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芸能の世界とマネジメント

芸能界、芸能人のために論じます。

このシリーズもとうとう9回目となりました。「心の磁石」と題してお届けしておりますが、深層心理学を援用しての議論は相手にどのような印象を与えるのかということが非常に大切となります。要するに、主体が客体に向かっていくのではなく、客体が主体へ向かってくるイメージが大切であり、その意味で「磁石」という表現にしております。ところが、磁石であるには当然のごとく「極」というものが存在し、その極には二種類存在し、その違った極同士がひっつきあうという現象がありまして、これは人間が異性を好きになるのと非常によく似た現象であり、深層心理学としてもこの表と裏の関係が非常に重要視されます。このことより、客体が主体に思いを寄せるように仕向けていくことも実に重要なことになりまして、これがペルソナの醍醐味となるわけです。

主体は磁石と仮定すると、とりわけて別の極の磁石を見つける必要はなく、磁石は鉄も引き付けますから鉄を引きつけてもいいのですが、ひっつけられた鉄は磁場を帯びるようになり、結局のところ、ひっついたもの同士で「安定」が保たれるということになります。これが面白いといいますか、安定という平坦な状況の中で、非常に強い絆が築かれていると考えると、人間社会は究極的には逆説の世界にあるように思えてなりません。また、磁石は全ての物質を引き付けるわけではありません。たまにこのような反論をする人がいますが、地球上に存在するものは何も人間だけではありません。例えば、砂を自分のファンにさせるとか、水を自分のファンにさせたいと思ってもそれは無理な話です。ゆえに、心の磁石も対象によっては無力であると結論付けることはできますが、このような議論は私の問題意識から相当離れることになりますから、これ以上深く追及することは行いません。

このように、深層心理学的な立場により差別化というものを解釈していくには、自分がどうのようにあるべきかということも大事でありますが、「相手にどのように思わせるか」もまた重要になってくるということです。そしてそのバランスが大切でありまして、相手にどのように思わせるかのみに比重をかけると、それは詐欺師の方向へと向かうでしょうし、自分がどうあるべきかということのみを考えるとただの独りよがりの方向へ向かうでしょう。この両面、すなわち、プラスとマイナスの両方が備わった時に真の磁石としての機能を果たすのでありまして、自己実現のイメージとはこの磁石のようなものと思っていただければ理解しやすいかもしれません。また、磁力が強ければ強いほど多くのものを引き付けること、また、ひっついたものを離れにくくする作用があるのは周知のとおりでありまして、こうなってくるとやはり、ある程度の土台が出来上がった後は、内面を鍛え上げることが課題となってくるのではないでしょうか。

違いを感じるのはあくまでも客体であり、その違いを見せるのは主体であるわけですから、主体が自分勝手に違いを感じているだけでは差別化にはなっていないということをご理解いただければと思います。差別化の失敗例の多くは主体が勝手に他のものと違っていると勘違いしていることが多く、なぜそのようなことが起こるかというと、違いを感じるのは客体であることに気づいていないからであることが多いと思います。では相手の心理状態を知ればいいのか?ということで客体のことを知るためにアンケートなどをとり、顧客が求めた100%のものを作り上げ、結果、売れなかったということもよくあるのではないでしょうか。相手を知るにはまずは自分を知ることから始めなければならない、それが差別化戦略を深層心理学として解いてゆく過程で明らかとなることではないでしょうか。これが差別化戦略を成功に導く道であると私は考えております。

その道は一体どのようなものでありましょうか。今後の本シリーズにて解明してゆきますからお楽しみに。

ご高覧、ありがとうございました。
このブログの更新も月に2回に限定しておりますので、前回の更新から随分と時間がたっておりまして申し訳ありません。読者はほとんどおりませんから、ボチボチと更新できたらと思っております。

前回は差別化やそれに付随する話を行い、今回につなげるていくように予定しておりましたので、その通りにやってみたいと思います。まず、元ネタ、すなわち、過去にマトリクスによるマネの標的を作り、それに近づけるよう頑張りましょうと言ったまではいいのですが、何事もバランス重視の深層心理学という学問でありまして、ということは、接近しすぎてはいけませんし、また、距離を置きすぎるのもよくないということになります。ではどのような距離感がいいのかというと、「近からず、遠からず」の距離です。これも実際にメートル法で表せるものではありませんから、どうにも言えませんが、ファンとマネの標的の間に自分を置くとすると、1:1の関係ということができましょうか。このバランスが崩れると個性が失われると考えるのが妥当でありましょう。

なぜこのような考え方になるのかという根拠ですが、芸能でいう元ネタというのは、深層心理学では「元型」でありまして、これの詳細は「実学道」のブログを参照していただきたいのですが、人間の心の奥深くに共通する「像」というものがありまして、これが芸能界においては「売れてるパターン」となるわけです。これは結局何のことかというと、「売れる人は昔から現在まで共通の要素がある」ということです。大昔、太古の時代から不変のものと考えるものでありまして、ゆえに、その「型」にはまった人だけがブレイクするという「法則」が存在するのではないかという仮説を示すものであります。これはハウツー的な法則ではなく、理論としては簡単ではありますが、実践するには非常に難しいという事実があります。これがゆえに既にブレイクしている人を真似すればブレイクすことは容易であるように思えるのですが、実はそこには落とし穴がありまして、真似をすれば確かにある程度の人気は出ます。人気が出てくると「マネすれば売れるものだ」と思い込み、マネのスパイラルが始まります。そうするうちにどんどんとただのモノマネとなってしまい、最後に「自分」というものを失ってしまい、そこに「個性」といものも同時に失ってしまうのです。これでお分かりだと思いますが、標的に接近しすぎる、ないし、接近どころか標的に「同化」するようなことになると逆にブレイクから遠ざかることになります。これを回避するには「適度な距離」を保つことが必要であるということが必要になるということです。

深層心理学的な考えからすると、元型というものは人類普遍でありますが、それに「呑み込まれる」といわゆる精神病となり、治療の対象となります。これを芸術の世界に置き換えると元ネタに呑み込まれると表現できましょうか、元ネタを愛するがゆえに元ネタから離れられなくなり、そこから出てくるのが皆様もご存じの「パクリ」であります。このパクリは、ある人があるアーティストを愛しすぎるがゆえにその中に入り込んでしまい、抜け出せなくなった状態にパクリが発生すると私は考えております。しかも、本人はあの世の世界に入り込んでいるために自分が行っていることが悪いことであることに気づかず、それゆえに問題が大きくなるものと思われます。アーティストが心理学を学び、心のバランスを常に健全なものとする努力をするならばこのような悲しい事件や事故は起こらないと思うのですが、これは実に難しい問題であります。

しかしながら、これに全く気付くことができないかというとそうではなく、時間との関係において元ネタとの距離を感じることはできるかと思います。時間には時計で知ることができる時間の「クロノス」、人間が主観的に感じることができる「カイロス」というものがあります。例えば、自分自身がファンとマネの標的との間でバランスをうまくとれているときは、それは時刻もいわゆる「標準時」を流れていて、そこに「自分」という個性が発揮できていると思うのですが、これがファンの方へ寄ったり、マネの標的の方へ寄ったりすると時間の感覚にズレが生じることは容易に想像できます。ファンとの関係は過去から現在であり、マネの標的は現在から未来の「自分」を意味しますから、とりわけ、未来に向けて、要するに、マネの標的に向けて意識が進むとき、時間の感覚は未来へと一気に飛んでいくため、意識状態がおかしくなります。具体的にはどのような状況かというと、ある一つのことに熱中して取り組んでいるとき、時間の経過が「早く」感じられることは皆様も経験していることだと思います。あれと同じ状態となりまして、クロノスとしての時間の進行とカイロスとしての時間の進行が全くおかしなことになり、特に、時間の経過が早く感じられるときには、このマネの標的への執着心があまりにも大きい時であると考えられます。ある標的を真似しているときにそのような時空を超えた感覚に陥ったと感じたら黄色信号と見て、現実の状況をよく見直す作業が必要となるものと思われます。

たまに芸能人の奇行が報道されることがありますが、これはまさに「あいだ」として「自分自身」を失っている状況でありまして、人気が出てからの芸能人というものは既に個性化されていますから「あいだ」の前後がに変化が生じます。過去からのものはファンであることは変わらないとはいえ、ファン層が変わったり、未来に向けてのものに変化が生じ、中には未来へ向けてのものが無くなるがゆえに時間の感覚が常におかしな状況となったり、また、未来に向けての別の目標に没頭するあまり、時空を超えたわけのわからない行動に走り、その結果、ファンをないがしろにしたりする芸能人がいるのも事実です。

一般の人を例にすると、国際人になるべく外国の大学へ留学し、卒業後もしばらくは現地の企業に就職し、自分では真の国際人となった自信がつき、日本に戻って日本企業に就職したところまではよかったのですが、日本人であるにもかかわらず日本の文化に馴染めなくなった自分に気づき、結局は全てが中途半端に終わっていった日本人であるとか、例をだすときりがないのでこのくらいで止めておきますが、そして何度もいいますが、元ネタに接近しすぎると戻ってこれなくなる危険性が高くなるがゆえに、ある程度の真似を行うことができた時点で元ネタからは距離をおき、自分自身の中へ「統合」していく作業に取り掛からなくてなりません。この点については実学道のブログにおいて、「女性らしくあるために男性性を入れ込む」という例を使用し説明しております。

さて、LinQの皆様は実はこれをごく自然に行っているので、逆にこの文章を読むと「簡単なことを難しく書きやがって!!」といいたくなるかもしれませんが、できない人がほとんどですから最後までお付き合いいただきたいのと、Linqをみればその微妙なバランスを実際例として見ていただくことが可能ですから、是非とも生の彼女たちを見てあげてほしいです。

今回はこれで筆をおきます。ご高覧、ありがとうございました。
最近は河合隼雄先生との関連で、「オーラ」というキーワードでお越しになる方も多く、オーラについて興味のある方が多いのかと思うのですが、このオーラですが、最近はあまり聞かない言葉となりました。しかしながら、それに代替する形で「圧」という言葉をよく耳にするようになりました。ユング派心理学を学ぶものとしてはオーラよりも「圧」の方がなじみがありまして、この点について今回はお話しをしようと思います。

オーラとは何でしょうということもありますが、それよりも、オーラが欲しいとか、オーラを発したいとか、オーラを発する方法を知りたいとか思っている方が多いと感じているのですが、例えば、私がLinQの深瀬智聖さんと初めてお会いしたのは福岡の天神の歩道でした。その時、私は変装しておりましたので誰も私に気づくはずがないと思い、安心して歩いていたのですが、その時に、「ファンです!」と声をかける女性が一人いまして、よく見てみるとLinQの深瀬さんではありませんか。これには驚きましたね。あの姿で私とわかるわけですから、相当な観察眼をもった人物であるのですが、その時に私が彼女を見て思ったのは、「呑み込まれそう」です。一般的にはこの状態を「オーラを感じる」とか、「圧を感じた」となります。

ある特定の人物を「見て」、オーラを感じるのか、圧を感じるのか?もう少し状況を詳しく見ると、オーラを感じる場合、それはある人からオーラがでていて、それを相手が受け取ることにより感じられるものです。これとは逆に圧というのは相手はむしろ好意的なわけですから、精神的に圧力をかけるわけではありません。むしろ呑み込もうとしているのに、「圧」を感じるというのは、それは受け手が勝手にそう感じているだけの話といえばそれまでなのですが、それほどまでに感じる何かを相手に「投影」している状況にあることを指します。

深層心理学的に相手を見た瞬間の感じ方について述べてみると、これに関してはこれまでに述べてきているように、投影する側、すなわち、見ている側の心理的要因が大きく影響することにより、相手を「感じる」ないし「認知」することができます。あくまでも見る側が勝手に様々な思いを頭の中で巡らせるものでありまして、その思いは徐々に拡大することになり、それがオーラと感じているだけで、相手はオーラなど発しているのではなく、投影者に見てもらおうと努力しているに過ぎないのです。しかしながら、見ている相手は見てもらうように全力を尽くしているので、その点においてどちらかというと、「圧を感じた」と表現する方が正しいのではないかと思っております。

これはあくまでも深層心理学的な視座によるものですから異論もあるでしょう。そこで、もう一つ別の見方では、オーラとは「電磁波である」とする研究者もいまして、私が近畿大学の大学院に在籍していた時の非常勤講師がその研究をしておりまして、芸能界で人気のある人や大手企業の社長さんからは強い電磁波がでていて、その強い電磁波を相手が感じることにより「オーラ」を感じることができるとする仮説を宇田という工学博士が力説されておられました。この場合、受け手の問題よりも発信者が主体となっているのが特徴で、その意味で、深層心理学的には受け手が主体となっており、ここに大きな差が出てくるのですが、いずれにせよ、相手に何かを感じることについては変わりなく、世の中うまくできております。

どうでしょうか、オーラについて語ってみました。いつかはやってみたいと思っておりましたので念願かなって満足しております。ご高覧、ありがとうございました。
毎回ですが、こちらのブログも更新の間隔が長くなってきており、申し訳ございません。最近は憲法や皇室典範に関する研究にまで範囲が拡大しておりまして、自分の専門分野になかなか手が出ない状況となっております。

さて、基礎理論を構築していく「実学道」のブログにおきまして、先日よりペルソナの話は完結しましたが、まだ深層心理の部分が終わっておりませんし、その深層心理と意識との統合における個性化、ないし自己実現に関しての議論にまで到達するには相当な時間を要しますから、こちらの応用編のブログにおいては、ペルソナをどのように活かしていけばよいのかについてを吟味していこうと思います。

経営学の分野でも芸能の世界でも世間から高く評価されているものを「真似る」ことは大切なことだとよく議論されております。しかしながら、残念なのが、そのことについて経験的ではあるものの、論理的でないところが説得力に欠け、信憑性という部分において残念な結果となるのですが、これまた逆に、極度に真似をするのではなく、部分的にでも真似をするとなんだかうまくいくということは実際に確認されており、私自身も20代の頃は「真似をすることは自分を伸ばすことだ」と体験的に思っておりまして、しかしながら、論理的に理解できないことへのいら立ちもあり、真似した結果、失敗したことも多く、その意味で「成功につながる真似とは何だ?」が大学院における研究の基礎でありました。そこで出会ったのが深層心理学なのですが、これも運命の出会いですね、当時の私の指導教授が別の先生であったならば、今の私はなかったでしょうし、まさかその教授が深層心理学での学際研究を密かに実行していたことは知りませんでしたから、人生というのは分からないようで、思いはどこかで受信されているものと考えてもいいかもしれません。

話を戻しまして、真似をすることの意義についての理論的な説明はこれまでの私の論文を全て読んでいただければお分かりになると思いますから、ここで復習はしませんが、大事なことは、投影する側の個人的無意識というものが作用し、①真似のパターンができること、②そしてそれは細分化され、類型化が可能となること、③多くの類型化された型は既に人気のある型であることが分かっているが、それゆえ、多くの型を一つの組織に詰め込むと、スケールメリットが発生する。という、三つの効果を期待できるということです。とりわけ三番目は、稼ぎ柱が一本よりも二本、二本よりも三本あった方がメリットは大きくなるという考え方です。これが可能となるのは、投影という作用があるかであり、これがアイドル界における「推し」というものにつながり、ファンは推し以外に誰も見ないという現象が実際に起きておりまして、ユング派の深層心理学の理論を理論の通りに反映しているのが、アイドル界で現実に起こっている現象であります。

ただし、アイドルの総選挙などでもお分かりの通り、現状では投影がある一点に集中する傾向にあります。これでは組織化する意味が薄れてきますし、組織の崩壊を招く大きな要因となります。これを防ぐには、勘に頼ったペルソナを作り上げるのではなく、私が考案したマトリクス法を使用し、客観性を高める必要があります。統計学的にいえば、大人数になればなるほど、見かけ的にも平均的な人物が多くなり、投影する側も多くなればなるほど見かけに関しては平均的な人物に投影を向けることが多くなるというのが一般的です。勘に頼るとどうしてもこのような正規分布に近いファンの分布となってしまうのですが、これの分布を人間の無意識の力をかりて均等化する、仮に「アイドル分布」を生み出してみてはどうかというものです。完全に均等化することは無理でしょうけど、ある程度の均等化はするものと予測できます。頑張れば頑張るほど個人的な差はあまり出てこないとしても、組織に関する貢献度からすればほとんどすべての人物が順位で表すと1位となり、これはモチベーションとしてもかなりのものとなるかと思います。さらに、仮に2位になった人は、相当頑張らないといけないということにもなり、自分のポジションを把握しやすくなると思います。これが例えば、グループ内順位の150番目とかになってくると、今後の頑張りようを見つけることが困難となるし、周りの人もアドバイスをやりずらくなるかと思います。

投票というとやはりいろいろと熟考し、投票すると、そこにはある一点に集中するという傾向がみられます。そこをうまく利用してるのが国会議員の選挙ですが、これはやはり、いろんなことにおいてバランスがとれている人に票が多く投じられるという意味では理に適っているものと思われます。後に事件や事故を起こす議員さんもいらっしゃいますが、票を多く獲得した人が勝利するのは理解しやすいです。他方、芸能界、とりわけアイドルグループなどでは個々人のバランスをとることが非常に重要であり、グループ内の構成員の一人一人はある意味で「平均的」な人物であるかもしれませんが、グループ全体としては強力な威力を放ち、それが組織としての大きな原動力となってくれれば今の芸能界は見ている側も演じる側も楽しくなるのではなかろうかと思います。

もっとも、政治の世界にも適応できるかもしれません。但し、これは政党に加盟している人や政党そのものに対して強い影響力を持つものと思われますので、無所属の方へはまた別の方法でアプローチしないといけません。

差別化の話からアイドルの話、そして政治の話にまで発展しましたが、ご理解いただけましたでしょうか。本来は時間と距離との関連で差別化について話をする予定だったのですが、その前に差別化の表層的な意味を少しだけ深くした話を展開した方が時間と距離についての理解が得られやすいかと思い、このようにしました。

ご高覧、ありがとうございました。次回をお楽しみに。
これまで本ブログと実学道のブログの両方において、しつこいくらいにペルソナの議論を行ってきましたが、これはいわゆる人間の見える部分、いわゆる「見てくれ」の話でありまして、行動の主体の「表の部分」の話となります。しかしながら、人間には裏の部分がありまして、この表裏が一体となっているから、逆に人間であると結論付けるのがユング派の考え方です。

そこには、男性には女性的な面、女性には男性的な面があり、それがあるから恋愛関係が成り立つわけですが、例えば、男性なのに女性を「愛しない」というペルソナを身にまとった俳優がいたとしましょう。その俳優はそのようなペルソナであるため、普段から自分の行動には気を付けていましたが、ある時、週刊誌の記者に女性と付き合っているところをスクープされました。さて、彼はどうなるのでしょうか?

一方、人柄も温厚で、自分のことは比較的オープンに話し、恋愛に関する感情も普段から隠すことなくしている男性の俳優がいたとします。その男性は密かに思いを寄せる女性がいましたが、その女性とは、いわゆるアイドルであり、恋愛禁止という相手の境遇であるにもかかわらず、恋に落ちたところを週刊誌にスクープされました。さて、彼はどうなるのでしょうか?

以上のような二つの問題が発生したとします。彼らのたどる今後の道について皆様方はどのような回答を出しますか?深層心理学的に答えなさい。という問題があったとします。どのように答えますか?というのが今回の意図なのですが、これはペルソナと影の問題から見ると考えやすいかと思います。

現実的には事務所間での調整やスポンサーとの関係、ファンクラブからの圧力など、いろんなことを考慮しないといけないのですが、これらのことをすべて考慮しても、かかる問題を問題として最小限にとどめる道を歩む人がいまして、それがどのような道になるかを考えると、深層心理学を理解する上で役立つのではないかと思います。

今回はこれで筆をおきます。回答は次回に行います。まずは皆様方が自ら考えるということが、すなわち、「自己実現」への道となります。ペルソナの議論が一段落したところで、復習として是非ともこの問題にチャレンジしていただきたいと思います。

ご高覧、ありがとうございました。