酒場人生覚え書き

酒場は、人と人の架け橋のような気がしながらカウンターに立ち続け、もう少しで

半世紀

その歳月の中で出会い、そして去っていった人々の面影も今は定かではない。

歩み続けた足跡の上に歳月が降り積み、全てが茫洋とする前に、せめて書き留

めておこう思ったのがこのブログである。

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2018-09-19 09:08:57

こころ絵 『南無観世音』

テーマ:アート

『南無観世音』

 

43歳で頭を丸め仏門に入った山頭火ですが、終生を漂泊者しながら句を作り続け58歳で亡くなるまでに84000句を詠んだと言われます。

出家してすぐに熊本県植木町の味取(みとり)観音堂の堂守となりましたが、それも1年ほどしか続かず、翌年の春「解くすべもない惑ひを背負うて」と行乞(ぎょうこつ)流転の旅にでます。

 

その頃の句に

松はみな枝垂れて南無観世音

あるがまま精一杯生きてゆきたい南無観世音

南無観世音おん手したたる水のひとすじ

などがあります。

観世音菩薩は“観音サマ”の俗称で親しまれ、多くの人から信仰されているのですが、ほかのどの菩薩よりも寛大で、人間の苦しみや憂いを聞きとどけてくれるのだそうです。

 

山頭火もまた人に言えない孤独感や、苦悩や、死生観を観音様に祈りつつ、すべてを委ね、救いを求めたのでしょうか。

上掲の三句はどれも山頭火の心の叫びが聞こえます。

 

                 酒場人生覚え書き

 

ふたたび旅に出ようとする山頭火の後ろ姿に『南無観世音おん手したたる水のひとすじを添え描いてみました。

 

背景に薄く滲み出しているのが菩薩さまの横顔です。

見えない方は信心が足りないですよ(笑)

 

 

 

 

2018-09-17 09:20:47

続・続 人間機雷 322

テーマ:ブログ

第六章 夢幻泡影
三 歳月 


3 国士への道 1 (2)        
老師は論語の進み具合を見計らいながら、その折々に解説してくれるのが、論語に傾倒するモチベーションとなっていた。
その一例を時折おもい出しては咀嚼してみる。
雲峰寺の月心老師は宗教家でありながら、昭和最後の剣聖と崇められ、あらゆる武道を極めていた。そのうえ弘法大師の流れをくむ入木道五十三世の伝統を受け継ぎ書家としても高名であったし、四書五経にも造詣は深く、大正天皇に進講されたこともある。
そのおり皇室から二十一史の下賜があった。  


二十一史は、中国の古代から元代までの各王朝の歴史書の総称で、中身は「史記」、「前漢書」、「後漢書」、「三国志」、「晋書」、「宋書」、「南斉書」、「梁書」、「陳書」、「。後親書」、「北斉書」、「北周書」、「隋書」、「南史」、「北史」、「新唐書」、「新五代史」、「宋史」、「遼史」、「金史」、「元史」の二十一部である。これは雲峰寺の書庫に収められている貴重な蔵書である。
また陽明学に裏付けされた東洋政治哲学の権威であり、人間学にも造詣の深い師の人格の骨ともいうべき核心は、「無我・至誠の愛国心に燃える思想家」としての一面である。

老師は講義の初めにこう諭してくれた。
「日本でも古くから浸透していた儒教の教えに五常『仁・義・礼・智・信』というものがあり、この徳性を拡充することにより、人として守るべき五つの道。すなわち君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信の道をまっとうすることを説いている。このことはすでに知ってはいるとおもうが、表皮的にとらえるだけでは何の意味も持たない。言葉面よりは心で受け止めることが大事なのだ」
夢おろそかに聞き流すのは止めよう・・・・老師のその一言が教えてくれたのである。

 


 

「“仁”とは人間が守るべき理想の姿である。自分の生きている役割を理解し、自分を愛すること、そして身近な人間を愛し、ひいては広く人を愛することだ。義・礼・智・信それぞれの徳を守り、真心と思いやりを持ち誠実に人と接するのが、仁を実践する生き方なのだよ。
例えば“武士の情け”という言葉があるが、これは仁から生じているものなのだ。単純に情け深いのではなく、自分には厳しく周囲には寛容に、かつ正義に基づいた慈愛を持って接することが大切とされているのだ。戦国武将・織田信長にはこの点が欠けており、敵ばかりでなく味方にも非情であった故に、天下統一はかなわなかったのだ」


「信長は戦国武将の中でも好きな人物ですが、その理由として柴田勝家や林秀貞といった、信長がかつて弟、信勝との家督争いを行っていた時期に信勝側についた人々を許したり、北陸戦線で秀吉が柴田勝家と仲違いして戦線を離脱した事を咎めなかったという逸話ものこっています。この“非常に寛大”さが魅力的だと思っていたのですがその非常さはどこからきたものでしょうか。それに誰もが思いつかない事を積極的に実践するという点も信長の魅力だち思っています。桶狭間の戦いの奇襲攻撃や南蛮文化を受け入れる姿勢、長篠の戦いなど戦に鉄砲を持ち込んだエピソードは非常に有名ですよね」


「たしかにそういう一面もあったかも知れぬが“鳴かぬなら殺してしまえ”の俳句のたとえの様に、比叡山焼き討ちや一向一揆など仏教勢力に対する苛烈な処置はいかがなものか。他にも、浅井長政や朝倉義景の頭蓋骨を家臣に見せたというエピソードも、信長の残忍な性格を表す逸話だろう。それにあまりにも自意識過剰であった。フロイスという宣教師は“日本においては信長自身が生きた神仏であり、石や木は神仏ではない”と述べておったと驚きを隠さず書き残している。信長は家臣の意見を聞かず、重要な事は自分で決断していた事でも分かるようにこの自信過剰さがから生じた非情さこそが身を滅ぼしたと言えるだろうな」 


「わかります」

                                                                                 続

                                                                      次回9月24日

 

2018-09-12 09:58:42

こころ絵 『消』

テーマ:アート

『消』


”の字は水を表す「さんずい」に、ちいさいをも意味する「肖」とで「水がなくなる」意から“消える”とか“消す”というはたらきを表しますね。

広辞苑で“”を牽いてみると

① あとかたもなくなる。ほろびる。少なくなる。火がきえる。
消滅・消尽・消失・消散・消長・消耗・解消・雲散霧消
② 使いつくす。ちらす。火をけす。
消費・消却・消灯・消火・消防・消化・消毒・抹消・費消・私消
③ ひかえめである。
消極」とあります。


仏教では“消化”とか“消除”あるいは“消滅”などの熟語を、悪いことや煩悩を無くしてしまうことに使うのだそうです。

」は別の物に変えてしまうこと
」は取り除いてしまうこと
」は尽きてしまうことですから、消化・消除・消滅のいずれも、意味としては大同小異ですね。

仏典中の“消化”はショウケと読み浄土宗の大切なお経のひとつ『量寿経』のなかには五戒に背くなと書かれてかれています。

五戒とは「殺すな 盗むな 浮気をするな 嘘をつくな 酒に気をつけよ」ということですね。


他はともかく“酒に気をつけよ”は身につまされるな(冷汗)。


            酒場人生覚え書き

 

消除”は災障(災いや障り)を消し去ったり、心の煩悩や迷いを取り除く事に用いてきた語です。

災障消除諸縁吉祥ならんことを」と悪い物を消除して、諸縁(もろもろの因縁)を良い物にしていきたいという願いを、ひたすらに祈り続けることこそが浄土宗の原点になっているのでしょうか。

三番目の“消滅”ですが、仏教では「悪いことが消え失せる」ことに使います。

煩悩や迷いを取り除くという点では、消除と同じです。

人々は“諸罪消滅”して、多くの善根が育つことを願うべきだと説かれていますが、諸罪とは、知らぬ間に蓄積してしまった大小の罪のことです。

 

一国の首相ともあろうお方にさえみえた『消』にまつわる諸悪の記憶も消滅しないままの厚顔無恥・・・・そんな魑魅魍魎の跋扈(ばっこ)する世の中にあって、我が身を守る『護符』がごときものととして描いてみましたが、“消化”も“”も“消滅”も、汚れきった己の浄化のために都合よく解釈していたのでは、果ては仏罰のなかで地獄に堕ちるばかりですぞォ~~~。

 

仏教の世界だけに限らず善は賞され悪は罰せられること必定ですから(冷汗)。

 

 

 

 

 

 

 

2018-09-10 09:16:06

続・続 人間機雷 321

テーマ:ブログ

第六章 夢幻泡影
三 歳月 


3 国士への道 1 (1)
矢張り秋山征志郎の勧めに従って、この雲峰寺に来たことは本当に良かった・・・・ことある度に秀敏はそう思う。
この1年足らずの間に会った人たちも、この山寺での生活に彩りを添えてくれた。
月心老師、蒔田源一、その妻(根津)貞子、そして馬賊だったという岩間権六は、ある朝、秀敏に突然挑みがかったが、敵わないと思うや研ぎ澄ました鎌で斬りかかってきたこともあった無頼者だった。
ついには雲峰寺の天狗に殺されたと噂された、村一番の乱暴者岩間権六だったが、彼の片思いの相手は事もあろうに蒔田源一の妻貞子であったことも後に知り、なぜか苦笑が腹の中に生じたりした。

その腕力自慢の無頼者権六と貞子の愛息根津銀治郎の立ち合いの様子を蒔田から聞いたときから、いずれ機会があったら月心に手ほどきを受け、蒔田に鍛え上げられたという銀治郎と竹刀を交えてみたいものだと思っている。


また今もことある度に交遊がある村の青年達も、初めのうち“あの東京もん(者)は予科練がえりらしい”と嫌悪と奇異の目にさらされよそ者扱いだった秀敏を、やがて仲間として受け入れるきっかけとなったのは公民館道場『錬成館』に暴れ込んできた権六を、こともなげに叩き伏せたことからだった。それからというもの畏敬の眼で見られるようになり、やがては村祭りの手伝いのあと車座になって一升瓶の酒を回し飲みする仲間になっていった。

そのうちの何人かは錬成館の門下生に名を連ねたが、乞われるままに村芝居の立ち回りに一工夫してやったりしたものである。それもまた楽しい想い出である。

そんななかで秀敏の苦手とするのが、月心老師に命じられた“四書五経”の素読である。
予科練時代は飛行練習生となる前の教育を受ける所だったから、カリキュラムの殆どが、手旗信号とか、鉄砲の撃ち方とかの軍隊教育と航空学の初歩的な数学、機関学、爆薬学、弾道学といった座学だった。それに帝国軍人精神を鍛えるという目的のしごきにしごかれた体育科目が加わった程度であるから、漢籍を眼にしたことも無かったし、ましてや意味も分からず繰り返す素読などは思ってもみなかった苦行である。

 


 

月心老師は村の子供たちを集めて、法話を面白おかしく聞かせたり、小学校低学年の子供らにはまず“いろは”“数字”などから始め、“甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸”の十干や“子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥”の十二支・方角・町名・村名などを学ぶ。初めは月心老師が書いて与えた「手本」を見ながら書き習うのだ。
高学年になると写経にまですすみ、そのなかから仏法を自得させる高度な教えに進むから児童のほとんどが『般若心経』や 真言宗の『光明真言』をそらんじている。
またそれに平行して週に一度は“子曰く”ではじまる論語の素読をさせている。
それは江戸時代庶民は日常生活に必要な教養を求め「読み」・「書き」を主とする簡易な教育機関であった「寺子屋」と、武家の教養を積むために設けられた「藩校」を兼ねているような教育機関のようなものであった。
村人の有志も農閑期には三々五々と集い、説法を聴き、月心老師の蔵書から借り受けた漢籍の解釈を尋ねたりしている老農夫もいたりする。すべてが老師の徳を求めての集いである。
それを横目に見ながら秀敏も不得手ながら懸命に励んだ。
四書五経とは儒教の教典で重要な9種の書物のことで、四書は、「大学」「中庸」「論語」「孟子」、五経は、「詩経」「書経」「礼記」「易 経」「春秋」だが、老師から手始めにはこれが良かろうと勧められた「論語」には、どこかで聞いたことのある言葉が出てくる論語から始めた。
老師から「日本で最も『論語』を読み込んだ人は、後に270年間続く一大時代を築いた徳川家康と、現存する多くの大手企業の元を創設した渋沢栄一なのだよ。日本史上、政治と経済でもっとも成功したリーダー2人が、2500年以上前から存在する古典から学んでいたことを覚えておくがよい。貴君のようにこれから世に出て行こうとするものにとって、徳に心しておくことが肝要なのは論語の中に出てくる儒教の教え『五常』」である」と言われたことも、論語に対する興味をかきたてられた。                                                                                                                                                                                             続 

                                                                                                             次回9月17日
 

2018-09-05 09:42:11

こころ絵 『胡蝶の夢』

テーマ:アート

『胡蝶の夢』

 

宮本武蔵の師でもあった沢庵和尚が最後に書いた一字は「」だったそうです。

ただし、添え書きはこう云います。

是もまた夢

非もまた夢

弥勒もまた夢

観音もまた夢

仏云く

まさに是の如きの観を作すべし

 

そのことから思い出すのは『荘子』にでてくる「胡蝶の夢」の話です。

あるとき、荘周(荘子)は、胡蝶(ちょうちょ)になった夢を見ました。

ひらひらと気ままに飛び回りながら、自分が荘周であることに気づきません。

ふと目覚めると、驚いて辺りを見回しているのは、まぎれもなく荘周です。

さて、これは荘周が胡蝶になった夢を見たのでしょうか、それとも胡蝶が荘周になっている夢を見ているのでしょうか・・・・

沢庵さんも死にのぞんで荘周と同じような心境になって、人生そのものを『』と見立てた一字だったのですね。

 

胡蝶の夢」の小話は“もしかしたら、夢の中にいるのかも知れないですよ”という荘子のメッセージが、三千年の時空を越えて聞こえてくるようなきがします。

 


             酒場人生覚え書き 

 

」という字を「」に象ったつもりだけど、このチョウチョは“”の

ようで不細工すぎるな(苦笑)

 

 

 

 

 

 

 

2018-09-03 09:37:17

表六玉の独り言 212

テーマ:戦争の追憶

 しんちゃん 7


(10) しんちゃん地蔵 
影絵のような幼い日の思い出だけを、探しに来たわけではない。
心の奥底で思い出したくないと蓋をした筈の地獄の残像が、その重い蓋をこじ開けるようにして湧出し、それが夢遊病者を誘うように此処を訪ねさせた。
わずか五歳で、はからずもみた地獄図は朧々とした絵空事から、いま目前で繰り広げられた現実のように、色彩も音響も匂いも痛みすらも伴って、二十歳になった男の網膜と脳裏を埋め尽くし、やがてしんちゃんの面影と共に心の奥底に深く刻み込まれた。
人生が点と点を結んだ一本線であるなら、しんちゃんこそがその起点であり、己の人生に対して思索を始めた青年期という点に直結し、以来、今に至るまで魂の中の伏流水のように流れ続けてきたのだ。

 

また地蔵絵を描き上げた・・・・どの顔も『しんちゃん』に似ている。
わずか7歳で生涯を終えた、しんちゃんは、今でも私を見守るガキ大将のままだ。
私は、『しんちゃん』の分まで生きてきたのだろうか。
私は、『しんちゃん』に恥ずかしくない生き方をしてきたのだろうか。
『しんちゃん』は「よく頑張ってきたな」とほめてくれるのだろうか、それとも「相変わらず、泣き虫ノボちゃんのままだね」と笑うのだろうか。
瞬く間に過ぎ去っていった70余年の歳月は一人を老人に変え、一人を7歳の少年のまま置き去りにしたが、『しんちゃん』が「ノボちゃんの人生、苦しかった?楽しかった?」
と、あの真っ黒に日焼けした顔で私の眼をのぞき込みながら尋ねてくる時、私は5歳の子供に戻ってしまったかのように答える言葉を失う。
いくら探し続けてもまだ見つからない、『しんちゃん』への答えの代わりに、私は地蔵絵を描き続ける。

 

 

その顔はいつも穏やかに笑っているのに、心の中では泣き、怒り、悲しんでいる自分がそこにいる。
『しんちゃん』のような悲惨な死に様をする子供が、この国で二度とあってはならないと思う一念から、俺たちが阻止しなければ誰がするんだと、60年安保闘争の国会周辺デモにも加わったけど、象に挑む蟻のような闘いに敗れ、無力感のなかで、しんちゃんに何一つ誇れなくなった。
『しんちゃん』のような子供たちといつも一緒に過ごしたいと思ったから、小学校の先生になったのに、理想と現実の狭間で負け犬のように尻尾を巻いて逃げ出してしまった。
そして彷徨い出た実社会の濁流に揉まれ魂を汚し、時に冥府魔道に迷い、煩悩の怨炎に身を焦がし、傍若無人にも生き、人の裏切りを知りそして人を裏切ってきた。
だけど今になって考えれば、難行苦行のような人生の中で迷い、悩み、苦しみながらも、生きると言うことがこれほど贅沢なことだとは思っても見なかった。

人がそれを止めてしまう時、それは死んだ時なのだから
                  ・・・・『しんちゃん』にはそれすらない。
人として物心がつきはじめた5歳の頃が、自分の人生の出発点だったと言えるけど、それは余りにも悲惨な世態の中での、起点であった。
だからそこで会った『しんちゃん』は、自分の人生を振り返るたびに思い起こさずにはいられないし、魂の奥底にはいつも、『しんちゃん』が居てくれた。
難関にぶち当たると心のどこかで、『しんちゃん』に語りかけていたような気がするが、
それは矢張り魂の根底にいてくれた父母兄弟親友のそれとは全く異質なものだったと思う。
諦観することが定めのような歳まで生きてきたけれど、未だ『しんちゃん』の魂魄にすがっている自分がそこにいる。
『しんちゃん』の命が消え、焼き焦げた一肉塊になってしまったのを見届けた朝、焼き尽くされた人家の灰燼に混じり、飴細工のように曲がった色とりどりのガラス類が、陽光を浴びて宝石のようにキラキラと輝いていた。
それを両手いっぱいに拾い集め
「しんちゃん。これはお花、これはお馬、これはお星さんだよ」
と言いながら、枕元に飾り並べたあの時から、なにも変わっていない自分がそこにいる。
ただ人間の命というものが、余りにも儚く限るあるものだと言うことを『しんちゃん』は身をもって教えてくれた。
だから精一杯懸命に生きてこられたのかもしれない。
それなのに泥沼でもがき続けるような人生の中で、知らず知らずに魂を見失い、永いこと『しんちゃん』の面影すら忘れていた。

 

ごめんな『しんちゃん』
『しんちゃん』と再びザリガニ捕りやホタル狩りが出来るのは、私の命の炎をが消えてからだけど、それがいつになるのかは神様だけが知っている事。だけどその日がくるまで一日も永く、子供のような純な心で、精一杯生きていくことが『しんちゃん』にたいして出来る最良の供養だと想っている。
『しんちゃん』に似ている地蔵絵を描き上げるたびに、人生という旅路を歩く途中で汚濁してしまった心が少しずつ洗い流されていくような気がして、今日もまた筆をとらずにはいられない。 

【 後書き 】
毎年、終戦記念日をはさんで戦争の悲惨さや、ときに日本軍や軍人を称揚するような番組やドラマが数多く放映され、書店に本が並び、さまざまな紙面にあふれ出ます。
そんな中で当時5歳の少年が体験した戦争など、取るに足らないものかも知れません。
だけど73回目の“終戦の日”を挟んで、どうしても書き残しておきたかったのが、この拙文『しんちゃん』です。
だれも読んでくれなくても書き残すこと・・・・それは私と“しんちゃん”との73年前からの約束事のように思えて仕方ありませんでした。

 

この戦争では軍人が230万人、一般人が80万人死亡しました。

しんちゃんはそのなかの一人です。

その全ての死者の思いはただひとつ「二度と戦争をしてはいけません」ということです。

その思いを次世代につなげるためにも、どうしても書き残しておきたかったのです。


お読みいただいた方、しんちゃんの霊ともども心から感謝します。

                                                                         完

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018-08-29 09:34:02

こころ絵 『糸瓜』

テーマ:アート

『糸瓜』

へちまとは、なんとも不思議な植物である。
「世の中は なんのへちまと思えども 

                                   ぶらりとしては 暮らされもせず」

と一休さんは言うが、初夏の頃からけれんみのない黄色い花をつけはじめ、秋には長い実が滑稽なほどにゆらりとぶら下がる。

この洒脱(しゃだつ)味の溢れる植物は、ウリ科のつる性一年草で、原産は熱帯アジアだという。
日本には江戸時代の初めに渡来し、これがサッパリとした気質の江戸っ子に好かれて広く栽培されるようになったらしい。
一休さんの狂歌では、ぶらりぶらりと遊びほうけている怠け者を連想してしまうが、名前も姿もユーモラスのわりには、完熟した実が朽ちるとすじだけになって「ヘチマたわし」となる。
この入浴の垢すりはアトピー性の皮膚には良いとか聞いたことがあるし、茎から液を取り出した「ヘチマ水」は上等な化粧水として女性の肌に貢献している。


『をととひの 糸瓜の水も 取らざりき』   正岡子規


漢方で言う“ヘチマの効用”は熱を除き、痰を去り、血を冷やし、解毒の効果あり、血行をを活発にして、神経系統を整え、乳の出を良くし、小便を促し、腫れをとり、痛みを去って、皮膚病を治す・・・・などが挙げられている。

            酒場人生覚え書き

 

      「糸瓜」という字を『こころ絵』にしてみたらこんな感じになりました(笑)
それにヘチマ棚の緑陰も、暑さしのぎに一役買っているという優れものなのに、なんでヘチマなんて滑稽な名がついたのだろうか。
日本に渡ってきた頃は中国にならって「絲瓜」(イトウリ)と呼ばれていたが、気の短い江戸っ子達は「どうも“イトウリ”っていうのは長ったらしくてイケねぇ“トウリ”にしちまおうぜ!!」と縮めてしまった。

が、それがまたなんで“ヘチマ”などという、縁もゆかりもない名前になってしまったのかというと“トウリ”(糸瓜)の“ト”が、いろはの“ヘとチ”の間にあることからヘチマ(間)と言われている・・・・が本当だろうか(笑)。
我が家にはヘチマならぬゴウヤが勢いよく伸び、緑陰をつくってくれている・・・・さて、江戸っ子だったらゴウヤをなんと呼ぶのだろう?

 

 

 

2018-08-27 09:35:19

表六玉の独り言 211

テーマ:戦争の追憶

 しんちゃん 6
 

(9)送り火
 それから15年後の夏、山梨大学空手道場での夏期合宿を終えた帰り道、幼い頃過ごした愛宕町のことがフト思い出され、かすかな記憶をたどりながら我が家の跡を探した。
愛宕町そのものがガリバー旅行記の街並みのように小さく感じたのは、子供の目で見ていた昔日と今との錯覚からだったろう。
大きく、広く、立派に見えた鉄の橋が、こんなに小さく狭く、みすぼらしい橋になってしまっている。
見覚えのある天神の小さな社が昔日のまま、橋のふもとに見いだせなかったら見まちがえていたに違いない。
街を横切って流れる富士川の将軍橋と三念坂橋の中間に掛かる、名前もない鉄の橋のまんなかで、子供の頃そうしたように坂の上の榎の大木を探してみたが、その姿が有ろうはずもない。
ただあの時、炎も上げず透き通ったように真っ赤に燃えた榎が、怒り狂った不動明王のように太い腕を天に向けて突き上げ、足を踏ん張って立ち続けていた情景がありありと思い出され、いっしゅん身震いに似た衝動が心の中を駆け抜けた。
眺め下ろした我が家の辺りには、軒を寄せ合って家々がひしめき建ち、あまりの変わりように親しみも懐かしさも湧いてこない。
立ち寄ったその街は、通りすがりの旅人が抱く少しばかりの感傷をも、他人の顔で拒絶しているかのようだった。
のろのろと後ずさりをするように天神さんまで戻り、真似事のように手を合わせ、立ち去ろうとした時である、“どうしなすった?”と、天神社前の家のうす暗い玄関に腰掛けた老婆が、ジッと見つめながら声をかけてきた。
「別にどうってこと無いですけど」
悪いところを見つかった子供のように、しどろもどろと答えた。
「さっきから橋の上に立って居なさったみたいだったし、気になってねぇ」
「いやぁ、昔この辺りに住んでいたものですから、懐かしくて来たんですよ」
「昔?昔っていつ頃だい」
その老婆の連れ合いとおぼしき痩せこけた老人が、家の奥から顔を出して尋ねた。
足が不自由の様子だった。
「終戦前です。空襲で焼け出され田舎に引っ込んだんですよ」
「どの辺りに住んでいたの」
「ちょうどあの橋の中程から見下ろす、向こう岸あたりです」
ちびた草履をひっかけ家を出てきた老夫婦は、私の指さす方を見やった。
「あの辺りは石原さんの家があったところだが。すると、あんたは石原さんトコの子かい?!」
それまで無表情だった二人が、突然と生気を吹き込まれたように強い口調で言った。
「そうです、石原です。四男の登です」
頭の先から全身までしげしげと眺め、身を寄せてきた。
「本当に、のぼるちゃん・・・・お母さんは元気なの?お父さんやみんなは」
胸の辺りまでしかない小柄な老婆は、目に涙を浮かべ、口元をわななかせ、撫でるように私の手を取った。
「大きくなったわねえ、そう言われれば子供の頃の面影はあるし、お父さんにそっくり」
老夫婦は戸惑う私の手を取ると家の中に引っ張った。
他に同居する人もいないのだろう、その薄暗い小さな家からは生彩というものが感じられなかった。
 その老夫妻は、戦前からこの場所に住み、隣組ということもあって私の家とも懇意にしていたらしかった。
あの空襲では延焼を免れ、九死に一生を得て生き延びたが、少年航空兵に志願した長男は『立派にお国のために戦って戦死しました』と戦死公報は届いたものの、一片の遺骨すらこの家に戻ってこないという。
今はこうして二人だけで余生を送り、万が一にも少年航空兵だった息子がどこかで生きていら、必ずこの家を目指して帰ってくると考え続けての歳月でもあったという。
それに親子三人で空襲下を逃げまどう間に、はぐれた次男は焼け野原を三日三晩探し続けてもその亡骸さえ見つからず、その子の供養のためにもこの家を離れる気になれなかった。だから誰一人として昔の知人が住まなくなってしまったこの町に、こうして今も住んでいると時には涙を流して話し続けた。

 


もしかしたら目の前にひょっこりと、“今、帰ってきました”と二人の息子が姿を現すのを、長いあいだ待ち続けた老夫婦は、私を帰らぬ我が子の代わりとして、見ていたのかもしれない。


いつしか戸外の夕闇が家の中まで流れ込んでいた。
なにも無いが夕食を一緒に、と、ひき留められたが、とてもその気になれず家の者が心配しますからと断った。
「息子が帰ってきたような気がしてねぇ。あんまり遅くなると親御さんも心配するだろうし、おじいさん心残りだけど仕方ないねぇ。学校の帰りにでもまた寄って下さいよ」
「のぼるさんにこうして会えたのも何かの縁だ。どうだろう、せめて送り火を一緒にしてもらえまいか」
旧盆の最後の日だった。
真菰に包んだ盆の供物を抱えた二人の後に着いて、橋の下に降り川岸に行った。
夕暮れ迫る川端のあちこちに、家々で焚く淋しげに美しい送り火が川面に映る。
暗くなるにつれて数は増え、その幽玄さに言い難い衝動を感じた。
それは、時には恐怖におののきながら眺めた焼夷弾の炎となって映り、また、この川で生命を失った人々の怨念の炎となって胸中をかけめぐった。
このうちの小さな炎の一つは、あのしんちゃんの魂の炎でもあろう。
私にとっては見覚えすらない老夫婦であったが、川面に浮かんでは消える、しんちゃんの笑顔と断末魔の顔によって呪縛され、去りがたい情念に囚われるまま、小さな背中の二人と並び手を合わせ祈り続けた。
「ケンちゃん、トモちゃん、また来年のお盆さんに待っているからね」
チロチロと燃える送り火に照らし出された、しわ深い頬には涙が流れ光っていた。
“しんちゃん安らかに・・・・”川面を流れていく精霊舟の余りにもか細い灯に向かって心の中で呟いた。
何故か腹の底から悲しみが湧き、口惜しさが溢れ、こみ上げる嗚咽をのどでぐっとかみ殺した。
ひとつ、またひとつと送り火も消え、川杭にひっかかった精霊舟の灯も消え果て、辺りに闇と静寂だけが残る頃、その老夫婦に別れを告げ帰途についた。
ふと、坂の上の榎の辺りを振り返った。
愛宕山のシルエットだけが、星空の中に押しつけられていた。

 

もう此処には来たくない。
何故かそう思った。
                                                                             続

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2018-08-22 09:58:04

こころ絵 『顰みに倣う』

テーマ:アート

『顰みに倣う』
 

眉間にしわをよせて顔をしかめることを「顰む」(ひそむ)というのだが、中国の春秋時代、越の国に“西施”という、楊貴妃・王昭君・虞美人と並ぶ古代中国四大美人の一人がいた。
西施さんは春秋時代も末に近い呉・越両国の抗争がしきりな頃、越“勾践”が呉王“夫差”の油断を誘うために献じた美姫五十人の中でも随一の女性なのだ。
その西施が胸の病にかかり、郷里に帰省したときのことである。
痛む胸を押さえ押さえ、眉を顰めて歩いていても流石は絶世の美人、得も言われぬ風情で、見る人々をウットリさせる。
それを見ていたのが村でも評判の大醜女の某女、自分もシャナリ・シャナリと胸を押さえ、眉を顰めて村の通りを歩いてみたが、村人達はウットリ見惚れてくれるどころではない。

         
          酒場人生覚え書き

ただでさえグロテスクな女の、とんでもない恰好に怖じ気づいて、金持ちの家では大門をピシャリと閉ざして外に出ようとせず、貧しい家でも、男達は妻子の手を引いて、村の外まで逃げ出してしまった。

そこから良し悪しも考えずに、人真似をすることを『顰みに倣う』という。
出典は中国の『荘子』で、当時の儒家たちがその“範”を過去に求める傾向を皮肉った一文である。
荘子は孔子の弟子の顔淵と、道家の師金と言う人物の対話の中で、師金の語る孔子批評の言葉に関連させている。
つまり春秋の乱世に生まれて、魯や衛の国に、かつての華やかりし周王朝の理想政治を再現させようと言うのは、とんでもない身のほど知らず、西施の顰みを真似る醜女みたいなもので、人から相手にされようがないと言い放ったのだ。

 

某国の某党はまずはここから学ばなければなるまい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018-08-20 09:33:28

表六玉の独り言 210

テーマ:戦争の追憶

 しんちゃん 5
 

(7) 地獄図 2
小さな家の小さな焼け跡だった。異様な匂いのする煙がモヤのように立ちこめる
その向こうから、悲鳴に近い泣き声を上げて、小さな子供の影がヨタヨタと近づいてきた。
「お母アちゃーん、お母アちゃーん、痛いよう! 痛いよう!」
服はベルトの部分だけを残して焼き尽くされ、炭のように真っ黒に焼けただれた顔や、身体のあちこちから血が流れ出している。
「あっ!しんちゃんだ!」
兄が叫んだ。
「おい!しんちゃん!しっかりしろ!」
父も母もその小さな影に駆け寄ると、母が抱きかかえ父が防空壕から引っ張り出した軍用毛布の上に寝かせた。
「お母アちゃんがいないよぉ~、お父ちゃんがいないよぉ~、痛いよぉ~痛いよぉ~」
「今探してきてあげるよ!」
父がしんちゃんの耳元で叫んだが、その顔を上げると母に向かって首を横に振った。すでにしんちゃんの両親も、幼い妹も、まるでひとかたまりのタドンのように重なり合って死んでいるのを知っていたのだ。
母は水筒から水を飲ませたが、貪るように飲むとゴボゴボとはき出し、焼けただれた首筋にこぼれ落ちた。 


(8) のぼちゃん、アバナ
このボロ屑のような子供が、つい昨日の夕方まで一緒に遊んでいた元気で優しい、腕白坊主のしんちゃんだとは、どうしても信じられなかった。
苦痛のあまりに目をむきだして泣き叫ぶ形相のすごさに、しんちゃんと呼びかけることも出来ず、涙だけがボロボロとこぼれおちた。

 


 翌日、父や兄は焼け残りの棒杭やトタンでバラック小屋を建てたが、家族が身を寄せ合い、やっと雨露を凌げるほど小さなものだった。急場しのぎのカマドも作った。
食品工場や倉庫からの放出品だろうか、お手玉のようにふくらんだ缶詰や、水飴が焦げたような砂糖なども配給された。
町内の炊き出しに場には長蛇の列ができ、手に手に食器や飯ごうを持って並んでいる。
そのすぐ近くの空き地に、男女の判別もつかない焼死体が何百と並べられ、その列の間を肉親を捜して歩く人々がいた、しんちゃんの両親も妹もその中に並んでいたのだろう。
錯乱したように泣き叫び、口から鼻から、耳からどす黒い血のアワを吹き出し、全身の焼き焦げを掻きむしって苦しみ続けていたしんちゃんが、フト静かになったのはそれから三日ほど経ってからだった。
「しんちゃん、しんちゃん」
と泣きながら、全身から滲み出る血を、濡れ手拭いで拭いてやっている時だった。
スーッと目が閉じられ、何かをつぶやいた。
「のぼちゃん、アバナ、またあしたナ・・・・」
「ナニ?しんちゃん!なんて言ったの」
焼きただれた口元に耳を近づけ聞きただしたが、微かに開かれた口はすでに息をしていなかった。
「しんちゃんが死んじゃったア」
泣き叫んだ私の声に父も母も駆け寄ってきたが、その顔は余りにも無表情だったような気がする。
「よく看てやったな」
父がポツリと言った。
「しんちゃんがネ、またあしたネって言ってたよ」
と泣きじゃくりながら話した。
「そう・・・・」
母は流れる涙をそのままに、私の肩をぎゅっと抱いた。
青空の広がる太陽の下でザリガニを採り、夕焼け空の中で缶蹴りをして遊んでいる自分を思い浮かべていたのだろうか、そして、私が家の中に消えるまで、門の所に立ち見送ってくれたしんちゃんが、いつも最後に言ったのが「のぼちゃん、アバナ、また明日遊ぼうナ」だった。
つい先日までの思い出が、死に瀕したしんちゃんの脳裏を、走馬燈のように駆けめぐっていたのかも知れない。
のぼちゃん、敵が攻めてきたらオレがやっつけてやるからナ!、と、真っ黒に日焼けした顔で胸を張っていたしんちゃんの、キラキラ輝く目がいつまでも忘れられなかった。
ムラ雲のごとく飛来したB29に、しんちゃんは石を投げつけたのだろうか、暗黒の空の果てを睨みつけていたのだろうか。
B29の爆撃手は、そんな幼い命が真下にいることを知りながら、雨のごとく焼夷弾を投下したのだろうか。

                                                                                続

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