売ることを考える 30 | 芸能の世界とマネジメント

芸能の世界とマネジメント

芸能界、芸能人のために論じます。

売るとはなんとも難しいことであります。重複しますが、一癖あるとか毒があるから売れるとか、個性があるとは普通であるとか、世の中は矛盾だらけであると思いませんか?私はそう思っていますが、それでも皆様方は一貫性を追い求めますか?一般の皆様方は矛盾など無縁であり、常に一貫性を重視し、常に幾何学的に考え、行動していますか?少なくとも私には無意識なるものが備わっておりますので矛盾の世の中が常識であると思って生活しておりますが、自分を売り込んでいく、ないし、ある商品を売り込んでいくときに一貫性ばかりを追求している、自分や商品は常に正しい!!という売り方で昇進や商品の大ヒットを狙えるかという私からの疑問であります。しかし、個性化そのものは「普通」を目指すものであり、これは窮極の矛盾であるように私は思っております。

 

では普通とは何かですが、ユング心理学的に追求しますと、偏りがある中でバランスが取れている状態と解釈するしかないわけです。自我と無意識との対話なるものは集合的なものと個人的なものとの対話を意味します。ユング心理学においての集合的の意味は太古から受け継がれる、現代的に言う人間としての「DNA」のことを指し、つまり、人類の誰もが持ち合わせる心理であります。それはあまりにも普遍的であるため、これにとりつかれると窮極的に普遍的な人間となるわけですが、逆に没個性となり、集団の中に埋もれてしまいます。かといって「目立ちたい!!」という自我のみが勝ってしまうとただの目立ちたがり屋となってしまい、孤立するわけです。以前に紹介したベーシストのA氏は目立ちたいという一心で頑張った結果として孤立の道を歩むわけですが、では、自我と無意識との関係はどのような状況がベストなのであるのでしょうか?となるわけです。

 

芸能人になりたい人のほとんどは「目立ちたい」がゆえにその道を進みます。目立ちたくない人はまずこの道に進むことはなく、例え進んだとしてもすぐに諦めがつきます。つまり、芸能人なるものはもともと精神的なバランスとしては悪く、自我が非常に強いので一般の組織からは孤立する場合がほとんどであり、またそのような人に芸能人が多いという事実からすると、夢の世界からかけ離れた超現実主義であるといえ、ここから導き出される仮説は、「芸能人とは極度に夢のない人のことを指す」となるのが妥当であると考えられます。

 

夢が持てない芸能人が芸能界で生きてゆくには・・・一般的な人々が芸能に求めるマーケットは簡単でありまして、芸能人が孤立するプロセスを考えると、集団で生活することに違和感の少ない一般の方々は、逆に夢のない世界を追い求めているわけです。その夢のない世界を夢見るのが芸能人の仕事でありまして、夢のない世界を実現する「夢」の案内人が芸能人であるという仮説が浮かび上がってきます。つまり、芸能人自身は夢のない現実を歩んでいるので、夢をつかむために頑張り、夢の中で生活している一般の方は夢のない世界を芸能人に「投影」することになります。これを見事に成功させた典型例が「マツコ・デラックスさん」であるかと思います。もう一人くらい例をあげますと、タモリさんもそうなりますね。

 

もう少し適切に芸能人の仕事を表現すれば、夢のない世界を夢のないように表現することを夢見て活動する人のことであります。ですから彼らの追い求める先には当然のごとく「夢」があるわけです。その夢の部分はもちろん無意識であり集合的な部分でありますから、意識化させていくことに苦しむわけです。

 

頭がおかしくなりそうですね。それにしても芸能人としてこれから自分自身を売っていこうとするならば、まずは明確な夢がある人は芸能人としては成り立たない可能性が高いのです。一般の人でも聞いたことがあるかもしれませんが、芸能界で大成する人のほとんどは芸能の仕事が嫌いな人か、そうでなくとも芸能の仕事に対してやる気のない人です。そして大成した芸能人はやはり個性化しているわけでありまして、普通なのであります。どうでしょうか、ユング心理学における普通の意味を感じ取っていただけたでしょうか?普通であることは存外大変なことでありまして、芸能人は普通の人間になろうとして日々努力するわけであります。

 

次回からはより深くこの議論を展開していく予定です。ご高覧、ありがとうございました。