では“地上げ”や“土地転がし”を行うとともに、建設業ではリゾート、ゴルフ場等の開発工事に介入し、巨額の資金獲得をしていた。
大森組が受注した名神高速道路の京都市の伏見工区をはじめ、多くの場所でサヤ取りを目論む用地買収にそれらの闇資金が動き、一時は契約を放棄しなければならない寸前まで追い詰められた。
その後押しをしていたのが、競合していた某ゼネコンであることが判明したのである。

 


 

おまけにそのゼネコンの社長と大森組の社長は旧知の仲であっただけに、怒髪天を衝く形相で“なにがなんでもやり遂げろ”と取締役会で吠えたという。普段は温厚な社長の豹変ぶりに居並ぶ取締役らは震え上がった。

新設道路の用地買収は、起業者である国、地方公共団体などの公共事業施行者が執り行うのだが、名神高速道路の場合その計画が担当官庁から、政治家がらみで外部にもれ、事前に該当用地の買い占めに奔ったのが、関西で一大勢力を張る暴力団の建設関係を取り仕切る企業舎弟であり、それを取り込んでいたのが前述のゼネコンだった。
買収できずに事業がストップするようなことになったら、大森組の浮沈に関わる不祥事となるが、競合ゼネコンにとってはこのうえない巨額工事が舞いこむことになるのだ。
この難問をいとも簡単に氷解させたのが、石森重郎から愚痴話を聞いた尾島義夫だった。

海軍士官学校66期卒業生の親睦会『夢染会』は、毎年“旧海軍記念日”⒌月27日に定例会を催し、靖国神社参拝のあと親睦会をもつのが定まりだった。
海軍記念日は日露戦争で、日本海軍がバルチック艦隊を迎え撃ち、これを撃滅した日本海海戦の勝利を、日本国民が祝う記念日であったが、太平洋戦争に敗れた昭和20年を最後に廃止されたが、海軍出身者にとってはいまでも特別の日であることから定めた集まりである。
尾島義雄が昭和31年のその会に出席できなかったのは、前月に小津組組長の小津政吉が浅草妙清寺で殺害され、その葬儀やら後始末で忙殺されていたからである。
それに続いて親分不在になってしまった小津組を、存続させるために政吉五代目襲名の時の特別相談役だった新門一家六代目杉林任三郎と、神明会七代目総長小金井肇から、尾島が六代目襲名を半ば押しつけられ、その襲名式や披露宴といっそうの忙殺の日々を過ごさざるを得なかったからである。
尾島は小津政吉が亡くなった時点で、すべての後始末をつけたらこの渡世から足を洗うつもりでいたのだが、初代小津政右衛門から二代小津政之助、三代若尾健一、四代根津恭一郎と百年近くも続いた名跡を、途絶えさせてはなるまいと身体を張った、五代目小津政吉の再興への執念を思うときに、渡世上ではあっても兄弟契りをした身にとって、相談役からの話を無下にすることは出来なかったし、いまだに判明しない政吉殺害の犯人への復讐心が背中を押したからである。

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続・続 人間機雷 346

第六章 夢幻泡影
三 歳月 
3 国士への道 3 (8)


この時期の交通網の整備は著しかった。なかでも最も注目されたのが東海道新幹線と名神高速道路の開通である。
昭和34年5月に東京オリンピックの開催地として決定すると、交通網の整備や競技施設が必要となり、東海道新幹線や首都高速道路などのインフラや国立競技場、日本武道館などの競技施設が整備され建設需要が高まったのである。
第二次世界大戦で敗戦したものの、その後急速な復活を遂げた日本が、再び国際社会の中心に復帰するシンボル的な意味を持つ、大事なターニングポイントだっただけに国を挙げての総力戦でとなった。
東海道新幹線は、計画最高速度200㎞/hという世界最高時速、道路との完全立体交差化、ATCなどの装置をはじめ数々の画期的手段が採用されたが、東京オリンピックに間に合うよう工事が開始され、計画どおり昭和39年(1964)10月に開通したのであった。

 


 

また名神高速道路は、自動車時代を迎えたわが国が長距離・高速輸送を目的として実現した最初の自動車専用高速道路であった。
その工事に当たって、延長約170㎞に及んだ橋梁・高架橋では徹底した標準化で大幅な工期短縮を実現し、またトンネル施工では鋼アーチ支保工と機械化施工法を組み合わせ、能率化した工法を全面的に採用して、総延長515㎞の工事を34年着工後わずか5年の短工期で完成した。
また電力、水資源開発などの要請を受け、空前の“ダムブーム”が到来したのも、この昭和30年代である。施工技術においても、土工重機械の導入により革命的ともいえる進歩がみられ、またダムコンクリート技術も著しく進展している。

そのような状況下で、大森組の工事受注量は年ごとに増え続け、大手ゼネコンとしての基盤を築きあげたのもこの頃である。
ちなみに東海道新幹線の工事では、神奈川県の二宮付近路盤、静岡県の黄瀬川橋梁のほか東京駅高架橋、大垣東路盤、沼津付近路盤、新大阪駅高架橋などを受注し、名神高速道路では京都市の伏見工区をはじめ米原関ケ原舗装など、東海道新幹線関係工事の当時の受注総額は101億3,000万円、名神高速道路での受注総額も100億円近くに達した。

がしかし、巨額の金が動く時、そこに群がる裏社会の魔手は執拗をきわめた。
それは因習の中で熟成された巧妙さのなかで、表面化することなく深部に浸透していくのである。
暴力団の資金獲得活動の悪質さは度を増し、あらゆる企業ばかりか国民全体が暴力団の資金獲得活動の対象となり、“堅気には迷惑をかけない”などといった言葉が完全に有名無実化していた。
暴力団は、組織的に行使する暴力とその威力を最大限利用しつつ、取り締まられる危険性の少ない領域を探し当て、より大きな資金を獲得することを企図しており、経済社会の変化に対応して、その資金獲得活動の態様を変化させつつあった。
経済社会の一角に入り込み、必ずしも被害者を特定することができないような不透明な資金獲得活動を行う傾向が顕著になり、暴力団による企業活動を仮装・悪用した資金獲得活動が頻繁に観られるようになった。
その好例が神戸を本拠地とする山口組である。
幹部を港湾荷役、土木建築等の各種事業に関与させるなど、安定した資金源として企業活動を利用しており、昭和30年代には、山口組に限らず、暴力団の幹部や構成員が自ら又は親族の名義で興行、建設業、金融業等の企業活動に進出する動きが多くみられるようになった。こうした暴力団の幹部等が実質的に深く関与する暴力団関係企業は、企業活動を仮装しつつ、その背後で脅迫等を行っていた。

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劫火の果て⑦

(五) しんちゃん地蔵
 

 しんちゃん地蔵
影絵のような幼い日の思い出だけを、探しに来たわけではない。
心の奥底で思い出したくないと蓋をした筈の地獄の残像が、その重い蓋をこじ開けるようにして湧出し、それが夢遊病者を誘うように此処を訪ねさせた。
わずか五歳で、はからずもみた地獄図は朧々とした絵空事から、いま目前で繰り広げられた現実のように、色彩も音響も匂いも痛みすらも伴って、二十歳になった男の網膜と脳裏を埋め尽くし、やがてしんちゃんの面影と共に心の奥底に深く刻み込まれた。
人生が点と点を結んだ一本線であるなら、しんちゃんこそがその起点であり、己の人生に対して思索を始めた青年期という点に直結し、以来、今に至るまで魂の中の伏流水のように流れ続けてきたのだ。

 

また地蔵絵を描き上げた・・・・どの顔も『しんちゃん』に似ている。
わずか七歳で生涯を終えた、しんちゃんは、今でも私を見守るガキ大将のままだ。
私は、『しんちゃん』の分まで生きてきたのだろうか。
私は、『しんちゃん』に恥ずかしくない生き方をしてきたのだろうか。
『しんちゃん』は「よく頑張ってきたな」とほめてくれるのだろうか、それとも「相変わらず、泣き虫ノボちゃんのままだね」と笑うのだろうか。
瞬く間に過ぎ去っていった六十余年の歳月は一人を老人に変え、一人を七歳の少年のまま置き去りにしたが、『しんちゃん』が「ノボちゃんの人生、苦しかった?楽しかった?」と、あの真っ黒に日焼けした顔で私の眼をのぞき込みながら尋ねてくる時、私は五歳の子供に戻ってしまったかのように答える言葉を失う。
いくら探し続けてもまだ見つからない、『しんちゃん』への答えの代わりに、私は地蔵絵を描き続ける。

 


その顔はいつも穏やかに笑っているのに、心の中では泣き、怒り、悲しんでいる自分がそこにいる。
『しんちゃん』のような悲惨な死に様をする子供が、この国で二度とあってはならないと思う一念から、俺たちが阻止しなければ誰がするんだと、六十年安保闘争の国会周辺デモにも加わったけど、象に挑む蟻のような闘いに敗れ、無力感のなかで、しんちゃんに何一つ誇れなくなった。
『しんちゃん』のような子供たちといつも一緒に過ごしたいと思ったから、小学校の先生になったのに、理想と現実の狭間で負け犬のように尻尾を巻いて逃げ出してしまった。
そして彷徨い出た実社会の濁流に揉まれ魂を汚し、時に冥府魔道に迷い、煩悩の怨炎に身を焦がし、傍若無人にも生き、人の裏切りを知りそして人を裏切ってきた。
だけど今になって考えれば、難行苦行のような人生の中で迷い、悩み、苦しみながらも、生きると言うことがこれほど贅沢なことだとは思っても見なかった。

人がそれを止めてしまう時、それは死んだ時なのだから
                   ・・・・『しんちゃん』にはそれすらない。
人としてもの心がつきはじめた五歳の頃が、自分の人生の出発点だったと言えるけど、それは余りにも悲惨な世態の中での起点であった。
だからそこで会った『しんちゃん』は、自分の人生を振り返るたびに思い起こさずにはいられないし、魂の奥底にはいつも、『しんちゃん』が居てくれた。
難関にぶち当たると心のどこかで、『しんちゃん』に語りかけていたような気がするが、それは矢張り魂の根底にいてくれた父母兄弟親友のそれとは全く異質なものだったと思う。


諦観することが定めのような歳まで生きてきたけれど、未だ『しんちゃん』の魂魄にすがっている自分がそこにいる。
『しんちゃん』の命が消え、焼き焦げた一肉塊になってしまったのを見届けた朝、焼き尽くされた人家の灰燼に混じり、飴細工のように曲がった色とりどりのガラス類が、陽光を浴びて宝石のようにキラキラと輝いていた。
それを両手いっぱいに拾い集め
「しんちゃん。これはお花、これはお馬、これはお星さんだよ」
と言いながら、枕元に飾り並べたあの時から、なにも変わっていない自分がそこにいる。
ただ人間の命というものが、余りにも儚く限るあるものだと言うことを『しんちゃん』は身をもって教えてくれた。
だから精一杯懸命に生きてこられたのかもしれない。
それなのに泥沼でもがき続けるような人生の中で、知らず知らずに魂を見失い、永いこと『しんちゃん』の面影すら忘れていた。
ごめんな『しんちゃん』
『しんちゃん』と再びザリガニ捕りやホタル狩りが出来るのは、私の命の炎をが消えてからだけど、それがいつになるのかは神様だけが知っている事。
だけどその日がくるまで一日も永く、子供のような純な心で、精一杯生きていくことが『しんちゃん』にたいして出来る最良の供養だと想っている。
『しんちゃん』に似ている地蔵絵を描き上げるたびに、人生という旅路を歩く途中で汚濁してしまった心が少しずつ洗い流されていくような気がして、今日もまた筆をとらずにはいられない。 

 

全てを破滅する壊劫の終末に起こり、世界を焼き尽くし新たな世界が出現する劫火であったはずなのに、愚かな人類は欲望と汚濁に満ちた虚構の世界を築き、 またしても 劫火の中に身を没しようとしている                                                                                                                                   完

 

 

 

 

劫火の果て⑥

(四)送り火


  1 15年後
 それから十五年後の夏、山梨大学空手道場での夏期合宿を終えた帰り道、幼い頃過ごした愛宕町のことがフト思い出され、かすかな記憶をたどりながら我が家の跡を探した。
愛宕町そのものがガリバー旅行記の街並みのように小さく感じたのは、子供の目で見ていた昔日と今との錯覚からだったろう。
大きく、広く、立派に見えた鉄の橋が、こんなに小さく狭く、みすぼらしい橋になってしまっている。
見覚えのある天神の小さな社が昔日のまま、橋のふもとに見いだせなかったら見まちがえていたに違いない。
街を横切って流れる富士川の将軍橋と三念坂橋の中間に掛かる、名前もない鉄の橋のまんなかで、子供の頃そうしたように坂の上の榎の大木を探してみたが、その姿があろうはずもない。
ただあの時、炎も上げず透き通ったように真っ赤に燃えた榎が、怒り狂った不動明王のように太い腕を天に向けて突き上げ、足を踏ん張って立ち続けていた情景がありありと思い出され、いっしゅん身震いに似た衝動が心の中を駆け抜けた。


眺め下ろした我が家の辺りには、軒を寄せ合って家々がひしめき建ち、あまりの変わりように親しみも懐かしさも湧いてこない。
立ち寄ったその街は、通りすがりの旅人が抱く少しばかりの感傷をも、他人の顔で拒絶しているかのようだった。
のろのろと後ずさりをするように天神さんまで戻り、真似事のように手を合わせ、立ち去ろうとした時である、“どうしなすった?”と、天神社前の家のうす暗い玄関に腰掛けた老婆が、ジッと見つめながら声をかけてきた。
「別にどうってこと無いですけど」
悪いところを見つかった子供のように、しどろもどろと答えた。
「さっきから橋の上に立って居なさったみたいだったし、気になってねぇ」
「いやぁ、昔この辺りに住んでいたものですから、懐かしくて来たんですよ」
「昔?昔っていつ頃だい」
その老婆の連れ合いとおぼしき痩せこけた老人が、家の奥から顔を出して尋ねた。
足が不自由の様子だった。
「終戦前です。空襲で焼け出され田舎に引っ込んだんですよ」
「どの辺りに住んでいたの」
「ちょうどあの橋の中程から見下ろす、向こう岸あたりです」
ちびた草履をひっかけ家を出てきた老夫婦は、私の指さす方を見やった。
「あの辺りは石原さんの家があったところだが。すると、あんたは石原さんトコの子かい?!」
それまで無表情だった二人が、突然と生気を吹き込まれたように強い口調で言った。
「そうです、石原です。四男の登です」
頭の先から全身までしげしげと眺め、身を寄せてきた。
「本当に、のぼるちゃん・・・・お母さんは元気なの?お父さんやみんなは」
胸の辺りまでしかない小柄な老婆は、目に涙を浮かべ、口元をわななかせ、撫でるように私の手を取った。
「大きくなったわねえ、そう言われれば子供の頃の面影はあるし、お父さんにそっくり」
老夫婦は戸惑う私の手を取ると家の中に引っ張った。
他に同居する人もいないのだろう、その薄暗い小さな家からは生彩というものが感じられなかった。
                                        
その老夫妻は、戦前からこの場所に住み、隣組ということもあって私の家とも懇意にしていたらしかった。
あの空襲では延焼を免れ、九死に一生を得て生き延びたが、少年航空兵に志願した長男は『立派にお国のために戦って戦死しました』と戦死公報は届いたものの、一片の遺骨すらこの家に戻ってこないという。
今はこうして二人だけで余生を送り、万が一にも少年航空兵だった息子がどこかで生きていら、必ずこの家を目指して帰ってくると考え続けての歳月でもあったという。
それに親子三人で空襲下を逃げまどう間に、はぐれた次男は焼け野原を三日三晩探し続けてもその亡骸さえ見つからず、その子の供養のためにもこの家を離れる気になれなかった。だから誰一人として昔の知人が住まなくなってしまったこの町に、こうして今も住んでいると時には涙を流して話し続けた。
もしかしたら目の前にひょっこりと、“今、帰ってきました”と二人の息子が姿を現すのを、長いあいだ待ち続けた老夫婦は、私を帰らぬ我が子の代わりとして、見ていたのかもしれない。


いつしか戸外の夕闇が家の中まで流れ込んでいた。
なにも無いが夕食を一緒に、と、ひき留められたが、とてもその気になれず家の者が心配しますからと断った。
「息子が帰ってきたような気がしてねぇ。あんまり遅くなると親御さんも心配するだろうし、おじいさん心残りだけど仕方ないねぇ。学校の帰りにでもまた寄って下さいよ」
「のぼるさんにこうして会えたのも何かの縁だ。どうだろう、せめて送り火を一緒にしてもらえまいか」旧盆の最後の日だった。

 

 

真菰に包んだ盆の供物を抱えた二人の後に着いて、橋の下に降り川岸に行った。
夕暮れ迫る川端のあちこちに、家々で焚く淋しげに美しい送り火が川面に映る。
暗くなるにつれて数は増え、その幽玄さに言い難い衝動を感じた。
それは、時には恐怖におののきながら眺めた焼夷弾の炎となって映り、また、この川で生命を失った人々の怨念の炎となって胸中をかけめぐった。
このうちの小さな炎の一つは、あのしんちゃんの魂の炎でもあろう。
私にとっては見覚えすらない老夫婦であったが、川面に浮かんでは消える、しんちゃんの笑顔と断末魔の顔によって呪縛され、去りがたい情念に囚われるまま、小さな背中の二人と並び手を合わせ祈り続けた。
「ケンちゃん、トモちゃん、また来年のお盆さんに待っているからね」
チロチロと燃える送り火に照らし出された、しわ深い頬には涙が流れ光っていた。
“しんちゃん安らかに・・・・”川面を流れていく精霊舟の余りにもか細い灯に向かって心の中で呟いた。
何故か腹の底から悲しみが湧き、口惜しさが溢れ、こみ上げる嗚咽をのどでぐっとかみ殺した。
ひとつ、またひとつと送り火も消え、川杭にひっかかった精霊舟の灯も消え果て、辺りに闇と静寂だけが残る頃、その老夫婦に別れを告げ帰途についた。
ふと、坂の上の榎の辺りを振り返った。
愛宕山のシルエットだけが、星空の中に押しつけられていた。
もう此処には来たくない。
何故かそう思った。
                                                                                                                                        続



 

劫火の果て⑤

(三)地獄図


1 焼け跡
すべてが焼き尽くされていた。そこここの見覚えのある石垣や燃え残った門柱がなければ、ここが山懐の緑に包まれた、静かで平和だった自分たちの町だとは信じられなかった。
愛宕山の麓まで、なんの遮るものもなく見渡せるし、複葉練習機の赤とんぼが飛んできた方向には、黒い巨大な円筒形をしたガスタンクや、遠くの市街地に見えるコンクリート造りの岡島百貨店が、妙にハッキリとその影を残すだけで、あとはまさに火の海原だった。
道端のあちこちには、無造作に投げ捨てられた炭俵のように丸焦げの死体が転がり、その中を無数の人々が夢遊病者のごとくさまよっている。
母はあとに残った父や家のことが気になっているのだろう、私と弟の手をしっかりとひいて、時折つまずく二人を引きずるようにして我が家に向かった。
兄たち三人も泣くことも出来ぬほど疲れ切ったのか、信じられぬほど無表情にその後をついて歩いてくる。
「オーイ、オーイ、ここだ、ここだ!」
影絵のような人々のなかから父の声が聞こえた。
互いに駆け寄ることもなく一家全員が、まだ燃えさかる家の前で再会をした。
長兄の要が、そして次男の理も、三男の毅も父の足といわず腕と言わず取りすがっていった。耐え難い恐怖からか三人とも泣き声すら失っていたようにおもう。
「家は駄目だった」
ポツリといった父の顔は、見覚えのある黒縁の丸い眼鏡や、こんな時でも物静かな優しげな声でなければ、見分けもつかぬほど油煙や煤で真っ黒になり、国防服は焼け千切れていた。
家族が揃って呆然と眺め続ける我が家は、やがて激しい火の粉をまき散らし焼け崩れ、透き通るほどに燃える炭を一面に敷き詰めた。
その瞬間つないでいた母の手に痛いほど力がこもり、その顔を見上げると涙が頬を伝わり落ちていた。其処にあるはずの家が、その姿をとどめなくなると言うことが、あれほど家族を落胆の底にたたき込んでしまうとは思ってもみなかった。

 

 

ただ茫然と立ちつくす家族七人に別れを告げるように、時折大きな炎を上げたりしたが、やがて焼けぼっくいの涙のような炎に変わっていった。
小さな家の小さな焼け跡だった。異様な匂いのする煙がモヤのように立ちこめる


その向こうから、悲鳴に近い泣き声を上げて、小さな子供の影がヨタヨタと近づいてきた。
「お母アちゃーん、お母アちゃーん、痛いよう! 痛いよう!」
服はベルトの部分だけを残して焼き尽くされ、炭のように真っ黒に焼けただれた顔や、身体のあちこちから血が流れ出している。
「あっ!しんちゃんだ!」
兄が叫んだ。
「おい!しんちゃん!しっかりしろ!」
父も母もその小さな影に駆け寄ると、母が抱きかかえ父が防空壕から引っ張り出した軍用毛布の上に寝かせた。
「お母アちゃんがいないよぉ~、お父ちゃんがいないよぉ~、痛いよぉ~痛いよぉ~」
「今探してきてあげるよ!」
父がしんちゃんの耳元で叫んだが、その顔を上げると母に向かって首を横に振った。すでにしんちゃんの両親も、幼い妹も、まるでひとかたまりのタドンのように重なり合って死んでいるのを知っていたのだ。
母は水筒から水を飲ませたが、貪るように飲むとゴボゴボとはき出し、焼けただれた首筋にこぼれ落ちた。

2 のぼちゃんアバナ 
このボロ屑のような子供が、つい昨日の夕方まで一緒に遊んでいた元気で優しい、腕白坊主のしんちゃんだとは、どうしても信じられなかった。
苦痛のあまりに目をむきだして泣き叫ぶ形相のすごさに、しんちゃんと呼びかけることも出来ず、涙だけがボロボロとこぼれおちた。


 翌日、父や兄は焼け残りの棒杭やトタンでバラック小屋を建てたが、家族が身を寄せ合い、やっと雨露を凌げるほど小さなものだった。急場しのぎのカマドも作った。
食品工場や倉庫からの放出品だろうか、お手玉のようにふくらんだ缶詰や、水飴が焦げたような砂糖なども配給された。
町内の炊き出しに場には長蛇の列ができ、手に手に食器や飯ごうを持って並んでいる。
そのすぐ近くの空き地に、男女の判別もつかない焼死体が何百と並べられ、その列の間を肉親を捜して歩く人々がいた、しんちゃんの両親も妹もその中に並んでいたのだろう。
錯乱したように泣き叫び、口から鼻から、耳からどす黒い血のアワを吹き出し、全身の焼き焦げを掻きむしって苦しみ続けていたしんちゃんが、フト静かになったのはそれから三日ほど経ってからだった。
「しんちゃん、しんちゃん」
と泣きながら、全身から滲み出る血を、濡れ手拭いで拭いてやっている時だった。
スーッと目が閉じられ、何かをつぶやいた。
「のぼちゃん、アバナ、またあしたナ・・・・」
「ナニ?しんちゃん!なんて言ったの」
焼きただれた口元に耳を近づけ聞きただしたが、微かに開かれた口はすでに息をしていなかった。
「しんちゃんが死んじゃったア」
泣き叫んだ私の声に父も母も駆け寄ってきたが、その顔は余りにも無表情だったような気がする。
「よく看てやったな」
父がポツリと言った。
「しんちゃんがネ、またあしたネって言ってたよ」
と泣きじゃくりながら話した。
「そう・・・・」
母は流れる涙をそのままに、私の肩をぎゅっと抱いた。

 

青空の広がる太陽の下でザリガニを採り、夕焼け空の中で缶蹴りをして遊んでいる自分を思い浮かべていたのだろうか、そして、私が家の中に消えるまで、門の所に立ち見送ってくれたしんちゃんが、いつも最後に言ったのが「のぼちゃん、アバナ、また明日遊ぼうナ」だった。
つい先日までの思い出が、死に瀕したしんちゃんの脳裏を、走馬燈のように駆けめぐっていたのかも知れない。
のぼちゃん、敵が攻めてきたらオレがやっつけてやるからナ!、と、真っ黒に日焼けした顔で胸を張っていたしんちゃんの、キラキラ輝く目がいつまでも忘れられなかった。
ムラ雲のごとく飛来したB29に、しんちゃんは石を投げつけたのだろうか、暗黒の空の果てを睨みつけていたのだろうか。
B29の爆撃手は、そんな幼い命が真下にいることを知りながら、雨のごとく焼夷弾を投下したのだろうか。

                                                                                                                             続

 

 



 

劫火の果て ④

( 二)甲府空襲


3  坂の上の榎
川をめがけて走りながら、フト坂の上の榎を振り返って見た。
すでに炎も上げず透き通ったように真っ赤に燃えた大木は、怒り狂った不動明王のように、太い腕を天に向けて突き上げ、足を踏ん張って立ち続けているではないか!!
見ている!ボクたちを見ている!そう感じた。
川に続く細い道は、われ先にと走る人々であふれかえり、親にはぐれた幼子が声を限りに泣きわめくのにも、誰一人として気にとめる風ではなかった。
そんな中を母に先導され、上流の浅瀬に向かってひたすら走り続けたが、泣き声もでないのに涙がボロボロと落ちてとまらない・・・・眼を射す煙と、炎のように熱くなった空気のためだったろう。
川の中に投げ込まれるようにして浅瀬に飛び込んだ。
どこからともなく降りかかる火の粉は、その辺りに落ちては消えた。燃えながら流れていく木片に照らし出された無数の人々が、狭い川にうごめき、その泣き声がウォーンと川面を伝わってくる。
白髪の老婆が身を伏せようともせず、組んだ両手を空に突き上げ、南無妙法蓮華経と、声を限りに叫び続けている。
流れてきた布団を手繰り寄せた母は、それを自分たちの頭の上にすっぽりと掛けた。
お母ちゃーん、お母ちゃーん、と泣き叫ぶ弟の声も、口の中に流れ込む泥水にふさがれ、ゴボゴボと咳きこんでいる。

 

                                 

母子六つの頭を覆ったその水浸しの布団こそ、私たちの生き残れた命綱であったと聞く。
真黒な空の果てから、ヒューンヒューンと不気味な音をたて、時にはヒトダマのようにメラメラと燃えながら落ち続けるのは、アメリカが日本を空襲するために開発した『M69焼夷弾』といわれるものだった。
細長い筒の内部に粘性のあるゼリー状の油脂がつめられており、このM69が三十八本束ねられた集束焼夷弾が、地上近くでばらばらになって落下し、屋根を突き破ったり着地すると5秒以内にまずTNT爆薬が炸裂、その中のマグネシュームによりナパームに着火する。
その燃焼する力で鋼鉄製の筒を吹っ飛ばし、三千度を超す青白い炎に包まれたナパーム性油脂を、三十メートル四方に飛び散らせるのだ。
飛び散ったそれは、地上の物体すべてに貼り付き、焼き尽くす・・・・もちろん人間もだ。
このM69焼夷弾の開発は、太平洋戦争の18年前からされていたという。
大正十二年(1923)関東大震災による東京の被害について、アメリカは救助活動のため、詳細なレポートと研究をまとめた。
これ自体は災害救助のための真摯な研究なのだが、軍がこのレポートに着目し、燃えやすい紙と木でできた日本家屋と、都市部に対する有効な攻撃方法の研究に着手し、その結果開発されたのが“焼夷弾”だったのだ。
既にこの時から、アメリカは日本を敵として見据え、一般民間人を対象に含む、都市爆撃の基礎研究を始めていたということになる。
そして彼等の思惑通り紙と木の屑篭の中に、燃えさかる火を投げ込むほどの軽い気持ちで、庶民の家屋のことごとくを焼き尽くした。
その焼夷弾に混じって得体の知れぬ巨大な鉄皿が空から舞い落ちてきて、その直撃で頭を粉々に粉砕され死んだ人もいたというが、集束焼夷弾の弾頭部分だったかも知れない。

 


 無限に続くのではないかと思われる恐怖の時は、頭上の布団の重さに加えいつまでも重くのしかかっていた。
おそるおそる取り除いた布団には、焼夷弾から飛び散ったゼリー状の油脂が貼り付き、燃え続けていた・・・・なまじの水では消えないのだ。
川面が真っ赤に見えるのは、辺りの家が燃える炎を映しているばかりではなく、シャツを赤黒く染めるほどの血が油とが一緒に浮いているからで、その中をまだメラメラと青白い炎をたてて燃え続けている小さな死体が、漂い流れていくのも見た。
いたたまれず岸に上がると、あちこちに縦横一メートル間隔で杭打ちをしたように、暗緑色六角形の焼夷弾筒が突き刺さり、中には激しい炎を吹き上げているものもある。
仏教では世の終末に全世界を焼き尽くすという大火があると説くが、まさにその劫火に燃えさかる地獄図がそこにあった。
あちこちで激しく燃え続ける家々の炎は、あたりを昼のように照らし出している。
子供をしっかり抱いた若い母親が重なり合って死んでいる。
衣服もなにもかも燃え尽くした黒こげの死体の下に、まだ白い子供の顔が見えた。
川端まで来て力尽きた老人だろうか、そのか細い腕は骨まで焼けている。
そんななかを父の姿を探し、家に向かって歩き始めたが、道端の石は焼けただれ、濡れた運動靴で踏むとジュッと音がするほどだった。
坂の上の榎が片腕をもがれたまま、まだ赤々と仁王立ちしている・・・・悲しかった・・・・ただ無性に悲しくて泣いた。
おいでおいでをするように緑の枝をいっぱいに広げた榎はもうそこには無かった。
そして、わずか五歳の子供の網膜に焼き付き、おそらく生涯忘れることの出来ぬ、もう一つの地獄図がそこに展開されていた。

                                                                                                                                           続             


 

劫火の果て ③

( 二)甲府空襲
 

2  B29
 それは余りにも静かな地獄図の序幕であった。
東側の天窓のガラスが夕焼けに染まるように赤く照り、やがてその薄明かりは家の中まで射し込んできた。
いつもと様子が違う異常な気配を感じ取った父は、外に飛び出していった。
「東の空が真っ赤だ!空襲だ!」
叫びながら家に飛び込んできた父は「避難しろ!」と怒鳴った。
暗闇の中、かねて用意してあったリュックを兄たちに背負わせ庭に出た。
狭い庭先に掘られた防空壕に、五人の子供と母を避難させた父は、水をいっぱいに汲んだバケツを片手に、屋根に上がっていった。
日頃はもの静かな父が、厳しく怖い顔になり、他人のように見えた。
五羽のヒナが母鳥の懐に隠れるようにして、真っ暗な穴蔵の中で寄り添い、それでも今からなにが起こるのだろう、と外をうかがっていた。
「敵機だ!B29だ!」
兄が悲鳴のような声で叫んだ。
はるか上空に黒く大きな影が黒雲のごとく広がり、グオーン、グオーンと不気味なうなり声を上げながらゆっくりと移動して来る。
その黒雲から、手にすくった砂をこぼすように降り注いでくるものがあった。
そしてそれが落ち行く辺りは異常に明るく輝く・・・・美しい、と感じた。
近づいて来た黒雲は、やがて黒い大きな鳥の群れが空を覆い尽くすように見え、ユラユラと尾を引いて落ちてくる火の玉が、時折、きらりと鈍い銀色に光る機影を照らし出す。
屋根上で頑張っていた父は、防空壕に引き返してくると、その入り口を分厚い板で塞いでしまった。
暑いはずの穴蔵も、心は真冬のように凍り付き、身震いが止まらない。
恐ろしさで歯がかみ合わないのか、兄たちの口元からカチカチという音がし、時折ため息のような泣き声が漏れ続けている。

 


日頃、父が温和のぶんだけ気丈で男まさりの母は、こんな状況下でも毅然としていて「男のくせにメソメソするな!」と叱咤し、「ここから逃げ出す時には、要(かなめ)は長男なんだから理(さとる)と毅(つよし)の手を引いて行くんだよ。お母さんは登と稔(みのる)を連れて行くから」
「万一はぐれたら、あの榎木の下に来なさい」
と細々とした注意と指示を出し続けていた。


そんな最中、母に抱きかかえられた末弟の稔が突然、見よ東海の空あけて・・・・と、まわらない口で歌いはじめた。
「あらっ、稔いつ覚えたの、上手じゃない!ほらみんなも唄ってごらん。元気がわいてくるから!」
母も兄達も私も歌った。
『お山の杉の子』や『軍艦行進曲』知っている歌を声を限りに歌い続けたが、母の歌いはじめる歌には『あめふりお月さん』『あめふり』北原白秋作詞の『雨』等、いま考えれば紅蓮の炎をあげ、燃え続けているであろう外界に雨が降って欲しかったのだろう。
どのくらい時間が過ぎたのだろう、ズーン・ズーンという地響きが近づき、まわりの土塊がパラパラと頭や手に落ち始めてからは、その歌もぴったりととまってしまった。
一度閉じられた入り口の厚い板は、再び父の手によって取り除かれ、そこから異常に引きつった顔が覗き、こちらの暗闇に向かって怒鳴った。
「もう此処は駄目だ、川に逃げろ!」
防空壕からはい出してみると外は昼のように明るく、異様な匂いと煙があたり一面に充満していた。
暗い空の奥から、長く尾を引く光の玉が雨のように降り注ぎ、地面にぶち当たると、青白い炎の塊となって、四方八方に飛び散り、メラメラと燃え上がるのだ。
あらゆるものを包み込んでいる煙の向こうには、もの凄い火柱が幾つも空に向かって吹き上げている。
その炎の照らし出した道を、弟は抱きかかえられ、私は手を引かれ、三人の兄たちは互いに手をつないで川を目指して駈けだした。
隣のしんちゃんの家はゴーゴーと炎を吹き上げて燃えていたし、我が家の軒下辺りからも、大蛇の舌のような炎がのぞき始めていた。
それでも父は諦めることもせず、バケツで防火水槽から水を汲んでは、炎めがけて投げつけるようにかけ続けていた。
                                                                                                                                 続