芸能とペルソナの関係について論じているのですが、ペルソナとは奥が深く、簡単なようで難解な概念です。一言で表現すると見た目のことですが、その見た目に含まれるものを分析(物事を分けて考える)すると、ペルソナとはいかに難しいものかよくわかるかと思います。また、見る側と見られる側についての違いも考えねばならず、見た目を気にすることは重要ですが、客体からどのように見えているのかについても吟味検討しなくてはなりません。簡単なのは売れている人物のマネをすることで、芸能界に入った初期には芸能事務所から先輩のマネをしろとの命令が下されることもあるほどです。
これは一見すると芸能事務所のブラックな部分が露呈しているように感じるかもしれませんが、これまでの私の議論から考えると、むしろ正解を叩き込んでいるようにも思えます。この点についてはさすがは芸能のプロの教えであると、実のところ私はそのように考えております。ここで気づいていただきたいことは、「ブラック」の部分です。元型に関わることを指導されてブラックと感じるわけです。これをどのように解釈するかですが、要はマネすることを強要されて気分を害す状況です。しかし、元型なるものの正体とは実はこの「ブラック」でありまして、無意識に触れることの精神的苦痛なるものを常に私は主張しておりますが、その苦痛なことがここではペルソナによる苦痛となります。現代では様々な事情から正味のブラック芸能事務所も存在するようですが、しかし、芸の道を鍛え上げる意味でのペルソナへの接近に気分を害し、その点についてブラック企業と決めつけるのは間違いであるかと感じております。マネをすることによるコンプレックスが作用している場合もありますが、その場合、「マネをしろ」と命じられた瞬間に嫌悪感を感じる場合はコンプレックスです。その場ではそれが正しいと感じた場合、それはペルソナへ接近していくことになります。
ペルソナとはこのように、触れることは簡単なのですが、実際に触れると気分的に楽ではないものです。例えば、私はパールジャムのカバーを行っておりますが、これもペルソナに触れる一つの方法でありまして、彼らの曲をカバーすることによりペルソナに触れることになります。これは主体の話です。これが観覧者にとってどのような影響を与えるかですが、高評価を得られ時の反応は大きく分けて2つに類型化できます。低評価の時はそもそも話にならない状況ですからここでは触れません。
1:パールジャムっていいバンドですね!
2:あなたのバンドは素晴らしいですね!
これら2つの反応となり、ではこれをどのように評価していくのかです。
私としてはせっかくパールジャムのカバーをしているわけですから演奏の後には「パールジャムは素晴らしい!」といってほしいわけです。私たちが素晴らしいのであれば本末転倒であります。しかし、現実はそうではなく、それを越えて評価される場合、つまり、私のバンド自体を評価される場合も少なからずあります。私たちのライブを見て気を使ってそういっている人が大半だと思うのですが、演者からすると、正直なところもっとパールジャムを評価してください!!と思うものです。ところが、パールジャムというペルソナを追求すればするほど、「パールジャムは素晴らしい!」という声が聞こえなくなってきます。なぜでしょうか?
ここに一つ「追及」というキーワードが出てくるのですが、見た目や演奏の方法を極限までに追及していくことは逆にオリジナルの方向へ向かうという、おかしな状況となります。カバーバンドとしては危機的な状況であります。ですから、カバーバンドとして活躍することを目的とするには、オリジナリティーを追求すればよいかと思います。逆に、心理学的な視座より、演奏の技術なども含め総合的にカバーしていくことを追求すると、逆相関が発生するのではなかろうかという仮説をもつに至っております。ここに影や老賢者の元型の登場となるのですが、今回はこれらの課題を残し、筆を置きます。ご高覧、ありがとうございました。