売ることは難しいという問題を解決するために論文を連載しておりますが、そもそも売れるということ自体がユング心理学的には異常なことでありまして、ゆえに売れることは苦しむことでもあります。そこまでして売れたいですか?という私からの疑問も同時に問いかけております。この地球上のほとんどの人は芸能人ではありません。芸能人の中でも売れている人はただでさえも少ない芸能人の中からさらに絞られます。それを選ばれた人と見るのか異常値を示す人とみなすのかについては学問分野において違いがでます。経営学的にはこのような異常値を示す人物は「素晴らしい人」となります。しかしながら、ユング心理学的にはその逆を意味します。
ユング心理学における個性とは何を意味しますか?という基本中の基本の質問をあえてここで行ってみますが、その回答としては、「普通」であります。つまり、個性ある人とは「普通の人」を意味します。では、今現在一世を風靡している芸能人は個性があるのか?というと、ユング心理学的には個性のない人となります。何回か前に売れる食べ物についての心理学的考察を行いましたが、やはりどこかに偏りがあるから売れるわけでありまして、これが売れることについての難しいところであります。
ここで必要なのは芸能人が売れれうようになったきっかけとなる時期とその後の成長過程とで軌跡を区分して考える必要があるかと私は思っております。前稿においては売れている芸能人がなぜか足をすくわれる現象についての問題提起を行ったところで論じ終えましたが、その問題を解決させるであろうことがさらに個性化とかかわりがあるのではないかと思うのであります。人間にとっての個性化は一度ではなく、人生において繰り返し行われるというユング派の見方を支持する考え方であるとともに、芸能人になってからさらに売れるようになるためにも大切なことだと思い、このような方向へ話をもっていく次第です。
公企業ではなく私企業において、就職活動の面接時において面接官から「個性を見せろ」と命じられることを経験した人が少なからずいらっしゃるかと思います。しかしながら、ユング心理学的に個性を解釈しますとそれは「普通」を意味しますので、その面接官は「普通であれ!」といっていることになります。これは少し意地の悪い解釈を行ったわけですが、面接官としては「偏りを見せろ!」といったわけでありまして、しかし、面接官自身も個性について理解できていないのでこのような問いかけになりますから、実際の面接での多くは面接官も学生も両者が個性を理解していないまま面接が進んでいるという、喜劇さながらのやり取りが繰り返されているのであります。こう考えてみると就職活動も面白くなりませんか?
では普通とは一体何なのでしょうか?となるわけでして、つまり、その時々において偏りがありながらも普通であるという、非常に矛盾した状況を考えねばなりません。現代人はこれが苦手であります。理由は様々でありますが、要するにそのことがコンプレックスであるからです。矛盾という状況にコンプレックスがあるわけですから個性化は非常に難しく、厳しく、さらに辛いのであります。それでも個性化しますか?そして、普通の人間になりたいですか?となるわけでありまして、これが面白いのであります。つまり、論者である私は普通のミュージシャンを目指しているわけでありまして、その意味で個性あるミュージシャンへ向かい個性化を実践中であります。
次回にこの続きを論じてゆきます。ご高覧、ありがとうございました。