FUJITA'S BAR

酒場は、人と人の架け橋のような気がしながらカウンターに立ち続け、もう少しで

半世紀

その歳月の中で出会い、そして去っていった人々の面影も今は定かではない。

歩み続けた足跡の上に歳月が降り積み、全てが茫洋とする前に、せめて書き留

めておこう思ったのがこのブログである。

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2017-09-25 09:32:00

続・続 人間機雷 282

テーマ:小説

第三章 夢幻泡影
二 孤 旅
4 権六の恋(9)


「見抜いたとも。蒔田さんにしてもそうであったろう。だけどあれの話を聞いているうちに、憐れを感じてしまってのう。それもこれも子供の頃一度預かりながら、わしの力がおよばなんだばっかりに、人殺しをなんとも思わぬ鬼畜になりはててしまった。あれの親父さんに成り代わってお願いしたい」


『剣の道は人の道そのものである』の信念を仏法に添えて人を教導してきた、最後の剣聖と言われる月心老師であればこその言葉だったかも知れない。
己の余命を見透かしたように言った71歳の月心であったが、その実80歳まで長生きすることになる。またそれにふさわしい気力・精力に満ち満ちた矍鑠たるものであればこそ
蒔田は月心老師が権六の稽古を観てやってくれと言った真意を考えた。
思い当たったのは権六が命を的にして、殺戮を重ねてきた過去にあることを、老師が見抜いたからであろうということだった。
なればこそ権六の教導を任されたに違いない。
蒔田源一は軍隊時代に連隊でも一・二を争う剣士であった。
第二次世界大戦開戦により、日本は戦時体制に入ったのだが、戦時中の剣道は、戦場での白兵戦を想定して行われ、競技としての剣道とは一線を画したものとなった。
“打突”を“斬突”という表現で呼称し、攻撃的な先の技を重視して、軽い打ちや片手技は認めないものとされ試合は一本勝負が奨励された。
蛇足だが打突とは、剣道などにおける技のことで、面・小手・胴・突きの四種のことである。それを“斬突”と言い換えたことでも分かるように、敵を斬って倒す殺人剣であり戦場での総合的な戦闘技術である「兵法」の一種であった昔に戻ったなかでの鍛錬であった。

 


月心老師は蒔田を薫陶するなかで、剣禅一致の活人剣として蘇らせてくれたのだ。
ならばこそ権六の武術とも言えぬ殺法を、蒔田にまかせることによって、蒔田自身が“殺”の意識を捨て“活”の意識のなかで剣の道を歩んできたのであるから、権六をも同じ道を歩ませ、果てに人格形成をさせよということであろう。
若いときならともかく40歳を超えた権六に、この月心老師の念いが通じ、真っ当な星の下に連れ戻すことが出来るのだろうか・・・・蒔田はそう思った。

稽古の開始は松飾りがとれる頃と言っておいたにも関わらず、権六は正月三が日を過ぎると、いそいそと雲峰寺に顔を出した。
「おはようごいす。誰かいるだけえ。おはようごいす」
と大声を張り上げた。
「まあ、権六さん。こんなに早くからどうしました」
応対に出た貞子が怪訝な顔で問い返した。
「どうしたでじゃねえずら。剣道を教えてもらいに来ただよ」
権六はこれ以上優しい声は出来ぬほどの“猫なで声”で愛想良く答えた。
「ご老師様は檀家に呼ばれまして、ご不在ですが・・・・」
「蒔田っちゅうのがいるずら。そいつに取り次いでくりょう。何でもそれがオレに手ほどきしてくれるっちゅうこんだに」
「生憎と蒔田さんもお出かけになってますが」
「居留守じゃあネエだけ」
玄関口から中を覗き込むようにして、声を張り上げた。
「申し訳ありません。また出直してきていただけませんか」
「待たしてもらうわけにはいかんけ」
「いまは私と息子の銀治郎のみでございますから、ご老師様のお許しも無くお待ちいただくわけにはいきません。申し訳ございません」
「このくそっ寒いなかを出てきたっちゅうのに、つれねえこん言うちょしねえ」
                                                          

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2017-09-22 10:52:08

”【怒り心頭】平昌五輪のシンボルは原爆だった!”

テーマ:ブログ


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2017-09-22 09:35:00

表六玉の独り言 190

テーマ:酒場親父の思い出話

 イカロスの飛翔


  その一 望蜀の渇き 2


 われわれの親会社にあたるのは、D電子工業の持株の絶対数を保持し、なかば強制的に総販売権を握った“B産業”という内幸町の商社だった。本業は輸出入の業者だったが、プラスチック成型原料の販売では業界で最右翼と言われるばかりか、金になればオモチャの販売から、飼料用牧草の販売まで何でもやっている様子だった。
 疎利益80%近いカラオケシステム販売を、全国規模で行おうと考えるB産業は、やり手だが、どことなく人のよさそうなN課長を担当とし、まず我々の会社に、神奈川県、静岡県、山梨県の販売圈を与えて来た。
“本来なら数百万の保証金を入れてもらうところですが、D電子工業のKさんの紹介でもあり、また、提出していただい た販売企画書は立派なものですので、保証金は結構です。決済期間も特別に長期にしましょう”と、願ってもない条件で契約を完了、内幸町の大きなビルから出て来る時は、得意満面であった。
 順風満帆のすべり出しに、社員たちも燃えた。神奈川県下のあらゆる盛り場に、売込みやリースが開始された。
 静岡担当のOやNは、観光地の温泉旅館を片っぱしから歩きまわった。静岡県旅館組合の指定を受けたのは、展示即売会等の便宜を計ってもらうのに好都合だった。
 営業部長のHは、彼の発案である利殖販売方式に専念した。
 利殖販売方式とは、飲食店にリースとして設置してあるカラオケを10台、20台とまとめて販売するのである。

カラオケを有料使用にし、百円玉をお客様に投入してもらう。二口は月額1万円か投入されていれば、20台では月額20万になる計算である。一日十曲、投入金額が1000円とすると一台3万で、20台では60万にもなる計算が成り立ち、店側と7対3で分けたとしても42万は収入となる訳である。

 


 それを実に巧妙に説明し、カラオケ・システムのリース会 社のオーナーとして、ぜひ、手持ち資金で挑戦してみて下さいと口説き落とすのである。
ワンシステム18万円、10台で120万円、3ヶ月では360万円にもなるが、それだけの投資で、月に20万円から40万円もの利益を生み出す事を考えれば、無理をしてでもそれに賭けてみるのが人情だろう。ましてや、多少余裕のある資金運用をあれこれと考えている人たちにとっては、魅力的な利殖方法でもあるはずである。
 小型機種は仕切値4万円、一台の疎利は14万円にもなる訳だ。

そして、それは結構図に当たり、飲食店買い取り分も入れて販売実績を上げ、面白いほど儲かった。
 静岡県の静岡駅前に営業所を開設した。常駐員を置き、そこを基地として遠くは名古屋から、山奥の温泉地まで販売活動をくりひろげた。そのころの事だから、カラオケーシステムを理解してもらうのに多少難渋することもあったが、歩合給に燃える社員たちは、神奈川県担当も静岡県担当も猛烈に売りまくった。
 私はというと、営業経験など全くない訳だから、もっぱら B産業の渉外とか、指定業者としての契約を取りつけるため、様々な組合、協会などの団体との交渉に専念した。
横浜・麦田に開いた石原総合企画の事務所は、日々活気にあふれた。
 Hのすすめもあって新設した社長室兼応接室のふかぶかとした椅子に身をうずめた時、これが長い間自分の追い求めていた、自分の理想図ではなかったろうか、と自信に満ちあふれたものだった。調度品も、一流とはいかなくても豪奢をきわめた、利殖販売の顧客に対し、会社としての信用を感じさせるためにも必要だと考えるHの演出だった。


日本列島改造論の余波を受け、見せかけの好景気は世間にあふれ、土地ブームから国民総利殖の感があった。猫も杓子も鵜の目、鷹の目で金儲けのネタを探す有様だから、まさに適在適所、図星に当たった訳である。
「ぼんそわーる」の二、三か月分の利益を、一度の商談で得る事もあり、それが私自身どうしても、店とは疎遠になり、 新会社に入れこんで行く破目になった。
 私のいない「ぼんそわーる」は不安気に留守を守る女の子  たちにまかされる格好となり、精一杯の努力にもかかわらず主のいない悲しさ、日に日に衰退していく有様だった。
 それでも、そんな状況すら気にならないほどの慢心ぶりも、一年近くたってからだろうか、そんな好況にかげりが出てきて、一度に吹き飛んだ。

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2017-09-20 09:30:00

こころ絵 『貧者の一灯』

テーマ:アート

その昔、お釈迦様が王舎城の近くで説法していた時のことです。
ある日、お釈迦様が町に来ると知った王様は“万灯”をかかげて、供養することにしました。
城下のかたすみに住む貧乏な老婆も、それを聞いて何とか供養したいと望んだのですが、一文のお金も持っておりません。
そこで通行人からお金を恵んでもらい、わずかばかりの油を買いにいくと、油屋の主人は「あなたは明日の食事にも困っているのになぜ油を買うのか」と聞きました。
老婆が「貧しい自分だがせめて一灯だけでも供養したいと、やっとのことでお金を乞うてきました」と話すと、油屋は感動して自分からもあなたに喜捨(貧しい人に施すこと)したいと申し出てくれました。
釈迦の前には他の信者からの灯もあり、老婆の灯りはいかにもみすぼらしく、今にも消えてしまいそうなものでした。
ところが、そこに風が吹き、全ての灯明を消し去ってしまった時のこと、ただ1つその老婆の捧げた灯りだけが残っていたというのです。

 


                       酒場人生覚え書き

 

豊かな財力によって灯された万灯よりも、実の真心による一灯のほうが尊い・・・・同じひとつの行動でも、そこにかけた労苦や犠牲、献身の度合いでその価値が決まるという教えですね。
自滅への道を、ひたひたと歩み続けているようなこの国のことを思えば、先の見えない暗黒を嘆くよりまず自分が貧しくとも一灯をともし、一隅を照らしたいなどと考えます。

やがて万民がひとり一灯もってこの国を照らしてくれたら、子供達のために明るい日本を残すことが出来ます。
取るに足らない『こころ絵』ですが、そんな念いも心のどこかにありながら描き続けています(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017-09-18 09:00:00

続・続 人間機雷 281

テーマ:小説

第三章 夢幻泡影
二 孤 旅
4 権六の恋(8)


「ふーん、そおけえ。ほいでもっていつから教えてくれるで」
「松がとれてからにしましょうか。権六さんはそれでいいですか」
「おりゃあ明日からでもいいだよ」
と言いつつ、貞子の顔をチラリと見やった。
権六があらためて剣道の稽古をしたいなどと言い出したのは、“天女様”のごとき貞子の顔を毎日でも拝みたいと思ってのことである。稽古にかこつけてここにさえ来ればそれがかなう。その為には面倒くさい竹刀振りもいとわない気持ちになっていた。
やがて上首尾に気をよくした権六は、重箱に詰めたおせち料理を抱え、ほろ酔い気分で帰って行った。
貞子親子が寝所にさがってからも、月心老師と蒔田は酒を酌み交わしていた。
「蒔田さん、あの通り軽佻浮薄きわまりない礼儀知らずの男だが、ひとつ根性をたたき直してやってくれまいか。あれの死んだ親父さんが、涙を流しながらから、“親の言うことも聞かない出来損ないの馬鹿息子だが、月心さんの力でなんとか人並みの男にしてくれ”と頼まれたときのことが忘れられんのだよ。このままあの男を放って置いたのでは、その約束が守れない。しかし、子供の頃に比べたら、どう道を誤ったものか鬼畜のような男になりはてて戻ってきたことが憐れでもある。あれを少しでも真っ当な男にするのには、よほど長い年月が必要だろう。じゃによってあれを剣の教導によって、仕立て直すのにはわしの余命ではとうてい及ばぬ。蒔田さんにお願いするしかないのじゃよ」

 

 

「分かりました。及ばずながら共に研鑽を積んでみたいと思います」
「あれは何人も命を奪ってきているだろう。それも己の我欲のための殺戮だ。馬賊の頭目云々などと言う嘘で固めたホラ話のなかにそれを感じるし、大体あの男の眼がそれを物語っている。銃か剣か分からぬが、あやつによって血を流して死んでいった者達の怨念が、あやつを狂わせ、それがあの眼の有り様となって現れているのじゃな」
「人のこころの有り様は眼に現れると言いますからなあ」
「幼かったこともあろうが、子供の頃の権六はまだ純真さがあった。それがあのように豹変してしまったことには、わしもいささか驚いているのだが、それについてはこんな説も考えられる。中国の干支九星学や易学や陰陽学などによれば、天地の軌と、人それぞれの生年月日による星との関係は、年毎に変るものなのだそうな。その折の、人びとそれぞれにちがう星の累及によって、その人柄も急に別人のごとく、人柄が変ってしまうというのだ。それは権六に限らずよくあることだ。その年々、月々、日々によって、人それぞれに、大自然の運行がさだめた星の上へ移り変ってゆく。その影響を受ける人もあり、それが表にあらわれぬように見える人もあるが、だれもが影響を受けていることは、たしかなことのようにおもわれる。それを知らずして、たとえば殺気や災難にみちみちた星の方位へ身が移ったりするときは、われ知らずその星の殺気が心身に移るゆえ、人が変ったようになってしまうのじゃよ。

そしてまた年が変り、自分の星が本来の姿にもどったときは、その人もまた、以前の人柄にもどるのだが、なれど、そのときはすでに遅く、殺気・災難の星の影響をうけ、おのれの運を失う人も多いそうな。だが、あやつが子供の頃に戻って剣を学びたいなどと言うところを見ると、まだ救済の道が残っていると信じたいのじゃよ。心身を鍛え直して二十数年前の星の元に戻してやりたいものじゃ。あれほどの嘘八百を並べたてなければ、わしの前にも顔は出せなかったと言うことだな。想えばかわいそうな男よ。すべての責め苦はわしにある」
「それでは権六さんの話が嘘で固められていたと・・・・」
月心老師ともあろうお方が、なんで権六の嘘を見抜けないのだろうと、苛立ちさえ覚えた蒔田源一であったが、矢張りすべてを看破していたのだ。
                                                          

 

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2017-09-15 09:18:00

表六玉の独り言 189

テーマ:酒場親父の思い出話

 イカロスの飛翔


  その一 望蜀の渇き 1

 めくらめっぽう生きてきた。
 走り続ければ、いつかどこかに安住の地かおりそうな気がして……時に迷路が、時に険しく立ちはだかる剣が峰もあった。      
 たとえその道がどうであるうと、走り続けなければ負ける、長距離ランナーの毎日だった。けれど、何年走り続けようとけっしてゴールのないその恐怖は、ともすれば巨大な岩石にも似て、私を押しつぶそうとする。
 なぐさめ、励ましてくれる人の温情もあった、と同時に、とことん私をたたきのめす人の裏切りも、汚らしさも知った。
教員時代以後は、どちらかというと楽しさは少なく、つらい事ばかりが、胸の中を齎りきざみ。生きる事”の本当のつらさをも知った。酔客の罵声に身を震わせてこらえた事も数 切れない。
 しかし、自分で愛想をつかし、飛び出したとはいえ、。教員失格者”のレッテルを貼られた人間が、水商売という未知の世界で生きてゆく事は並たいていのものではない。
屈辱はメシになるガという事も体験的に学び、その等価交換に耐えた。
 その反面、だからこそ常に心の片隅で、夜行動物のような今の生き方からいつか抜け出し、あの明るい太陽の下で生きてやろうI‐-と考え続けたのだった。どんなに苦しくても走り続けなければならないのが人生ならば、太陽の下で走り続けたかった。どんなきっかけでもいい、昼間できる仕事が見つかったら、その時けっして離すまい、と考えた。
 それは、中途半端な看板会社への出資となり、結局は詐欺師Yやパクリ屋Jのマスターの好餌となって終かったのも、そんな情けない焦燥がなせる結果だったのかもしれない。
 あまりにも強烈な太陽光線に眼を焼かれ、あわてて土中に深く逃げかくれるもぐらにも似て、暫くは息を殺すかの如く、カウンターの中で働いていた。
そんなあわれな時の自分にとって、この“ぼんそわ-る”は毋の胎内にも似て、本当に安全な、しばしの安らぎの場所であった。酔客の罵声も、揶揄も懐かしくさえ感じたものだった。それも、また再び望蜀の渇きは胸をひからびかせ、垣間見た陽光あふれるあの世界は、しびれるような魅力をもって再び私をさいなむのである。
 俺の一生がこんなもので終かったのなら“教え子”はどう考え、落胆するだろうか。

 

                               
   

絶対この薄暗いカウンターの中から飛びたってやる!・・・・その夢は、とうとうカラオヶ機器の販売会社『石原総合企画有限会社』の設立という結果となって実現した。

 というのも、役人生活にあきたらず、脱サラをし、東京下町の電気部品製造工場の専務をしているKさんは、兄の役人時代の友人だった。
 そのKさんのD電子工業で最近手がけ始めたのが、関西でブームのカラオケ・システムだった。兄の紹介で、説明方々売込みに来だのがきっかけになり、実は神奈川県での販売会 社を探しているlという話しから始まった事だった。
 当時とすれば、まことに斬新で、可能性を含んだ職業と思えた。関西を発祥の地とするカラオケ・システムはまだまだ知られておらず、この関内でもカラオケを置く店など皆無にしかった。ましてや、今の自分の仕事からしても、大いに関係ある仕事だし、経験からしても大いに自信を持ってよかった。


 元・相場師のHはいつも一攫千金を夢みる野望家で、私より年上だったが、常日ごろ妙にウマがあった友人たった。抜群の営業センスを持ちながらも、会社にあっては上司とやりあい、しくじる事が多かった。私の企画を聞くと、まっ先に参加した男だった。
 学歴もあり、才能もあるNとKは、仲間としてインテリア会社をやっていたのだが、クソ真面目がわざわいして、損ばかりしており、転換を計りたいと思っていた矢先だっただけに、さっそく東京の事務所をひき払い、仲間に加わった。経済専攻だったNは、係数管理をやらせたら抜群たったし、Kは消防署に勤めた経験を持つ剣道の達人だった。
  家の仕事を手伝っていた友人のOは、パクリ屋Jの所ヘー緒にかけ合いにいった仲間でもあったが、やはり今度の旗上げに自分の愛車を提供してまでの参加だった。
 新聞広告で応募してきたSは、東北訛りの強い素朴な男で、自分でレコード販売店を持つ事を夢見ていた。川崎の鉄工所を辞しての応募だった。

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2017-09-11 09:16:00

続・続 人間機雷 280

テーマ:小説

第三章 夢幻泡影
二 孤 旅
4 権六の恋(7)


「わしでは無い。仏様のおかげじゃ・・・・仏様のお導きであることを忘れるでないぞ」
「うんにゃ。和尚様のおかげだ。ガキの頃さんざん竹刀でぶっ叩かれながら、剣道を教えてくれたけんど、あれが向こうじゃなんぼにか役立ったかしれんだ。おれが馬賊の頭目になれたのも、あの教えがあったからだに。手下どもにもうろ覚えだったけんど、見よう見まねで、日本の剣道を教えたダヨ。ふんだからなんぼう強い奴らでも負けることは無かっただ。斬って斬って斬りまくっただに」
「これ権六。わしは仏に仕える身じゃ。人を斬り殺す技なぞ教えたつもりはない。剣の道というのは、それを通して人間としてのいちばん大事な精神を学び、徳を積むことじゃ。少し難しいかも知れんが、愛・寛容・他人への同情や憐れみの心を徳という。徳を積むとは剣を学ぶ者が目指す最高の目標なのだ。お前の話を聞いていると、なまじ剣の道を教えたことが悔やまれるわい」
月心老師は苦々しく言ったが、蒔田源一は相変わらず冷ややかな眼で権六を見ている。
馬賊“尚旭東”に拾われて、仲間とも言えない最下層でウロウロとしていたに違いないと看破したのかも知れない。

 


月心老師ともあろうお方が、なんで権六の嘘を見抜けないのだろうと、苛立ちさえ覚えたし、古希を越え今年で71歳になり慈愛に満ちた仏様のような老師に、ぬけぬけと真っ赤な嘘をしゃべり続ける権六に呆れかえっててもいた。
「和尚さん、お願いがごいす」
「なんじゃ、申してみよ」
「もう一度、オレに剣道を教えてくりょう。一生懸命稽古をして、和尚さんの言う立派な心を持った人間になりてえだ。ごみしんでごいす(どうぞお願いします)」
「なに、お前が剣の修行をし直したいと申すのか・・・・」
「そうでごいす。生まれ変わった気になって、和尚さんの言う徳を積みたいんでごいす」
「どうじゃろなあ蒔田さん。わしもこの年だし、初手から教えることも億劫じゃ。権六の願いを聞いて、手ほどきしてやってくれまいか」
「はい、ご老師様がやれというならやりますが・・・・」
「それでよいかのう、権六。蒔田さんは軍隊時代からの剣の修行を積んでこられて、この辺りの剣士では歯が立たぬほどの名人じゃ」
「オマンが教えてくれるだけ・・・・」
じろりと蒔田源一を見やって言った。
「これ権六!蒔田先生に向かってオマンという言い方はないだろう。馬鹿め!!これからは剣の修行のお師匠さまぞ!そのような態度で修業が出来るものか!無礼にもほどがある」
月心は珍しく怒気を込めて怒鳴りつけた。
並のものの怒声ではない。さしもの権六も首をすくめるほどであった。
「そりゃあすまんこんで。蒔田センセイよろしく頼むずら」
権六は蒔田に向かって不承不承に頭を下げた。
「はい、こちらこそよろしく。私とてまだまだ修行の足らぬ身です。お互いご老師様の元で研鑽に励みましょう。銀治郎君もともにな」
「はい、僕も負けずに頑張ります。権六さんよろしくお願いします」
「坊主も剣道やるだけ」
「はい、剣道が大好きです」
「銀治郎君は戦時間際の山梨県の剣道大会小学生の部で、わずか4年で準優勝したのですよ。それも月心老師の指導を受けていればこその栄誉でした。その後占領軍の武道禁止令のためそのような大会も無くなってしまいましたが、あれば必ずや良い成績を収めるだけの実力を持っています」
「ふーん、そおけえ。ほいでもっていつから教えてくれるで」
「松がとれてからにしましょうか。権六さんはそれでいいですか」
「おりゃあ明日からでもいいだよ」
と言いつつ、貞子の顔をチラリと見やった。

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2017-09-08 09:40:00

表六玉の独り言188

テーマ:酒場親父の思い出話

歩々是道場 11
哀愁酒場の巻

「あんたの友達かい、あの学生ら、そりゃ済まなかったねエ」
私と同年輩くらいの若造にしては、妙に大人びた口のきき方をする親玉らしき男は、形式ばかりのワビを入れてきた。輩下の連中は野次馬を追い帰している。思いがけない幕切れに野次馬たちもつまらなそうに散っていった。
Sと親玉は、私が“らいらい”でアルバイトをしているのを知ると、半ば強引に連れだって来た。
 彼等は新天街を根城とする城北グループの不良連中で、親玉の背の高い男は“辰”と呼ばれる何代目かのボスであった。
この城北グループと呼ばれる愚連隊は下町のヤクザK一家の下部組織のようなものであった。本物のヤクザを目指す辰は、大人びた口調でしきりに私の度胸の良さを賞め、ほめることで己の優位を誇示しようとしていた。
 聞けばヤキを入れられていたH達に落度はあったようで、迷惑を被った店から要請されての出動であったらしい。その上うちの学生と城北グループの対立はかなり以前から続き、互いにやったりやられたりして いた遺恨もあったのだ。
 手当を済ませたHとUが辰の不良仲間に連れられ店に顔を出した。
「いやあうちのモンが世話になった石さんのダチとは知らず済まなかったね」
奇妙なとり合わせの客に不気嫌さをかくそうともしないママに、辰は再度ビールを頼むと「これで水に流してくれ」と二人に注いだ。あと一人は病院に連れて行ったという。
これ以上もめ事はたくさんとばかり、二人を外に押し出すように送り出して帰した。
「すまん」
Hが帰りしなポツンと言った。



 

その夜を契機に“らいらい”でのバイトは辞める事にした。
「ご迷惑かけるといけませんので……」という私の言葉に、ママは待ってましたとばかりに二つ返事で了解した。
バイト代数千円はその夜のうちに辰との飲み代で消えたが、以後、新天街での学生と不良の対立はプッツリと無くなった。
    
その後、辰は持前の糞度胸と気っ風の良さでまたたく間にK一家の準幹部までのし上っていったのだが、その間もヤクザと学生の奇妙な友情は続いた。その辰も数年後におきたY一家との抗争後、消息すら判らなくなってしまった。新勢力によって消されたとも、他県で土方をしているのを見たとも噂されたが、それ以後、再び逢うこともない。
流浪する魂の中で知り合い、そしてまた逢う事もなかったママも、じゅんちゃんも、私の中に“泥水すすっても生きていく”という精神を残してくれた事は確かな事実だった。
 


 その年も明け、再び学校が始まった頃、学生控室に私宛の清酒二升が届けられた。Hからのものだった。
 喜んだのは、あのH一派からの防禦的意味あいで、なんとなくたむろしていた連中だった。単純に恭順の意で届けられた酒と考えていたからだった。
 講義もそこそこに酒のにおいをかぎつけ集まったのが四十名近くいた。到底この酒だけでは足りる訳はない。小銭を出しあい、酒を買い足してから愛宕山まで大行進、先輩たちは伝統の逍遥歌を歌い教えながら意気揚々としたものである。
 愛宕山の中腹の凹地はカラッ風の吹きすさぶ中でも、山あいの日だまりがここちよかった。旧制高校の校歌が、寮歌が次々と歌われ、青春が語られ、かつ飲んだ。
 近くの畑でねぎを失敬し、それを焼いては肴とする酒宴であっても、そこには辰を中心とする城北グループのもつ陰湿さも、薄ぐらいうらびれた酒場でアダ花を狂い咲きさせる年増女の哀感も無く、ただひたすらに、明るく、陽気で、楽しかった。この大学に入り、この連中と友になり本当に良かったという心のたかまりが、茶碗酒によっていよいよ燃えあがり、気力は五体に満ちた。
 遠く日本アルプスの峰々の白銀が、やがて朱色に染まり、灰色に変わるまで歌い、語らい飲み続けた。
 わが生涯で最高の酒宴だったとおもっている。

歩々是道場とは時代を超えて何時でも、何処でも、何をしていようと、己を磨く道場である・・・・等と勝手に解釈して表題としたが、酒場の親父として半世紀以上生きてこられたのも、その礎は遠い青春の日々の野放図な生き方の中に学んだこともあったのかも知れない。
                                                                         終





 

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2017-09-06 09:09:00

こころ絵 『汚』

テーマ:アート

歳を重ねすぎたせいだろうか、このところ妙に心をチクリとよぎっていくのが中原中也の『汚れつちまた悲しみに』だ。

       
汚れつちまつた悲しみは

なにのぞむなくねがふなく

汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

 

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき

汚れつちまつた悲しみに

なすところもなく日は暮れる・・・・
                     中原中也詩集 「山羊の歌」より

 

魑魅魍魎の跋扈する恐ろしい現世を、這いずり廻って生きてきた。汚泥をかぶり、泥水をすするうちに、こころまでが汚れてしまった。              

                 
               

そんな気がしての“こころ絵”は、己の汚れっぷりの『汚』だが、中原中
也の“こころの悲しみ”までは描ききれなかったような・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017-09-04 09:00:00

続・続 人間機雷 279

テーマ:小説

第三章 夢幻泡影
二 孤 旅
4 権六の恋(6)


権六は我関せずでせっせと料理を食べ、雑煮をずるずると音を立てて喰らっている。
いつのまにか金貨はポケットにしまわれていた。
「これ権六よ、聞けば満州に渡って苦労したらしいが、向こうではどんな暮らしをしていたのじゃ。話を聞かせてくれんか」
権六は我が意を得たりとばかりに、酒を飲み干すと威儀を正しどんなにかお国のために働いてきたかを、嘘で固めて得々としゃべり出した。
兄の源造のまえでしゃべり、橋爪屋の亭主良雄に聞かせ、「鬼かぶと」の栄蔵の前で大見得を切ってきただけに、話も微にいり細にわたって本当らしく聞こえ、講釈師も顔負けである。馬賊時代の段になると例のごとく腕をまくり上げ、義兄弟の契り痕という幾条もの切り傷をみせて誇らしげに語るのだが、自分で自分の話に感動し、どれが真実か嘘話か分からなくなり、時には声を詰まらすほどだった。
月心老師は盃を傾けながら、ときおりホーとかフムフム等と言いながら耳を傾けている。

 


ところが蒔田源一は権六の得々と話す合間に、権六が日本人馬賊“尚旭東”と出会ったことに触れると驚いたように権六を見やったが、おのれもまた馬賊の頭目のように話を飾ったあたりから、冷笑さえ浮かべたではないか。
権六の話のなかに出てきた馬賊“尚旭東”日本名日向東崇と蒔田源一は、旧知の仲だったのだ。日向東崇の本名は松造である。源一と松造は生まれ在所が同じ北国の貧村、それもわずか離れたところで生まれ育ったのだ。
同じ明治33年生まれであり、ともに貧しい少年期を過ごしていたのだが、ともに愛国少年団に属していた。
愛国少年団に所属していると、退役将校による厳しい鍛錬もあるが、折に触れ菓子や食べ物ももらえた。それが何よりも楽しみだった。
そうした少年期を共に過ごしていたのだ。
蒔田源一は18歳で陸軍の現役志願兵となったが、日向松造(東崇)は時を同じくして単身満州に渡った。どちらも軍事教練の任を受けていた退役将校の熱い薫陶に心を動かされたこともあるが、貧しさのゆえの口減らしのためでもあった。
松造の家でも満州に渡って一旗揚げるという彼の背中を押すようにして、17歳の我が子にわずかな路銀を渡して見送ったのである。


その後の履歴はすでに述べたが、関東軍の諜報機関を束ねる坂西利八郎大佐との邂逅が、その後の彼の人生を変えた。そこで中国語、射撃等の訓練に励んだことが、後に“尚旭東”と名乗る馬賊としての礎となった。
進む道はまったく違った蒔田源一と日向松造ではあるが、 源一は満州で暴れ回っているらしいと聞く松造の情報は折に触れ耳にしていた。
権六が路銀を使い果たしてた奉天の街で、浮浪者のように有様でいるときに、関東軍の軍属のような日向松造に拾われたのは間違いないだろうが、その後の話はまったくもって荒唐無稽であった。
「この男の話は嘘で固められたものだ」と確信したが、それを月心老師にも他にも告げることは無かった。
「権六よ、大層な苦労をしてきたのじゃのう。“艱難汝を玉にす”という言葉があるが、知っているかな。人は困難や苦労を乗り越えることによって、初めて立派な人間に成長するということだ。お前はここを飛び出してからの二十数年もの間、人には言えぬ艱難辛苦に耐えたのじゃろう。偉いのう。悪ガキの頃にはどんな人間になるか心配で仕方なかったが、少しは真っ当になったみたいじゃ」
「ありがとうごいす。和尚さんにそう言ってもらえると、ふんとうに嬉しいだ。これも和尚さんのお陰でごいす」

                                                                                続

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