需要を考える 2 | 芸能の世界とマネジメント

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需要とは何かを考えていくシリーズですが、需要は序論で論じたように何かよくわからないから需要であるととらえるのが現代の方法ではなかろうかというものです。人が欲しいものなど他人がどうやってわかるの?という単純な発想です。その製品には需要があるなどという予測はどこからくるのか、また売れない製品に対して需要がないのは本当か?などを突き詰めて論じている学問をこれまで見たことがないので、否、こんなことをいちいち取り上げたところでどうにも学会では相手にされないので思いついたとしても研究テーマにしようとする学者がいないだけかもしれませんが、とにかくこのような研究がないわりに、このような件に対して需要があるので先に進めてみようと思います。

 

まず、需要はある人があるものを欲しいと思う現象のことを意味します。つまり、現象学の方法論がまずは必要となります。しかし、こう考えると需要は最終的に哲学へと導かれる概念ですが、これをいいだすとこの地球上のすべてのものは学問的に最終的に哲学へ導かれますから経営学をやるからには哲学は必修の科目です!などいったところで話が前に進みませんから、哲学や現象学については興味のある方が各人で勉強していただくとして、まず、需要なるものを分析してみようと思います。

 

ここで注意していただきたいのは、分析とは「分割」することであり、物事を深く考えることではないことを強調しておきます。近年では言葉の乱れがひどく、学術用語を一般向けに使用するととんでもない誤解をまねくことが多く、それ故にここでしっかりと定義しておきます。

 

まずAさんがサラダチキンを欲しいと思いました。なぜでしょうか。

 

このサラダチキンもコンビニが生み出した供給が需要を生ませた素晴らしい商品だと感じております。サラダチキン自体は別の名称で私は30年くらい前から既に目にしておりました。ところがこれをコンビニに置くと大きな話題となり、売り上げは非常に素晴らしい伸びであったとなっております。これはなぜかを考えてみましょう。

 

まず、需要が供給を呼ぶわけですからサラダチキンが欲しい!!という大きな目的意識をもって最初から購入した人はほとんどいないはずです。ある日にふらりとコンビニへ立ち寄り、そして冷蔵食品を見に行くとサラダチキンが陳列されており、それを見た消費者は思わずサラダチキンを手にするという現象であります。これはすごくないですか?味見も何もせず、サラダチキンを一目見ただけで購入が決定されるのです。商品の宣伝はSNSで顧客が行ってくれ、売り上げは増々の上昇となり、好循環が始まります。さて、こう考えた時、需要なるものはどのような意味となるのでしょうか?

 

ここで大切なのは商品としての実物を目にしていることです。つまり、実際に見るという行動です。これがネットの販売だけで成功したかというと疑問符が付くところにコンビニという小売店の魅力が出てくるのではなかろうかと思います。

 

行動の第一として、「実際に見る」です。

 

この次に実際に購入するか否かを考える行動です。実際に見た次に購入するか否かを考えます。さすがに見た瞬間に購入とはなりません。ある商品を購入することを決めてコンビニへ入店し、そして目的の商品を手に取り購入するとしても、購入するための目的意識はコンビニへ行くその前から既に始まっております。つまり、人間はどのような状況においても商品を購入する際には必ず商品を購入するか否かの判断を行っています。その意識がない場合、それはすなわち無意識の作用であると考えられます。ここがポイントです。

 

行動の第二として、「購入の可否を考える」です。

 

第三段階として購入する人と購入しない人が現れます。しかしながら、供給が需要を生む構造があると判断される場合、実際に目にしてから購入に至る人の方が多いと仮定します。つまり、購入の可否を考えたうえで購入を決定するという行動です。

 

行動の第三として、「購入」という行動です。

 

購入後は食することになります。食べた後に感じる味覚はそれが美味か否かは別の問題として、「次も買おう!」と思わせるところがサラダチキンの素晴らしさです。

 

第四の行動として、「再購入を決定させる」という行動です。

 

以上の四つに区分してみました。これは分析心理学的な視座より四分割してみました。

 

さて皆さまはこの分析をどのように見るかであります。賛否それぞれいろいろとあるかと思います。否、私のこの分析が間違っているという意見の方が多いかと思います。とりわけ一般の方やマーケティング論を専攻する研究者の方々からは厳しい意見がくることは間違いありません。なぜなら、あまりにも人間の心の問題に接近しているからです。マーケティング論的に考えるのであれば、それは「ブランディングやろ!!」というような意見が出てくるかと思います。しかし、心にしみるブランディングとは一体何なのか?についての答えはマーケティング論ではなされておらず、この点に限界を感じるわけです。

 

次回は分析の結果の考察を行っていこうと思います。ご高覧、ありがとうございました。