需要と供給 4 | 芸能の世界とマネジメント

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前稿において、人間の需給関係の欲望のみが存在するマーケットを想定してみました。私が思う理想のマーケットはこのようなマーケットでありますが、現実的にはそうはいかず、マーケットを操作して大儲けしようとする力が働く場合も多々あるのですが、先んず、そのようなマーケットは後回しにし、人間の需給関係のみが存在するマーケットで話を進めてみようと思います。

 

前稿において、あるマーケットにて古新聞を200円で売ろうとする商売人が現れました。信じられないような高額な古新聞でありますが、これがはたして売れるかどうかであります。前稿においては古新聞の供給者に3パターンあるのではなかろうかと想定したのですが、ここにいわゆるフリーマーケットにて古新聞を200円で売ろうとする供給者がいたとします。

 

常識的な考え方では古新聞を200円で購入するような人はゼロに近いかと思います。しかしながら、フリーマーケットという場所柄、様々なものが販売されており、出店者も様々であります。そこにはガラス製品や陶磁器製品(以下、総称として割れ物)を販売してる供給者も多いかと思います。供給者がマーケットに慣れた人であれば梱包資材を持ち込んで販売する人もいるでしょうし、梱包しない代わりに安く供給使用する供給者(以下、業者)もいるでしょう。この梱包しない代わりに価格を安くする業者には二つに分類され、そもそも梱包を想定しない業者、もう一つは梱包費を別に請求する業者です。

 

こうなると少し話が複雑となります。例えば、梱包費を別途請求する業者が一律に梱包費として300円として価格設定をしている場合、さて皆様方は梱包をオーダーしますか?ここが難しいところです。梱包サービスがそもそもない業者であれば割り切れるのですが、有料でありながら梱包サービスがあり、しかも割りたくない商品を購入する場合、迷いますね。そんな時に200円で古新聞を販売している業者を発見したとします。さて、この古新聞はその人にとってどのように見えるのかですが、これは多くの人が「うまいこと商売しよるな!!」だと思います。良い意味で「やられた!」となるかと思います。つまり、古新聞が200円とは高額ではありますが、でも必要だから高いといえるか?というところで迷いが生じるのであります。その迷える消費者は消費者としての象徴であり、この後にどのような結論を出すかによって個性化の方向性が決定されます。ここが面白いのであります。

 

何が正しいかはこの場に遭遇する消費者における個別の回答であります。つまり、古新聞を買うも正解、買わないも正解です。しかし、ここで消費者における消費行動に象徴性を持たせた業者は非常に優れた業者であると思われ、その意味で優れた業者であると評価せざるをえません。ここに成功する「企業経営者」とそうでない人との差が生れるものだと思います。

 

たかが古新聞でありますが、されど古新聞であります。古新聞で人をうなずかせることができればそこに投資を呼びかける人が出てきます。その時の駆け引きの道具として「需給関係」が使用されると仮定し、そこに「象徴」なる概念をうまくはめ込むことができると「なんだか言葉にうまく表現できないが、それでOK!!」という現象が生れます。商売とはこのような取引の連続なのではないでしょうか。

 

これを悪用するのが詐欺師であります。需給関係を持ち掛け、そこに良い話と悪い話の両方を提示し、相手を迷わせます。迷わせたところに老賢者が登場し、問題は解決し、被害者である象徴は負のスパイラルに巻き込まれます。才能ある商売人と詐欺師とは紙一重ですが、才能ある商売人は古新聞を200円で販売できるような大きな人物であるので、詐欺師の方向へ進まないのも特徴であります。

 

経済学ではこの古新聞を消費者が購入るか否かの二社一択の回答を求められ、経営学では200円で古新聞を売ろうする方法を一点集中で考えるところに特徴があります。要するに、一方的なのであります。これらの学問の主張するところはよくわかるのですが、やはり供給者がいれば需要者がいるわけで、逆に需要者がいれば供給者が出てくるでしょうし、これら二者の相互関係の中から物事を考えていくことも私は必要ではないかと考えております。そこに心理学的な考え方を援用し、問題を解決してゆこうとするものです。

 

次回に続きます。ご高覧、ありがとうございました。