続・続 人間機雷 360
第六章 夢幻泡影
三 歳月
4 国士への道 4(9)
女将が言う“北さん”とは、至誠館を創立してくれた菅井組の社長菅井欽一に、南波組から派遣されてきて、荷役の初歩から教えてくれた北川義次のことである。
彼が日本人でありながら中華街に巣くう青竜会の幹部“青木鉄男”に殺害されたのは昭和25年11月30日のことであった。 同じ日、南波組見習い瀬川秀樹(通称“マドロスの秀”)も青木に拳銃でこめかみを撃ち抜かれて死んでいる。
その青木も昭和25年12月に、中華街のゴミ捨場から惨殺死体で発見されている。
“北さん”が殺害されてまもなく、海外に逃亡するための船便を捜している男が居ると聞き込み、仲介人のような振りをしてあったのが、予科練から復員したばかりの野毛で、コテンパンに叩きのめしたことのある青木鉄男だった。
容赦ない拷問のすえ港湾荷役業者“南波組”社長、南波義一の殺害を多額の金を払って依頼したのが老舗の港湾荷役業者“金港荷役”社長、前田五郎であることを白状させた。
が、南波義一の身代わりのようなかたちで殺されたのが、老沖仲仕“北川義次”であり、その彼を案じて深夜に埠頭を探し回っていた“マドロスの秀”までも殺したことを知った。
それから報復の意味で金港荷役の幹部を殺しはじめたのが『横浜港連続殺人事件』の発端であり、幾重にも糸がつながる相関図がある。
さらに盃を交わしながら桜子の身の上話を聞くうち、いちどは静まったこころが、酒の酔いに呼び戻されたようにふたたび波たち始めたが、それはやがて癒やされるような安堵感に変わっていった。 荒くれ者の多い港湾労働者達から“カモメの姉さん”と呼ばれ、一杯30円の焼酎を舐めるように飲むのも、少しでも長くその前に座っていたいからだった。
「いつまでぐずぐず飲んでんだい。あとのお客さんが入れないじゃないか。早く空けて帰りな。家でカアチャンがマタ洗って待ってるよ」などと毒づかれても、また次の日には200円ほどの日雇い料を握りしめてやってくるのだ。
黒崎からそんな話を聞かされ、さもありなんと思ったものである。
「あたしにねこの店を出してくれたのは、仏の小平と呼ばれていた、万屋一家の親分なんですよ。万屋一家は戦前からの博徒で、ここの裏を仕切っていたの。バクチしか楽しみのないような日雇い人夫から金は巻き上げても無体なことはやらなかったし、面倒見もよかった方よ。小平のおじさんが亡くなったのは一昨年の今頃だったな・・・・悲しかったは」 少しばかり酔いが回って、ほんのりと目元を染めた“カモメの姉さん”は当時を振り返るようにいった。
「あたしの亭主は“ボースンの辰”っていう、うだつの上がらない博打打ちでねえ、浅草の賭場で不始末をしでかし、命を狙われる羽目になったとき、これも浅草で古いのれんの神明一家の親分が、おじさんの所に逃がしてくれたんだ。でも結局は追っ手に殺されちまったけど、途方に暮れてたあたしに出してくれたのがこの店なの。あら面白くもないはね
え、こんな話・・・・でもさ神さまは不公平だわ。小平のおじさんや辰チャンや北さんなど私の大切な人を早死にさせるのかしら」 大井がひとかたならない世話を受けた浅草小津組の五代目小津政吉は、白神一家の下積みの頃からの知り合いであるし、若頭の尾島義雄は親戚関係にある神明一家から移ってきた男である。神明会七代目総長小金井肇と万屋一家の菊池小平は兄弟分だったし、若頭補佐の石井孝行とは、兄弟分の盃も交わしている。
その神明一家の話を女将から聞くことになろうとは思ってもいなかったことだ。
・・・・少なくも北川さんの敵はオレがとった。そんな思いを腹の底にしまいながら、大井はほろ苦い酒を飲み続けたものであった。
これが横浜連続殺害事件の根っこであったことは、いまになっては知る人はいない。
続
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続・続 人間機雷 359
第六章 夢幻泡影
三 歳月
4 国士への道 4(8)
その夜、大井秀敏は留守をまかせていた伊東将男を労おうと、埠頭の埠頭の一杯飲屋「かもめ」に誘った。
大井秀敏にとって「かもめ」は、起死回生を為した時の想い出の場所でもある。
戦後の逆コースの中で、昭和26年近代的な反共運動を起こすため「日本青少年善道協会」が創設され、この動きを知った法務総裁・木村篤太郎が、「日本青少年善道協会による青少年に対する反共啓蒙運動では、手遅れだ」と主張し、全国の博徒、テキヤ、愚連隊を結集した20万人の「反共抜刀隊」計画を構想することになった。
木村は大日本国粋会理事長・梅津勘兵衛に博徒側の取りまとめ役を要請し、紆余曲折はあったものの多くの博徒、テキヤの協力をとりつけ、同年12月16日に東京・上野の「精養軒」で、第1回の大日本国粋会再建委員会が開かれ、「共産党が武装蜂起した場合には、博徒部隊はテキヤ部隊と協力して、武力で鎮圧する」との誓約がなされたのである。
その一翼を担うべく研鑽鍛練を積んできた大井秀敏等は、おのれの死に場所を見つけたと意気込んでいたが、「反共抜刀隊構想」は吉田茂首相の反対に遭い頓挫してしまった。
特別攻撃隊で死に損ない、またしても命の捨て場所を見失った大井秀敏が、挫折のなかで生きる意欲さえ失おうとしていたときに、黒崎軍三によってようやく復活を遂げ、ふたたび至誠館の師範として蘇生できたのを、祝ってもらった場所であった。昭和29年3月のことである。
それから2年の歳月が経った。
そこへの道すがら大井秀敏のこころを温めたのは、“かもめの姐さん”と呼ばれている屋台の女将“桜子”の面影であった。
桜子には“慈母観音の桜子”という渾名がある。
そのいわれを聞いたときの一場面が浮かんできた。
「女将がなんで“慈母観音の桜子”って呼ばれているか教えてもいいかい」
「いいですとも」
「おれも噂でしか知らないけど、なんでも女将の背中には、極彩色の“慈母観音”がおわしますそうだ。仏教用語でいう“慈悲”はわかるかな・・・・知ったかぶりで言えば、慈悲とは、我々のことを仏様が憐れんでくれる心のことを言い、“慈”は楽を与え“悲”は苦しみを取り除く、という意味だ。分かりやすく例えると、母という存在は、いつ何時でも我が子の幸福を願い、なるべく不幸にさせたくないことを願っているだろう。そこから“母”と名付けられたのが“慈母観音”だから、女将は無限大の慈悲の心を背負って生きておいでなんだよ」
得々としゃべる黒崎を恨めしげに睨みながら桜子ははにかみながら言ったものである。
「黒崎さんの話、聞いてる私が恥ずかしくなるわよ。はねっ返りだったずーっと若い頃、粋がって背負っちゃったのが“慈母観音”様だったと言うだけの話。それも彫り師からいろんな図柄をみせられたとき、赤ちゃんを抱いた観音様がすごい美人だったから、それに憧れたのよ。慈悲なんて言葉の解釈をじっくり聞いたのはいまが初めてかな。照れちゃう
わ・・・・さっ、ちょうどいい加減についたわよ。どうぞ」 「じゃ、桜子さんも一緒にまずは北さんに献杯しようか」
女将から注がれた酒を一息に飲み干した大井は、それで波たっていた心の動揺がやっと静まり、黒崎がここに誘った真意がなんとなくわかるような気がした。
続
次回11月25日
続・続 人間機雷 358
第六章 夢幻泡影
三 歳月
4 国士への道 4(7)
黒崎軍三は日本陸軍の諜報部隊育成のための中野学校出身で、“殺しのライセンス”を持つ特務機関員であった。
京城で貿易商を営む父、陽次郎から京城帝国大学法文学部を勧められそこに入学した。父にしてみれば20歳の徴兵年齢になっても、徴兵が猶予される法文学部で学ぶ傍ら、事業後継者としての研鑽を積み上げていって欲しいと考えていたに違いない。
その軍三が突如として召集を受け、歩兵第34連隊に入隊したのは昭和16年4月である20歳になったばかりだった。その年の12月18日、日本軍は真珠湾攻撃により日米開戦の幕が切って落とされている。
40日間の初年兵訓練を受けた後、試験に継ぐ試験で甲種幹部候補生に合格、前橋陸軍予備士官学校に入学し、50名の兵士を率いて玉砕覚悟を旨とする猛烈な戦闘訓練の日々を過ごした。
卒業し士官勤務見習士官になったその翌月、“陸軍中野学校へ入校を命ず”という命令書を受け取った。
陸軍中野学校は『後方勤務要員養成所』が進化した諜報機関員育成の学校であった。
全国から選りすぐられた秀才を集めて、潜入・潜行・偵察・偽騙・謀略・破壊・盗聴・通信・暗号などの秘密戦に関するあらゆる分野が、科学的かつ実戦的に教えられ、一般教養と専門教育の座学が充実していた。
『謀略は誠なり』これが陸軍中野学校精神の根幹をなすものである。そのため『無私』と『誠』の精神を国体学と思想学で徹底的に教育され、他にも心理学や統計学を学んでいるし、兵器学や築城学、それに自動車、戦車、航空機の操縦法や超短波無線の操作まで叩き込まれた。
語学の中では英語が必須科目で中国語またはロシア語から一科目を選択するのだが、中国語は中国人が同胞と間違うほどに堪能であった黒崎はロシア語を選んだ。
専門学科では、諜報員に必要な秘密通信法・防諜技術・暗号読解・あらゆる武器の取り扱い・射撃などを学び、訓練もまた熾烈を極めたが、その実態は軍内部にも極秘とされ、ましてや親兄弟と言えども口外することは許されなかった。
成績も良いばかりか中国語や英語に堪能であり、かつ武道家でもある父、陽次郎から日本最古の拳法である『骨法』の継承者として、一子相伝の奥義を受けるほどだった事などが選抜対象となったらしい。
昭和18年4月の卒業と同時に“ヤマ”と言う暗号名で呼ばれた特務機関に配属となった。そこでは“甲・乙・丙・丁・戊”の五班に分けられ、黒崎は“戊班”での任務を与えられたが、班員には探索や検挙の結果が内政治的や国際的その他の利害から推して、困難で手が付けられない、つまり「生かしておけないもの」を隠滅する殺人許可が与えられていた。
残置牒者”として敗戦後もなお帰国しない陸軍中野学校出身者も数多くおり、その生死の確認も出来ていないというのだ。
後に帰還した小野田少尉もこの中野学校出身者である。
幅広い人脈を持ち、菅井欽一が港湾荷役事業を短期間に成長させることが出来たのも彼の人脈に寄るところが多かった。
後に大井秀敏を銀座の洋品店HOLLYWOODのマスター秋山征志郎に紹介したのも黒崎軍三である。
最後の特攻と言われる人間機雷の生き残り、大井秀敏がいまいちど国のために命を捧げたいという真情を汲んでの紹介だったが、彼もまた様々な人脈をもつ陰の権力者のひとりである。
大井秀敏が剣技を磨くために身を寄せた甲州塩山・雲峰寺の住職小笠原月心とは武田二十四將の末裔として縁をもつ間柄であったし、かっては国体護持のための同志でもあった。
小笠原月心は俗名を“小笠原義正”といい、武田家滅亡の折、武田家と縁戚関係にありながら反旗を翻した重臣穴山信君の末裔ともいわれるが、実は信玄の長男で後に自害をして果てた武田義信の落胤であり、信君の弟・穴山信邦が義信に与したとして自害させられる前に密かに兄に託したお子が、後に武田氏族の名家“小笠原”を継ぎ、その末裔だとの説もあるがその真偽の程は遠く歴史の彼方に霞んでいる。
雲峰寺の月心老師は宗教家でありながら、昭和最後の剣聖と崇められ、あらゆる武道を極めていた。そのうえ弘法大師の流れをくむ入木道五十三世の伝統を受け継ぎ書家としても高名であるばかりでなく、四書五経にも造詣は深く、大正天皇に進講されたこともある。
また陽明学に裏付けされた東洋政治哲学の権威であり、人間学にも造詣の深い師の人格の骨ともいうべき核心は、「無我・至誠の愛国心に燃える思想家」としての一面であろう。
秀敏はこの三年間、剣の道ばかりでなくその学術的薫陶を、みっちりと受けてきたのである。
三年間留守にした至誠館の道場に立ったとき、おのれの進むべき道がボンヤリとだが見えてきたような気がするのも、月心老師の教導によるものだったかも知れない。
続
次回11月18日
続・続 人間機雷 357
第六章 夢幻泡影
三 歳月
4 国士への道 4(6)
突然の事に呆気にとられていた黒人兵も、両手をだらりと下げ茫然として立つ男に「ユア ナッ ウオンティド ヒア!」と怒鳴ると、丸太のような腕で払い除けようとしたが、床のゴミでも拾うかのような仕草で、前屈みになった男の頭上を素通りしただけだった。
激怒した黒人兵は狙いすましたストレートパンチを、闖入者の顔面目がけて繰り出し殴り倒した・・・・と、見えたその瞬間、男は素早く身を沈め地に這ったまま、片足で黒人兵の膝を蹴った。膝が砕けたのか“メキッ”と鈍い音が聞こえ、膝を抱えてうずくまったその顎先に、鋭く短い蹴りをいれると巨漢の黒人兵は声もなく動かなくなった。
菅井はもとより、腕組みをして野次馬を決め込んでいた他の黒人兵も、出番を失った白人兵も、いや根岸屋に居合わせた全員が数秒間のこの出来事が信じられなかった。
男はフラリと立ち上がると、菅井を振り返り口を歪めた・・・・思ったより若そうである。
我に返った米兵達はこの男を目がけて突進した。
男は緩慢にも見える捌きで手足を振るい、ある者は掌底で顔面を攻撃し、ある者には後頭部に蹴りをみまい、足払いで倒れた男の脳天に猿臂を叩き込みして、米兵ことごとくを床に転がすのに数分と掛からなかった。
この一瞬の出来事に誰もが我が目を疑い、言葉を失うなかで、いつの間にか気絶から覚めたキンチャクが、二度もダウンを喫したのがよほど口惜しかったのか「この野郎!この野郎!」叫びながら、倒れた米兵の頭をピョンピョンと跳びはねて踏んづけたり、腹を蹴ったりしている。
男は倒れたままの金田と畑中を抱え起こすと、背中に膝をあてがい“活”を入れた。
二人が放心状態で立ち上がるのを見定めると、片隅の席に戻り何事もなかったかのような顔をして、飲みかけのコップ酒を一息に飲み干した。
改めて見ても仕事あぶれの飲んだくれにしか見えない貧相なその男を、今夜ばかりは形無しだった四天王達は、無気味な生き物でも見るような目付きで眺めている。
根岸屋の殆どの客は難を避けてか、どさくさ紛れか金も払わず逃げ出してしまったが、居残った客と入り口にひしめく野次馬達から、時ならぬ歓声と拍手がわき上がり、バンザイ、バンザイと叫んでいる者もいた。
男はそんな喧噪もよそ事のように、逃げ出した客の酒をテーブルの上に集めると、悠然と飲み出した。
菅井は自分の席から菊正の一升瓶を取り上げ男の前に座ると、空いたコップに溢れるほど注ぎながら、下からすくい上げるように睨み凄んだ。
「勝手な真似しやがって・・・・礼なんざぁ言ねぇよ」
「アイツを殺そうとしただろ・・・・もっともヤラれたのはアンタかも知れんがね」
男は酒のまわった赤い眼でトロリと菅井達をひと眺めすると、図体のでかい黒人兵アゴで指し、抑揚のない枯れた声で言った。
瞬く間に倒された米兵達の大半は、這いずるようにして逃げだし、床に転がっているのは5人ほどである。
「MPだ!MPが来るぞー!」
表の野次馬が叫んだ。
けたたましいサイレンの音が迫っている・・・・MPの駐在基地は目と鼻の先なのだ。
脱ぎ捨てた背広を一抱えにすると裏口に走った。
「おい、こっちだ」
菅井は引きずるようにして男を連れ出した。
その男こそ後に菅井を堅気の世界に導き、港湾荷役の菅井組設立に尽力した黒崎軍三だった。
同時代、菅井欽一の鶴見愚連隊と拮抗した勢力を持っていたのが、伊勢佐木町界隈に屯していたみ横浜愚連隊である。その四天王と言われた吉水金吾、林喜一郎、出口辰夫、井上喜人が後に稲川聖城の若衆となり、初期の稲川会の勢力拡大に命を賭けたのだが、それとは対照的な転身がはかれたのも黒崎軍三の尽力に寄るところが大きかったのである。
続
次回11月11日
続・続 人間機雷 356
第六章 夢幻泡影
三 歳月
4 国士への道 4(5)
四天王も次々とこれにならい、これまた見事に彫り上げた『国天』『増長天』『広目天』『多聞天』の刺青の躍動が始まった。キンチャクは太平楽な顔をして、床にのびたままだ。
屈強な米兵8人に対し菅井達は5人であるが、菅井は日大の空手部であったし、金田はボクサーとして六回戦までいったことがある・・・・菅井の激しい蹴りや突きが見事に決まり、金田のパンチはバシバシと米兵の顔面を捉えて引けをとらない。
普段は温和しいが一度キレたら手が付けられない中村は、法大剣道部の出身でハタキの柄一本でも持たせたら、喧嘩十段と豪語する菅井でも敵わないと言われていた。
広目天の畑中は図体の大きさに釣り合った腕力で、米兵を頭上に抱え上げ放り投げている。
ガッチリはしているが小柄の畑中は、米兵の繰り出すパンチを浴びながらも、組み付いたら最後スッポンのようにくらい付き、顔面がグチャグチャになるほど拳をたたき込んだ。
ノックアウトされたキンチャクも、いつの間にか立ち上がり「この毛唐が!」と絶叫しながら米兵のひとりの襟首を手繰るやいなや、派手な腰車で床にたたきつけ、先程のお返しとばかり蹴りまくった。どうやら柔道の心得があるようだ。
戦いは菅井達が優勢だったが、米兵達にしても店のアチコチに陣取り「ヒュー、ヒュー」と口笛を鳴らしては、声援や喝采を送る仲間の手前、敗戦国のジャップ相手に負けるわけにはいかない。
しかし、今夜の相手は強すぎたうえに、背中で躍動する刺青の気味悪い顔がちらつき、酔眼には倍する敵と戦っているようにさえ感じられるのだ。
一人倒れ二人倒れと徐々に米兵達の形成が悪くなってきた。
そうなると高みの見物を決め込んでいた米兵達も、2人3人と立ち上がりとうとう10人近くが加勢しはじめ、菅井達6人それぞれを取り囲み攻撃をしてくる。
だだっ広い根岸屋は小さな日米戦争の再現である。
テーブルや椅子が宙を舞い、ビールやグラスが砕け散った。
何事が始まったのかと店を覗き込む野次馬からも声援が乱れ飛び、金切り声で叫ぶ女の声があちこちで聞こえる。
屈辱感から奮闘していたキンチャクは、再びパンチを浴びると床にのびたまま起きあがってこない・・・・或いは気絶した振りをしているのかも知れない。
さすがの菅井軍団も圧倒的に不利な状況に陥り、タジタジとなった折りもおり、入り口に溢れる野次馬をかき分け逞しい黒人兵5人が入ってきた。
思わぬ修羅場に遭遇したのが嬉しいのか、どの顔も舌なめずりをするように嬉々としている。彼等は血だらけになった白人兵を押しのけ、騒乱の真っ直中に進みその中の一人が図体のでかい赤池の前に立つや否や、凄まじいストレートパンチを顔面に放った。瞬間、宙を舞うようにして巨漢の畑中が吹っ飛んだ。
「この野郎!」
激怒した金田がその黒人兵の前に躍り出ると、顔面目掛けてジャブを繰り出したが、ダッキングでことごとく躱され逆に右アッパーカット一発で、これまた敢えなく床にのびた。
「ヘイ、ユウ!カマン!」
右手人差し指を菅井に向けると、手を裏返しその人差し指をチョコチョコと曲げて挑発した・・・・もう彼の一人舞台だった。
菅井はその黒人兵の前に立つと、左半身に構えジワリと詰め寄った・・・・前に突き出した左拳も、腰だめにした右拳も血に染まっている。
「コイツを殺してやる」
菅井の顔から血の気が引き眼はつり上がっている・・・・取り巻き連中が恐れる彼の激怒した時の顔である。背中の鬼子母神が一瞬盛り上がったかのように見えた。
躰を低く構え黒人兵の股間目がけ、渾身の蹴り入れようとしたその時である「代わるよ」と言いざま、菅井の前にヒョロリと立ちはだかった男がいた。
「邪魔だ!どけ!」
猫背気味の痩躯に軍服を仕立て直したような服を着込み、無精髭でしかと面体も判らぬその男の背に鋭く怒鳴った。
続
次回11月4日
続・続 人間機雷 355
第六章 夢幻泡影
三 歳月
4 国士への道 4(4)
ここで至誠館の略歴を振り返ってみよう。
至誠館の創立は昭和24年、横浜港の荷役業者として確固たる立ち位置を固め、なおも急成長している菅井組の社長、菅井欽一が、武道禁止令のさなかでありながら、青少年の精神的拠り所として、創建したものである。
菅井欽一は鶴見に本拠を置いていた、愚連隊菅井組の頭目だった。
菅井欽一は25歳、総師範黒崎軍三は28歳、のちに師範代となる大井秀敏が21歳、おなじく関東白神一家から出向の形で身を寄せてきた伊東将雄が22歳であった。
菅井欽一の生き様に多大影響を与え急転させたのが黒崎軍三である。
その舞台となったのが、いまでも語り草になっている『根岸屋騒動』である。
根岸屋という酒場は若葉町二丁目にあった
後に黒澤明監督の「天国と地獄」にも出てきたあの「根岸屋」である。
明け方の「根岸屋」さんは大混雑であった。駐留軍兵士から外人専門の娼婦洋パン、ヤクザから菅井欽一のように徒党を組んで遊びと悪さをしている愚連隊、もちろん一般の酔っ払い客と、日本人ホステスからバンドマン他それらの人達がわいわいがやがや満員であった洋風居酒屋(?)だった。
店の奥にはバンドが入っていて ジャズやら歌謡曲やらを演奏していたり、たまに中でチンドン屋が回っていたり、おかまのお姉さんが踊っていたりと国際色も集う人種も多種多様であった。
そこに連日連夜のように顔を見せていたのが、菅井欽一である。
敵対勢力に対しては完膚無きまで叩きつぶす暴力、果ては殺人さえ厭わない悪の権化のような菅井ではあったが、カタギや女・子供に対しては無類の優しさを持った男であったし、四天王と言われる連中もそれを見習っていた。
洒落者の菅井は白の背広に白ハットのいでたちだったが、したたかに酔った女給がはずみで菅井の帽子を払い落とす形になった。
菅井は気にもとめずハットを拾い上げると、ゆっくりと被り直した。
「姐さん、今夜はだいぶ酔っているようだから、そろそろ切り上げた方が良いんじゃねえんですかい」
四天王の中で一番背の高い『増長天のスミス』こと中村志朗が優しげに言った。
「うるせえんだよ!テメエ等の指図なんぞ受けたくねえな!」
女はよろける脚を踏ん張ると、飲みかけのビールをテーブルの上にまき散らした。
「何すんだ!温和しくしていりゃあつけあがりゃあがって!どなたの席か分かってやってんのか!」
キンチャクが立ち上りざま女を突き飛ばした。
「やめろ!」と言う菅井の制止も聞く間もなく逆上したのは、先程まで愛おしむように食べていたステーキが、無惨な姿に成り果ててしまったせいかも知れない。
女は隣で飲んでいる米兵達の席に吹っ飛んだ。
彼等は女を受け止めるや猛烈に怒り出し、突き飛ばしたキンチャクを取り囲むと大声でまくしたて始めたが、「サンキュウ」と「バイバイ」ぐらいしか分からぬキンチャクには何を言ってるのかサッパリ分かる筈もない。が、兄貴達の前で引っこみがつかなくなったばかりか、日頃から菅井の用心棒を自称する面子もある。
キンチャクは精一杯イキがると「何ィ!このヤロー!」と米兵の一人の胸ぐらを掴みあげた、その途端、強烈なパンチがアゴに炸裂し吹っとばされた。米兵達は吹っとんだキンチャクを、四方八方から足蹴りにした。
その段になって、ようやく菅井が「相手に不足はねえ、一発ブチまかしてやるか」
菅井はやおら立ちあがり、悠長とも思える動作で上半身裸になった・・・・背中の『鬼子母神』の顔が一瞬ゆがんだように見えた。
続
次回10月28日
続・続 人間機雷 354
第六章 夢幻泡影
三 歳月
4 国士への道 4(3)
青眼に構えた大井に対峙した金田は、一瞬にして固まったように動かない。
「遠慮せずに打ち込んでこい」
大井が剣先を僅かに右にそらした瞬間、金田は裂帛の気合いを放ちながら、面を狙って打ち込んできた。それを事もなげん払うと、喉元をめがけて突きの一撃をみまった。
金田は竹刀を放り出し、腰から落ちそのままゴロゴロと2メートル近くも転がった。
ようやく立ち上がり、竹刀を拾い上げ「参りました。ありがとうございました」と弱々しく言ったその声はかすれていた。喉を痛めたのかも知れない。
続いて畑中や石渡、それにつぐ者達が秀敏に臨んだが、ただ一撃でいずれもが床にはった。
ある者は面を打たれ脳しんとうを起こしたようにぶっ倒れ、ある者は胴を打たれ脇腹を抱えて戦意を失い、ある者は竹刀を巻き取られ土下座をした。新参の者達はその烈しさに恐れを成してか、だれひとり立ち上がろうとしなかった。
ひととおりの稽古が終わると、道場生のまえで訓戒した。
「少々手厳しかったかも知れないが、剣道は竹刀をもって叩き合う遊びではないぞ。黒崎館長や伊藤師範代からも言われていると思うが、至誠館の真髄は真剣での斬り合いの剣技と精神の鍛錬を目指している。それを肝に銘じてもらいたくての荒稽古だった。古い話になるが幕末に討幕派志士たちを震え上らせたのが、幕末最強の戦闘集団といわれた新選組の一撃必殺の剣だ。私も伊藤先生も予科練で国に命を捧げるためにと、日夜厳しく鍛錬してきた。そして国に仇なす者かは、必ず誅するという愛国の精神をイヤになるほどたたき込まれてきた。それを君たちに伝えたいから、他の町道場とは剣風が違う。その観点から君らの練習をみると、剣技はそこそこでも魂の入れ方が違うのだよ。先ほど手合わせした者が私に触れることも出来ずに敗れ去ったのはなぜだか分かるか。どうかな金田君?」
「鍛錬不足から来る力量の違いだと思います」
「それ以前の問題だな。なぜ一撃で敗れたのか?それは金田君が私のどこを狙い定めて打ち込んでくるのが、ハッキリと読めるからだ。これは他の者にも言える。“目は心の窓”といわれるように、普通人は関心の向かう方へと目線を向けるものだ。上段を突こうと心で思うと上段を見、中段を攻撃する時には中段を見るという具合に攻撃する箇所に視線が行く。これは相手に攻撃目標を教えているようなもので、相手に自分の手の内を読まれ、裏をかかれ、先(せん)をとられることになる。だから対峙したときは、何処にも視線を固着させず、しかも全体の動きが解るような目付が要求される」
「難しいですね。攻撃しようとする所に目をやらなければ、打ち込んでさえいけません」
「そんなことはない。剣道では“遠山を望むが如く”の心構えで、相手の顔面を中心として全体が見えるようにし、とくに“剣先と拳”に注意をはらうことだ。技を仕掛けようとすれば必ずこの二ヶ所を動かさなければ仕掛けることが出来ないからだよ。この二ヶ所が目の内にあれば自然と相手の起こりを捕らえることが出来るからだ。これは日々の鍛錬の中で、自然と身につくものだ。
「先ほどの金田君の場合は、私よりすこしでも早く動き、竹刀を私に当てようと、肩に力が入りすぎていた。だからその動きを見破るのはたやすい。向いあってみれば金田君の心は竹刀を持つ手もとに集まっていて、拳の動きを見ているだけで、内心が手にとるように分ってしまう」
「金田さんでさえそうなら、俺たちが束になった掛かっていったところで、師範に一本でも打ち込めるはずはないですよ」
至誠館に入門して2年目ほどになる中村孝和が憤慨気味に言った。
彼は金田等と肩を並べて、至誠館の四天王呼ばれている『増長天のスミス』こと中村志朗の従兄弟である。
中村志朗は法政大学の剣道部出身で、鶴見の愚連隊菅井組の幹部としてならしてきた男であり、志朗も法政の高校・大学と剣道部で活躍してきた猛者である。
志朗と違う点はいたって生真面目であることだろう。
続
次回10月21日
続・続 人間機雷 353
第六章 夢幻泡影
三 歳月
4 国士への道 4(2)
大井秀敏は小津政吉の不慮の死を惜しむ人たちの多さにまず驚いた。
関東連合に属する組の歴々に加え、小津政吉が昭和21年に渋谷で引き起こした三国人殺害で、官憲から追われていた時代に旅駈けた足取りそのままに、関西やそれ以南の遠くから駆けつけた人たちも数多くいた。浅草商店街の旦那衆や、屋台商売の親父もいれば、浅草周辺も含めたら数えきれないほどある料亭の女将さん、裏通りの一杯飲み屋のおばさんに加え、普段着姿のままで焼香にかけつけた主婦の姿もあり、後にきけばその数は2千人を越えたという。
それは古くから浅草を根城にした小津組の看板の重さだけでなく、五代目襲名とともに再興した小津政吉が、どのようにして地域の人々に接してきたかが知れる、人徳の表れでもあったろう。人は死んだときに価値が分かると言うが、小津政吉の価値はその弔問客の多さに誰もが認めるところであったかも知れない。大井秀敏は途切れることなく続く弔問客を眺めながら、生き様は死にざまでもあろうと、いずれ訪れる己の死ついて考えさせられた、小津政吉の葬儀でもあった。
伊東将男もまた同じ思いであったらしく、その顔は青ざめるほどに悲壮感を漂わせていた。
ともに予科練の生き残りであれば、世の中がいかに平和ボケで、弛緩していようと命の捨て所は誤まるまいと思う気持ちは同じなのだろう。
それは死んだ小津政吉にしても、同じ思いがあったのかも知れない。
浄妙寺事件で射殺された、住吉一家の大幹部高橋輝男と親交があった小津政吉は、何年か前に兄弟盃を交わしてた。それは時に蛇蠍のごとく嫌われるヤクザという生き方のなかで、次々と事業を伸ばすばかりでなく、『殉国青年隊』を組織した若きナショナリストという顔に惹かれたのかも知れない。
そしてその意志は小津組六代目を継いだ、尾島義夫に受け継がれていくことになる。
葬儀を終えた大井秀敏は、雲峰寺に戻るのを日延べし、横浜の至誠館を訪れることにした。
伊東将男といっしょに至誠館に着いたときは、うっすらと夕闇が忍び寄る午後五時頃だった。
秋と違い春の夕暮れはゆっくりである。そのなかに喚きだつ稽古声が響いている。
懐かしいざわめきである。
館長の黒崎軍三は不在だったが、若い頃『国天のジミー』とよばれていた金田尚武や『多聞天のビリー』の畑中喜一、『キンチャク』の石渡茂などが、近頃入門してきた新弟子相手に稽古をしていた。二年ぶりに顔を見せた大井秀敏に、それぞれが面金の奥から会釈を送ってきたが、稽古の手を休めることはなかった。30人近くいるだろうか。
古株の中には二年前に比べたら腰の据わりも打ち込みの烈しさも格段に良くなり、顔つきも変わり精悍さが増したような気がする者もいる。
「伊藤君、相当に厳しくしごいたようだね」
並んで座っている伊東将男に小声で言った。
「貴様が留守の間に、少しでも腕を上げさせておこうと思ってな、しごきまくったよ。キンチャクなんか泣きながらムチャクチャに掛かってきたこともあった。それでも耐えてここまできたんだ。どうだろう地稽古が一段落したら、久しぶりに稽古をつけてやってくれよ。みんな喜ぶと思うというよりは、いまの自分を見せたくてウズウズしてるのもいるんじゃないか」
「そうしよう。ここ数日稽古もしとらんから、ムズムズしていたところだ」
伊藤は立ち上がると「それまで!」と号令した。
殺気だったおめき声が消え、静まりかえった道場の中央に立った伊藤は「これから大井師範に稽古をつけてもらう。希望者は名乗り出ろ。他のものはさがって見学するように」
大井は道着に着替え、竹刀の素振りを終えると、素面のまま道場の中央に出た。
数人が一斉に手を挙げた。そのなかで大井はまず金田尚武を指した。入り乱れた地稽古のなかで、きわだって激しい技を繰り出していた男である。
続
次回10月14日
続・続 人間機雷 352
第六章 夢幻泡影
三 歳月
4 国士への道 4(1)
昭和31年4月8日、浅草小津組五代目小津政吉の本葬は、浅草寺の子院のひとつ本龍院で執り行われた。
大井秀敏は通夜から本葬までの2日を横浜に戻り、白神一家に木村京介を訪ねた。いまは山梨県塩山の大菩薩峠にある雲峰時で修行中の身だが、盃ごとが切れたわけではない。いまでも白神一家の身内なのであり、いまの暮らしぶりを報告するのは身内として当然忘れてはならないことである。
木村京介は大井秀敏や伊東将男の憂国の志を知るや、至誠館へ身を寄せることを許していまに至っているのである。
約二年ぶりの再開を、野毛の小料理屋でもてなしてくれた、木村京介の温情が嬉しかった。
「小津さんのことは新聞で知ったが、そうかいもう顔を出してくれたのか。葬儀の時は回状が来なくても駆けつけるつもりだったが、それにしてもこれからって時にあんな殺されかたをしたんじゃ小津さんも無念だったろうが、身内の人間にしたら腸が煮えくりかえっているに違えねえって、国松とも話していたところだ」
「仰るとおりで、若い衆も殺気だってました」
悲憤と激昂の坩堝の中で眼だけが異様に光っていた、小津組若衆達の面々を思い出していた。
「そうだろうなあ。オレが親しく政吉さんと語り合ったのは、かれこれ10年も前になるが、昔気質で律義な漢だった。ちょうどお前さんがウチに転がり込んでいた時だったよなあ。小津組の看板を掲げ直し、五代目を襲名したあとも、他の一家ともめ事は起こさず“悪い噂は聞いたことがねえ”って評判だった。ただ何事につけて筋を通すことを身上にしていたようだから、そのあたりで筋目違いの恨みをかわねぇでもなかったろうな」
「そうかもしれないですね。所轄警察も妙清寺事件に続いての殺人事件だけに、躍起になって犯人の特定を急いでいるようですが、それには時間も掛かるのじゃないでしょうか」
「まあ、いずれにしてもそこいらへんのはねっ返りや、トウシロウ(素人)の仕事じゃネエだろ。それだけにサツにしてもホシを挙げるのは難しいって事もあるわな。小津組にしたってアタマを取られたんだから、サツに揚げられる前に、テメエ達でカタをつけたくて焦っているだろうが、目星もつかねえんなら敵のとりようもネエ」
「ただ、妙清寺での抗争事件とは、深いつながりがあるんじゃないでしょうか」
「俺もそう思う・・・・サツでもそうふんでその辺りを調べているんだろうが、そもそも同じ組の幹部同士が殺し合った妙清寺のドンパチが、なにが原因だったのかハッキリしねえんじゃ、小津さんがなんで狙われたのかもわからねえだろ」
「仰るとおりですね」
「まあ、ここでお前さんと思い煩ってもラチはあかねえわな。いまは小津政吉という昔気質の渡世人の、冥福を祈ることだけしか出来ねえな」
と言っていた木村京介は、本葬の日に若頭の下村国松のほか、若頭補佐奥宮喜一、本部長笹岡誠次、若者頭鮫島登などを引き連れて参列した。そのなかに特攻隊の生き残りで、盃はそのまま至誠館に身を寄せた伊東将男も同行していたのは、大井と小津政吉の関係を知る木村京介の配慮であったろう。
大井秀敏は小津政吉の不慮の死を惜しむ人たちの多さにまず驚いた。
関東連合に属する組の歴々に加え、小津政吉が昭和21年に渋谷で引き起こした三国人殺害で、官憲から追われていた時代に旅駈けた足取りそのままに、関西やそれ以南の遠くから駆けつけた人たちも数多くいた。浅草商店街の旦那衆や、屋台商売の親父もいれば、浅草周辺も含めたら数えきれないほどある料亭の女将さん、裏通りの一杯飲み屋のおばさんに加え、普段着姿のままで焼香にかけつけた主婦の姿もあり、後にきけばその数は2千人を越えたという。
続
次回10月7日
続・続 人間機雷 351
第六章 夢幻泡影
三 歳月
3 国士への道 3 (12)
石森の後を追うように、一人きりで組事務所を出た尾島は、関東連合の最高顧問である山野井敏一のもとに出向いた。
山野井敏一の事務所は、全日本憂国連合会の本拠地である、銀座6丁目の三隅ビルの最上階にある。
国内最大の右翼団体の連合体である“全日本憂国連合会”での重鎮として君臨しているが、彼は帝国陸軍時代は皇道派に属した正統派右翼であり、天皇神聖不可侵論、天皇主権論、軍国主義、テロル肯定、など戦前の右翼の主張を受け継ぎ、戦前回帰の復古的な極右思想の持ち主であり、戦後に至ってもそれらを信念としていた。
そのなかでヤクザ界、右翼界、政界、財界に幅広い人脈と影響力を持っている人物である。
「片付いたようだな」
尾島の顔を見るなりそう言った。
「お陰さまをもちまして、解決したようです。ありがとうございました」
「それは重畳。良かったではないか」
「ついては些少ですがございますが、謝礼をお持ちいてしました。どうぞお納め下さい」
尾島はふくさに包んだ相当額の金を山野井の前に置いた。
それをチラリと眺めてから「つかぬことを訊くが、これは大森組からの謝礼金かね」といった。
「いえ、私からの気持ちです」
「ならば受け取れないな」
「何故でしょう?」
「小津組の六代目を襲名した、君へのはなむけだからだよ。それに士官学校時代の旧友の窮状を見かねての相談であれば、その心根を賞する意味もあるからだよ」
「そうおっしゃらずにお納め戴かないと、私の気持ちが収まりません」
「君の気持ちはたしかに受け取った。どうしてもというなら大森組の連中が挨拶にくるべきだろう」
「今回の件は、私の同業ともいぅべき組織のはかりごとですから、表沙汰にしたくないのです。ですから問題解決の為に私が動いたと知られたくないのです」
「そうだろうと思った。そう聞けばますます受け取るわけにはいかん。私からのはなむけだ持って帰りたまえ」
「私としても一度出したものをそうですかと、引っ込めるわけにはいきません。どうかお納め下さい」
「それはこっちとしても同じだよ。君にはなむけだといったものを、受け取るわけにはいかん。さて、どうかたをつけようかのう・・・・じゃこうしよう。いつかなんらかの形で、力を貸してもらう事があるかもしれんから、それまで貸しとしておこう。それでどうかな」
ラチのあかない押し問答に、区切りをつけるように山野井はいった。
「分かりました。自分らに出来ることがありましたら、どうぞなんでもお申し付け下さい。誠心誠意つとめさせてもらいます。本当に今回のことはありがとうございます」
「私は君のことが気に入った。これからも相談事があったら、どんなことでも構わないから言ってくれたまえ。君に海軍魂があるように、ワシには万朶の桜に染まった、古来からの大和魂がある。だからこそ戦後日本人が忘れてしまった、愛国の精神を蘇えさせんとして、多くの憂国の士を束ねているのだよ。是は是非は非の精神があってこその結団だ。今回の場合も、相手側に非があればこその結果だよ。君の友人にも産業や生活の基盤として整備される施設にたずさわるものとして日本国発展のため、これからも頑張るように伝えてくれ。西洋列強のアジア侵略に端を発して、我が国は歴史的な宿命で英米と戦い、敗れて涙をのんだ。それからがいけない。民族の誇りというものが衰退してしまっている。だがないずれ日本が巻き返しに出る時代が必ず来る。その時こそ君らや君らの後に続く世代が、役立たなきゃいけないんだよ。了見の狭い考えで、狭い稼業を渡っていくようじゃ海軍魂が鳴くぞ」
「そのお言葉、肝に銘じます」
それから6年後、山野井が心不全で亡くなるまで、親と子のような親密さの仲で、二人の交友は続いたが、彼から義理返しのような要請は全くなかった。
続
次回9月30日









