売ることを考える 12 | 芸能の世界とマネジメント

芸能の世界とマネジメント

芸能界、芸能人のために論じます。

いろいろと義異論しておりますが、要するに曲がヒットすればそれでいいわけです。そのためにどうすればよいのかですが、この部分がむずかしいでのです。ライブので評判が良くても、音源をリリースするときに販路がなければどうにもなりません。例えば、インターネットの世界は平等だと考えている人々も多いかもしれませんが、人目に触れる位置に自分の音源を紹介しようとするとそれだけ費用は高くつきます。ホームページの検索エンジンでもそうですが、高いヒット率を獲得するためには無料というわけにはいかないことが多いです。勿論、課金せずに上位にインデックスされることもあるでしょうけど、これは私の経験からして稀とまではいかなくとも、非常に少ない成功事例のカテゴリーとして整理しております。こうなりますとやはり、音楽をやるにも資本なるものが必要となってきまして、しかし、この資本を引っ張ってくる技術もミュージシャン自身が行わなければならない世の中になってきたことが最近の音楽業界の変化の部分ではないでしょうか。

 

融資や寄付をうけ、それを資本としていくには、まずをもってミュージシャンとして投資家や資産家にミュージシャンとして認めてもらわなければなりません。そこで得たまとまった金額を元手に次に金融機関での間接金融でバンドを運営できるようになると好循環となるのですが、実のところそこまでいくミュージシャンはほんの一握りです。しかし、それではあまりにも夢のない話となってしまいますから、少しくらいは夢をもてるようにしていこうというのが本ブログの狙いです。

 

モノを売っていくには音楽に限らず、先方の心をとらえることが最優先となります。したがって、マーケティングの知識も必要となりますし、さらには、自身の音楽をマーケットに合わせていくということは、自身が行いたい音楽を世に広めることになることは少なく、むしろ、自分の知識がどれほど世間に通用したかについて満足できるようにならなくてはなりません。この部分を理論とすれば、具体事例入れて血を循環させてみようと思います。

 

これもあくまでも例えなのですが、私が本当にやりたい音楽というのはパールジャムであるとしましょう。これはカバーをしたいくらいの中途半端なことではなく、パールジャムになりたい!!というくらいの思いであるとしましょう。しかしながら、現実的にパールジャムになることは100%不可能でありますし、さらに、パールジャムは日本では有名でありません。それゆえにパールジャムになりたいという本心を世間様に伝えたとしても何の意味もないわけです。そこで私は考えました。では、少しでも彼らに接近し、バーチャル・パールジャムを体験したいと思い、そこで私たちは彼らの曲に日本語の歌詞をあてたとしましょう。これでペルソナまで完了です。しかし、そのバーチャル・パールジャムが世間様から評価されたとしましょう。そうすると、これは大変なことに、バーチャル・パールジャムが評価されたことになり、パールジャムが評価されたわけではなくなります。そして、この瞬間にパールジャムになりたい!とかパールジャムのペルソナは全面的にはがされる結果となります。ここまではご理解いただけるでしょうか?

 

先方の心をとらえることは、自身の心が分裂するほどの体験が必要となります。そして、先方の心をとらえるということは、同時に先方の影も背負うことになっておりまして、ここに売れ始めのミュージシャンとしての二重苦が待ち受けるのであります。

 

ペルソナがはがされた主体は次にどうすればよいのかですが、ここがまた難しいのです。主体が男性であるならば、ペルソナがはがされた状態なるものは、つまり、女性的な面が全面的に出ている状況です。女性的な面をペルソナによって男性的な部分とバランスをとっていたのですが、これがなくなります。しかし何とかしないと生きていくことができませんから、次に登場するのが「影」であります。これはこれまでに生きてこれなかった半面のことを意味する概念です。これも実のところ気づくことは困難ですし、人によって生きられなかった半面なるものは異なります。人間が十人十色であれば、影も十人十色であります。ニューイシューというバンドを例にすると、パールジャムのカバーを行い、パールジャムの仮面を皆に自慢していたところ、それでは生きていくことができないことに気づき、日本語の歌詞をあてたところ、「半オリジナル」という状況となってしまいました。この段階でパールジャムのペルソナは剥がされております。そして、それが契機となり人のマネをする生き方とは逆の道を歩んでいくことになります。つまり、オリジナル曲を披露していくことになります。

 

これが影なのですが、しかしこれはあくまでも演者の側の話であり、客体のことについては全く触れておりません。ペルソナがはがされたから影を使えばよいというような単純なことではなく、やはり曲を聴く側のことも考慮しなければなりません。これを経営学では「ニーズを知る」と言われている部分ですが、経営学ではなぜ該当するニーズが生れてくるのかについての原理原則については追及しません。私はここを問題視し、経営学に取り入れようとしているのですが、音楽の場合、主体がやりたい音楽と客体が聞きたい音楽とは、心理学的には基本的に同じであるはずであります。しかし、ジミヘンが好きな人もいれば嫌いな人もいるのはなぜか?と考えるときに、ここに心の問題やマーケティングの問題をもっと深く考えていく必要があるように思います。

 

これで影の問題についての概要はお分かりいただけたでしょうか?影の問題については「転移」の問題と共に考えていかねがなりませんし、影を背負う状況などとも総合して考えていかねばなりません。このように考えてみますと、芸術活動なるものは、これは非常に厳しい現実でありますが、若いころから個性を活かすと、やはりその後(成功した後)が大変となるのではないでしょうか。そもそも成功すること自体が至難であるわけですが、私の経験や観察、易経や中国哲学などの教えから思うのですが、人間は誰しも成功する要因をもっていると思われます。それを使うか使わないかの差となるでしょうし、成功は人生の中で一度だけとも思えます。ユングは個性化は人生の中で何度か可能だとしておりますが、「バランス」を重要視するユングの考え方からすると、例えば、大きな成功の後には大きな失敗があるとなります。大きな失敗の後にその人が生きていることができればよいのですが、生きていられないこともあるでしょう。このように表現すれば皆様方は「自殺」を思い浮かべるかもしれませんが、そうではなく、20歳くらいで大成し、その後、50歳で転落人生を歩んだとしますと、再起は難しいのではないかと思います。

 

逆に「失敗は成功のもと」ともいいますが、失敗ばかりしているからといって悲観することもないかと思います。成功するまでやり続けると、きっといつかは成功するのでは?とも思えてきます。但し、繰り返される失敗で心が折れそうになることもあるでしょうけど・・・

 

今回はこれで筆を置きます。次回は影の問題をもっと深く探っていきます。ご高覧、ありがとうございました。