本当の自分を知り、本当の自分として生きる (Linp&Ruru) -3ページ目

本当の自分を知り、本当の自分として生きる (Linp&Ruru)

本当の自分を信頼し任せることの大切さを様々な学びと実践経験から得た気付きを夫婦2人(Linp&Ruru)でシェアしていきたいと思います。



《Ruruの体験》

昨日のnote記事の「ダメ」って言わないで!からの防御思考。
まだまだあった。

根本の傷に気づき癒すと本当に自由になった


ダメって言わないで!褒めて!!


◆思い込み1 もたもたしてたら「ダメ」

・(動画を見ていて)
 早く結論言えばいいのに!イライラ

・(何かの準備する時)
 早く用意しなきゃ!待たせちゃう!
 ~動作が雑になって
  ガチャガチャ音をたてる
  食器を割る
  落とす
  ひっくり返す
  ぶつける
  3分待てず薄い紅茶を出したことも(^^;)

・todoリスト(勤めてた時)
 一つでも多くやることしなきゃ
 ~ケアレスミスちらほら

・メール
 未読が残ってるのが嫌ですぐ見る
 すぐ返信する
 すぐ消す(要らないやつ)
 ~返信を急がなくなったけど、
  返信してないのを気にしがち

◆思い込み2 ちゃんとしないと「ダメ」

・本はちゃんと順番に最後まで読まなきゃ
 飛ばし読みはダメ
 あちこち読んじゃダメ

・文章書くなら書いた意図を伝えなきゃ
 何書いてるかわかんないと読んでもらえない
 ~私の良さはちゃんと書かないこと
  感情で伝えるほうがエネルギーが強い



まだまだ癒しどころいっぱい!(笑)


この「ダメ」の傷に気づいて癒しに取り組んですぐに、今まで気になってたことがそれほど気にならなくなったりという結果も出てる。

Linpはそこを良いねと褒めてくれて、さらにもう1歩進んで気を付けるといいよとアドバイスをくれる。
でも「ダメ」って言われないように!がまだあるので、私は素直に聞けず、全部変換して聞いちゃう。

 まだできてないよ
 それじゃまだダメだよ
 まだちゃんとやれてないよ

だからすぐ抵抗しちゃう。反発しちゃうんだ。

私頑張ってるもん!
次々言わないで!ジガジガ(自我自我)言わないで!言うだけ言って自分はなにもしないの?私ばっかり頑張ってさっ=3



なんでいつも急いじゃうんだろう
なんでいつも緊張するんだろう
なんでいつも反発しちゃうんだろう

ゆったりしてたいのに・・・


その答えがいっぱい見つかり出してる♪




《Ruruの体験》

見つけてしまった!!
根っこの根っこの根っこにある私の傷。



ダメって言わないで!褒めて!!



ここが満たされてないから、ダメと言われ続けた傷が癒されてないから、いろんな所に私の心が反応して苦しみや痛みを生み出していたんだ。

あれもこれもそれも
あっちもこっちもそっちも
ぜーーーーーーーーーーーんぶ
根っこはここにあった!!!


うっひょ~~~~~~~~~( ̄▽ ̄;)


今までいろんなものを学んだり読んだりしまして、何度も何度も聞いて頭ではわかっていたことなのだ。

そう、頭ではわかっていた


ダメなままでいい
できなくていい
そのままで完璧なのだ


そうなのだ。ダメなままでいいんだ。このままでもう素晴らしいんだと腑に落としているつもりだった


でも罪悪感を感じたり自己否定を感じると、頭痛になったり、苦しくなったりしていた。



ダメって言わないで!褒めて!!


幼い頃から母に褒められた記憶がない。
いつも何かを言えば、「ダメ」。
これなら褒めてもらえるかと思っても、「そんなの普通。もっとできないとダメ」。
そんな反応が返ってくる。
小学校入学前、親戚の前で親に怒られた時、親戚に必死に弁解していた記憶がある。
自分でもなぜそんな幼いのにそんなに弁解する気持ちになっていたのか不思議だった。

大人になってからも、何かあると私は瞬時に、弁解の思考をしていた。
責められないような伝え方はできるか。
怒られないような逃げ道はあるか。
責任を追わずにすむ方法があるか。


これは「ダメ」と言われたくないための防御の思考



また私は見下されていると勝手に感じていた。

あの人は私を見下している。
あの人は私を評価していない。
Linpのことはすごいって言うけど私のことはすごいって言わない。
あの人はきっと私を迷惑に思っているに違いない。
あの人は私をダメなやつと思っているに違いない。

そんなことを信じていたから、そういう表情を探したり言動を探したりしてはむりやり見つけて、
ほら、やっぱりそうだ
と決めつけていた。


これも「ダメ」と言われたくないための防御の思考



Linpに何かを勧められたり、私の質問に答えてくれたりした時、私は一度は必ず抵抗する。

えー
私には必要ない気がするー
えー
なんかダメ出しされてる?
まだ克服しなきゃいけないことあるの?

Linpは別に私にダメ出ししてるわけでもないし、指摘してるわけでもない。Linpの経験の中で得たことを自分で整理するために私にシェアしてるだけ。


こういう反応をしてしまうのも「ダメ」と言われたくないための防御の思考



あれしちゃダメ
これしちゃダメ
そんなの見ちゃダメ
これをしないとダメ

ダメダメ言われて、でもダメって言われることをしちゃう自分がいて、ダメだと言われるとわかっててもそれをしないとストレス溜まるからやっちゃう自分がいて。そこに罪悪感があった。

溜まるストレスと罪悪感。
甘いものを食べてる時だけがその苦しみから解放される時間だった。
小学高学年くらいから、私は時々夜家を抜け出して、近くの商店でチョコクリスピーを買って食べるようになった。
太り始めた。
人より太っていると気づくと、そこにも罪悪感を感じるようになった。


もう家にいたくない。
故郷も大嫌い。


根本を癒さず表面を取り繕うだけの対処。
社会人になって仕事も忙しくなると夕食はアイスやお菓子で済ませて、ギリギリの心のバランスを保とうとした。

しばらくするとうつ病崖っぷちと診断された。
生理の度にものすごい頭痛に見舞われるようになった。


痛みは罪悪感から来るのだそう。


ダメって言わないで!褒めて!!


ここが癒されてないことがすべての原因だった。どうしても陥ってしまう自己否定。無意識に、瞬間的に自己防衛に走ってしまう感情。
食べ過ぎると気持ち悪くなるのに止められない甘いもの。



やっとこの根本原因をしっかり受け入れることができた。
そうしたらここを癒していく。
愛で包んでいく。


何をしてもダメじゃない。
何をしても大丈夫。
ダメだと人に言われても大丈夫。
よく頑張ってきたね。


朝晩の瞑想で愛の美徳で自分を癒す。
自分を愛で包む。
自分を愛するとは、自分の本心を認め受け入れること。
ダメって言われたくない自分を抱き締める。
褒めて欲しい自分を抱き締める。
自己防衛しちゃう自分を抱き締める。
罪悪感を持ってる自分を抱き締める。



瞑想中、ソーラープレクサスのあたりが眩く光輝き、虹色のスペクトルが瞬くのが見えた。
言葉が下りてきた。


魂が輝く。
魂が強く虹色に輝く。
もう大丈夫。
気づいた時、その時から癒される。
すべてはそこに気づき癒し、まっさらな光輝く魂に戻るため。


あ~~
やっと
やっとたどり着いた




《Ruruの体験》

「この景色もまもなく見納めかな」


ほぼ毎朝の散歩道。
今朝ふと沸いてきたこの言葉。


ん?見納め?
これは思考かな?はたまた直観かな??


いつもそう。
なんとなくぽやんと沸いた言葉。
自分の期待もあったりするだろうし、思考かもしれないし。。。

ぽやんと沸く言葉にはいつも自信がない。


最近そんなふうにぽやんと浮かんだことが、早くて数時間後、遅くても数日後にその通りになるという事実。


ペットボトルのお水用意しとくのがいいかな~
→その日の午後に友人が水一箱持ってきてくれた。

パンが食べたいな~
→翌日友人がパンをどっさり持ってきてくれた。

あの高級パンはやっぱりおいしいな~。もう一度食べれたらいいな♪
→翌日友人がそのパンを持ってきてくれた。

あの神社にもう一度行きたいな~
→翌日午前中に友人が来て一緒に行くことになった。

木曜日にお金が入ってくる気がする
→少し臨時収入があった。


などなどなど
記憶してることは食べ物に片寄ってる気がしなくもない(^^;)
小さいことだけど枚挙にいとまがない。


大きな直観は衝動に似ていてとてもわかりやすいけど、小さいものはよくわからない。



「この景色もまもなく見納めかな」


今朝浮かんだことも、いつもの感じでぽやんと思ったこと。
これはしっかり拾えたから、頭の中のぽやんとボックスに入れておこう。
今後ぽやんと浮かぶことはこのぽやんとボックスに入れることにする。

そしたら小さい直観も認識しやすくなるかも♪



《Ruruの体験》

本当にたくさんのすてきな方々が、人生を幸せに生きる方法を伝えるため、セミナーをしたり文章を書いたりしている。それぞれにさまざまな体験をして知り得たことを情報発信されている。


「それぞれ」でいいのに、
そんな活躍されている方々の様子を見ると、勝手に自己否定に走る私がいた。


私も何かもっと積極的に発信しなきゃなんじゃないか。
もっと体系立てて文章を書いたほうがいいんじゃないか。
こんなこと書いてても、みんな書いてるようなことだし、私が書く意味ってあるのかな?
etc..
etc..
etc...


そしてどーーーーんと心が重くなる。
( ̄▽ ̄;)


いや、そんなことない。
私の経験が誰かの役に立つってこともあるし、いろんな方が書いたほうがそれぞれの波動にあった、個性にあった情報に触れる機会が増えるわけだし、意味はあるよ。。


なんて自分を励ましては、誰かが活躍してる様子と比べてどーーーんと落ちる・・・ってなことをしばらく繰り返してきた。
ほんとどんだけ繰り返してきたか!(笑)
人間の心のことを学び始め実践し始めて約9年。まー、飽きずにさんざん繰り返してきた。



そんなわたくし。
本日本当に本当に、自分がやってて楽しい!ことをピンポイントで掴むことができました!!


私が楽しいって思うことを書く、おしゃべりする!
・実践して体感したこと
・実践して気づいたこと
・楽しみながらやるって決めたこと
・感動したこと、すごい!って思ったこと



こうやって書くと今までやってきたことじゃん!って思えるけど、改めて私はこれをしてる時が楽しいし、ハッピーだし、気分が軽やかになるなって確認できた。
教えるとか論理立てて説明するとかじゃなく、思いついたままに、手が動くままに、頭に下りてきたままに文章を書き、おしゃべりするのがいい~!
ずーっとやってられる♪


これでやっと人と比べるのを手放せたかな?
また比べちゃったとしても、比べた自分を愛せるからいいけどね♪




《Ruruの体験》

一つ前のnoteで
甘えたいんだ
に気づいた私。


今朝の瞑想でもう一段気づいたことがあった。


「甘えたい」も素晴らしい!
「甘えたい」も与えてる❤️



瞑想していると猫が膝に上がってくる。
我が家にはたくさん猫がいるので、代わる代わる上がってきたりする。

以前は瞑想中に猫が膝に上がると気が散って思考を止められないとか、集中できないからと思って、猫が膝に上がらない工夫をしてた。それでも上がられると、もう!と猫を追い出したりしてた。
さらには、君が上がってくるから集中できなかったじゃない!なんてぼやいたりしてた。


ここ最近は瞑想中でも猫の自由にしてる。
私に起こることはすべて勝手に起きていて、しかもすべて私の訓練や練習や気づきに繋がっていると思ったら、瞑想中に膝に上がられてもそんなに気にならなくなった。


今朝もやっぱり何匹か上がってきた。
それを感じて私はこう思った。


猫らが甘えてくるのは嬉しい


ん?


甘えられるのは嬉しい???


あ!!!!!


そう。
甘えてもらえるって嬉しい!
猫らもそう。
好きな人もそう。


どうしたの?
なにか手伝えることある?
そう声を掛けたとき、素直にこれこれに困っててーーーと言ってもらえると、よっしゃ任せて!と張り切って助ける。
逆に、ううん大丈夫なんて言われちゃうとがっかりしたりする。


お役に立ちたいのにーー(^o^;)



人間誰かの役にたちたいもの。
何かの本にも書いてあった。
人が最大の幸福感を感じるのは、何かの役に立てたと感じられた時だって。


「甘えたい」は相手を喜ばせることなんだ。
相手に与えてることなんだ。
甘えさせるって経験を、嬉しいって経験を。
甘えさせてくれる人は甘えてほしいのだから。


猫のように素直に、甘えたい人に甘えちゃっていいのだ!




《Ruruの体験》

最近二元、非二元の話をよくLinpとしている。
この物質世界は二元性の世界。
「正しい」「間違い」
「好き」「嫌い」
「私」「私以外」
私とそれ以外のものが分離しているという見方の世界。

この世界にいるといろんな出来事が苦しく感じる。


*****



現在、私たちはいろんな方々に助けていただいて生活している。
先日ある方と会話していて、その方には負担をかけてないのだなと思えた。
それでホッとしたの~、とLinpに話したところLinpはこう言った。

「二元的な見方をすればRuruの言うような見方になるね。負担をかけてるんじゃないかと思って苦しさを感じてたってことだよね。自分とその方とは分離してると思うから苦しみが生まれるんだ。
でも非二元的にこの出来事を見れば、すべては一体だから、負担をかける相手もいないし、自分もいない。だから苦しみは生まれないんだよね。」


いや。。。
それはそうなんだけど。。。
私はただ、こういう感情になったんだよーって言いたかっただけで。。。

私の理解を助けようと、一生懸命論理的に話すLinp。Linpの言うことは正しい。
正しいけど!こう感じたってこと言いたかっただけなんだよぉ~~!!



数ヵ月前も似たようなことがあった。
ネガティブな感情になった出来事を人に話すと、その人をもネガティブな感情に引っ張ることになるから話さないほうがいい、と本で読んだ。同様に書かない方がいいってことも。

それを知ったとき、私は思った。

そうかも知れないけど、私は自分の感情の変化を話したいんだもん。聞いてほしいんだもん。


でもやっぱり話したり書いたりすると、話したり書いたりしている間にまたネガティブな感情に浸っている自分を発見。当然聞いてる相手もいい気分じゃない。
なんどか経験してこの気分に向き合って、私は意を決してネガティブな感情について話すのも書くのも止めた。

すると!

いい気分の状態を保ちやすくなったし、結果としてすべていい方向に行ったのだ。
そしてネガティブなことについては、もう話したいとか書きたいとすら思わなくなった。



だから今回も、分離している状態の感情について話さずに、非二元で見ればどうなるのかにフォーカスして非二元の世界に意識を向けていけば、いつしか楽にそれができるようになり、分離した状態の感情について話したいとすら思わなくなるのだろう。

きっとそうなる。。。。



でも一抹の寂しさが私に生まれる。
以前も同じだった。
そう、寂しいの!

だって自分の感情の変化について聞いて欲しいんだもん!


あ、これって・・・
甘えたいんだ
私、甘えたいんだ!!


おいおいおい
かなりいい大人な年齢になって、まだ甘えたいって、うそぉ~~~!(赤面x青ざめ)


私の精神はとことん幼いのだ。
甘えたい。
話さないってことは甘えられないじゃん。
そう思っちゃうから、抵抗しちゃうんだ。


甘いものが大好き。
でも最近、甘いものあまり食べるとすぐ気持ち悪くなる。
でも食べたーい!
どうやら甘いものを食べることも、私の中では甘えてるってことだったみたい。

ひえぇぇぇぇ~~~



実践を重ねていけば、感情の変化について話さなくても、甘いものを食べなくても、きっと甘えられた満足感を味わえるものが見つかると思う。
たぶんいつも充分に愛されてるという実感が増してそこに居続けられれば、甘えたいという気持ちも薄まってくるに違いない。



甘えたいって気持ちがある私をそのまま受け入れる。
愛されたいって気持ちがある私をそのまま受け入れる。
まだ分離の世界、二元性の世界で物を見ている私をそのまま受け入れる。
そして少しずつ、非二元性の見方ってやつを実践していってみよう。



最近変化が早いから、おそらく一週間もあればだいぶ変わってくるだろう。
さ、実践しよっ!!!
楽しみ~♪




《Ruruの体験》

ある本に書いてあったお話。
バリバリ働くキャリアな女性。
その方がある日進行性のガンと診断され余命3ヶ月を告げられる。
その方は不思議と動揺や落ち込みのような感情はなく、ただ淡々と死を迎える準備をしていたという。
借金を返済し、不要なものを残らず手放す。
無駄な会話を止め、真実を話す。
やりたくないことを一切しない。
その状態は「平和な断絶状態」。

そして3ヶ月後。
なんとガンはすっかり消えていた。
そして何でも現実化し癒せる能力を得ていた。


何も必要じゃなくなったとき、
すべてを得られる
物事を起こそうとがんばるのをやめたとき、どんなことも起こりうる
~とんでもなく全開になれば、すべてはうまくいく(トーシャ・シルバー)より



なるほど。
そこまでではないけれど、今年特にいろんなことを経験したお陰でこの感じがちょっとわかる気がする。


今年の始めごろまでは、理想の家や生活環境、必要なサービスやスタッフなど具体的に持っていた。泊まったり出掛けたりする場合、その場所のクオリティも高いものを求めていた。

以前そういう高いクオリティを体験し心地いいと感じたから求めていたわけだけど、その後それを求められない状況(それどころかライフラインすらない環境)を体験した結果、それでも充分足りるということを知った。むしろ幸せをより感じられてたりする。

するとあんなに具体的に書き出していた望みは、ほとんど必要とは思えなくなった。あってもいいけど無くてもいい。物質的なものならむしろ無いほうが自由でいい。

つい先月、長年大事にしてきた大好きな着物も手放したけど、自分の余命があと3ヶ月と告げられたと想像してみると、それも手放して正解だった!と本当に思える。持っていても仕方ない。ほぼ着ないしね。


もちろん今望むものが何もないわけじゃないけど、それがいつ手に入るかと心配することはなくなった。
必要なものは、私が考えるよりも完璧なタイミングで、私が考えるよりも充分すぎるものを得られる。


なんて自由で豊かで軽やかなんだろう。
今が一番充実してる。
今が一番幸せ。
朝から声出して笑ってる!
朝日に照らされた景色の美しさに感動し、飛び立つ鳥たちの美しさに見とれてる!




《Ruruの体験》

彼女は私の大好きな人。
明るくてかわいくて、そして最近ますますキレイになった。

私が彼女を好きな一番の理由は、彼女が等身大であること。
自分が感じたこと以上に、自分を凄ぶらない。格好つけない。
いいふりこかない(これって方言?)
でも伝えてくれることは的を射ているし、いつもビンゴ、ど真ん中!

そんな彼女を凄いな~と思った時に、彼女にそれを伝えるとだいたいこう返ってくる。
「そんなことないよ~」
「なんにも出来てないよ~」
「私なんてぜんぜん綺麗じゃないよ~」



・・・
う~ん、、、、
そうかなぁ。。。。




Linpは私にないものを持っている。
論理的に説明できるしちゃんと整理もできている。
たぶん無意識のうちにインスピレーションを受け、経験する前に真理を選びとることができる。
何かを聞くと、的確な情報をすぐさま彼の引き出しから取り出して説明する。

そんな彼がよく言うこと。
「オレは実践できない」
「Ruruはものすごくたくさん経験してきている」
「Ruruの直観で伝えたほうがいい」
「オレは特に何かを感じることはない」



・・・
う~~ん、、、、
そうかなぁ。。。。




私から見ると、
彼女が本当に好きなことをしている時、とてもキラキラしているし、すごく行動力もある。
とっても素直で宇宙にめっちゃ愛されてる。


私から見ると、
LinpはLinpなりに実践している。
ハートの美徳の「勇気」を「理解」と「許容」を持ってめっちゃ実践している。
それにLinpだって直観をすごく受け取っている。受け取って動いてる。




ん???
とすると、、、、、
私は????


まだまだ分離の世界にいて統合しきれてないことがいっぱいある私。

私から私を見ると、
特別何かができるわけでもなくて(リーディングとかヒーリングとか)
まったく容姿がよくなくて(こないだ久しぶりに画面に映った自分を見てがっかりした・・・)
論理的に整理できないから、説明もできない。
ないことばーっかり!


でもこれってきっと外から私を見ると、
「いっぱいもってる」
「充分ある」
「かわいいし!(言ってくれた方ありがとう涙)」
なんてことになるんだろう。。




自分ではとてもそう思えないけど、人から見たら充分ある。
それは(そのことに関して人より)自分のハードルが高いとか、自分で自分を見ると距離が近すぎて正確に見えないとか、ってことだろう。

自分の自分に対する評価はたいてい厳しい。
「控えめ」は日本人のいいところだけど、自己評価については時に苦しいばかりだ。


人が自分をどう評価してくれているかを謙虚に受けとることが大事だったりする。
高く評価してくれたことについて、
「いやいやいや」
なんて反応するのは謙虚とは真逆の対応だ。
本当の謙虚な態度は、
「ありがとう(感謝)」
となる。



大いなる存在(高次の自分)は私を、あなたを、ハートの美徳(感謝、慈悲・思いやり、寛容・許容、謙虚、理解、勇気)で見ている。いついかなる時も愛を注いでいる。

私たちは、今世、目的を持ってこの世に産まれてきた。
その願いを叶えるために、経験したいことを経験できるようにすべての事柄、出来事を大いなる存在は整えてくれている。


私であれば美しくない容姿でなければ経験できないことを経験したいと願ったのかな。
だから私には美しくない容姿を与えてくれたってことかもしれない。


よし!存分に経験しよう!
宇宙と私は一体。
必要な事、物、情報、出会いは、ベストなタイミングでベストな状態で、いつも与えられている。




《Ruruの体験》

いい気分でいれるようになったのに、なぜこんなことが起こるのか。

頑張っているのに、なぜこういうことが起こるのか

だいぶいい感じで過ごせているのに、なぜ気分悪くなっているのか


そんな経験をたくさんした。


もう疲れた。
真理だと思っているから頑張っているけど
途中でやめる気持ちは全くないけど
でももう疲れた。
もういい加減疲れてきたよ。
違うって言われたくない。
まだなにか足りないのか。
まだなにか間違っているのか。
もういい加減疲れてきたよ。


頑張ってるねって言ってよ!
よくやってるよって言ってよ!



宇宙は
ソースは
言ってくれている。


あなたはよくやっています。
あなたは充分よくやっているのです。
私たちはあなたを本当に誇りに思っているのです。
すべては順調です。


振り返ると、まさにそうだった。
すべての出来事は私の魂が成長するため、学ぶため、練習するために起きていた。
ひとつひとつの出来事は
その時の私に必要な気付きと
それを統合するための練習をさせてくれるものだった。



出来事は勝手に起こる
私が望むかたちだったり
望まないかたちだったり

それによって私の思考や感情は動く
私はそれを観察し統合する

そして円満になっていく