需要を考える 序論 | 芸能の世界とマネジメント

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芸能界、芸能人のために論じます。

前回まではある事業における供給側についての都合を論じてまいりました。需要側からするとそんなことまで気にしてるの?と感じていることでしょう。しかし、売ろうとする側は生活していかねばなりませんから真剣になって様々なことを考えるようになります。つまり、需要がどうなっているかを通常は死ぬ気になって考えるようになります。芸能人を含む芸術家の多くは需要を考えずにマーケットへ飛び込む人が多いのが現状でありまして、この件を解決すれば芸術の世界はもっと大きくなるのではなかろうかと思い、前回までのシリーズを論じておりました。現実のマーケットでは供給することだけではなく、需要側のことも考えねばならず、そこで今回からは需要側のことを見ていこうとするものであります。

 

需要と供給なるものは経済学の基本用語でありまして、そこから派生したマーケティングの分野においても非常に重要な概念となっております。私はマーケティングの専門家ではないので詳しく述べませんが、少なくとも経済学においての需要と供給の意味は世間で認知されている考え方と一致していると考えております。その意味で深層心理学の概念よりは簡単に頭に入るはずですが、これらの概念は今後そんなに使用することはありません。なぜなら、これから論じていく芸能界での需要にかんする主体は人間であります。ですから、これまでと同じように心理学を軸に、経営学を援用し、それが最終的に経世済民となればと考えております。今後も芸能人のためのことを論じていくことにします。とりわけミュージシャンについてです。

 

需要側からするとミュージシャンなるものはどのように映っているのでしょうか?これがまずは難しいことですが、ここから出発しなければ話にならないのも現状であります。また、音楽のマーケットを知ろうとする人のほとんどはここから出発し、そのための本を探したりネットから情報を得ようと試みるのではなかろうかと思います。ところがミュージシャン経営論などを学問的に、さらに実践的に取り扱う情報など私は見たことはなく、もしあったとすれば既に大きく報じられているはずであります。さらに、学会においてこのような応用経営学は認められない傾向にありますから、思いついたとしても実際に行動していく学者などいるはずもなく、また実務に携わる人々は日々の業務に追われて論文を書いている時間などないであろうし、難しい問題が山積しているのですが、そこを私がなんとかしてみようというのが今回の企画であります。

 

音楽の需要者がミュージシャンをどのようにみているかについては十人十色という意見もあるでしょうし、ビジュアル系だとビジュアルに興味のある人が需要すると答える方法もあるでしょう。しかしミュージシャンといえども、オーケストラでのバイオリンの奏者もミュージシャンでありますし、ロックバンドにおいてギターを演奏する人もミュージシャンであります。そこにプロとアマの区分けがなされますからミュージシャンなる業種は非常に幅の広いものとなります。

 

ところで、現代においてクラシック音楽を聴きたいと思うことがあるでしょうか?ほとんどの方は「ない」と答えるでしょう。これが自我の問題です。では、ホテルのラウンジに15時に入室し、そこで取引先との談話があるという場面を想像してください。そこでアイドルの曲とかハードロックをBGMにしますか?そのような場合、クラシック音楽がよいのではないでしょうか。今はどうか知りませんが、私が小学校や中学校、高校などでの入学式や卒業式の会場へ入場する際、ヴィバルディの四季の「春」が流れておりました。そのような時にやはり、こういう公式行事の時にはディープパープルのスモーク・オン・ザ・ウォーターだぜ!と思う人は非常に数が少ないかと思います。となると、唐突に「あなたはクラシック音楽を好んで聴きますか?」という質問の方法が悪いわけであり、古い音楽でも現代音楽でも人間なるものは音楽がなければ生きていけない理由があるという仮説が成立します。つまり、ジャンルはともかく、需要としてまずは「音」があるわけです。そしてそのことに気づいている人はほとんどいません。つまり無意識の領域であり、深層心理学が非常に役立つことをまずはご理解していただくことから始めていこうと思います。

 

今回はここで筆を下ろしますが、しばらく序論が続きます。つまらないかもしれませんが、しばらくの間お付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。ご高覧、ありがとうございました。