本当の自分を知り、本当の自分として生きる (Linp&Ruru) -2ページ目

本当の自分を知り、本当の自分として生きる (Linp&Ruru)

本当の自分を信頼し任せることの大切さを様々な学びと実践経験から得た気付きを夫婦2人(Linp&Ruru)でシェアしていきたいと思います。

 

私は誰か

 

その思考をしているのは誰か

その感情を感じているのは誰か

 

それは本当の私か

 

本当の私とは誰か

 

一なるもの

ソース

源泉

Something Great

 

 

真実の自己に還る

そこにあるのは真の自由、真の幸せ

《Ruruの体験》

『もっとも深いところで、すでに受け容れられている ~普段の生活の中で根本的に目覚める~ (ジェフ・フォスター)』を読んだ。


その中に私たちは「大海の波の一つ」という表現がある。

 

ほんとにそうだ~!


波の形が美しいかどうか
波が高いかどうか
そんなことばかり気にして生きてきた気がする。
そして、自分は波の一つで、大海の一部(常に変化するもの)であるのに、『自分』ひとりで生きていて自分を守るのに必死だった。

 


大海は愛で満ちている。その中にいるのだから愛に包まれ、もちろん受け容れられている。
波が起こるのも消えるのも、どんな形になるのかもすべて自然。すべてその時それで完璧なのだ。

 

自分がいるという幻
自分が判断しているという幻
自分が考えているという幻
自分が選択しているという幻
自分が感じているという幻

 


元々完全に愛され受け容れられていた世界。そこから、分離したように思える世界に来て様々な経験をし、受け入れられたい、愛されたいと望む。その場所に戻りたいと切に望む。人の望みはすべてそこから発せられている。本当は分離もしていないし、いつでも愛の中にいて受け容れられているのだけれども。


様々な経験をし、そして元々愛され受け容れられていたことを思い出す。今も愛され受け容れられていることに気付く。
宝探しゲームみたいだ。

 


※愛とは心地いい感情だけではない。愛はすべての感情を受け入れる。

《Ruruの体験》

「わたし」は存在しない


すべてと一体


愛の中にいる


愛に包まれている


愛の海の中の波のひとつだ

 

 

背中から何かが外に抜けていくのがわかった
千と千尋のおクサレれ様からゴミが抜けて軽くなり「神」が飛び去って行ったように。

 

体が軽くなった。
視界が明るく軽やかになった。

 

これもすでに計画されていたことがただ起こったこと。


もう一度味わってみる。

 


「わたし」は存在しない


すべてと一体


愛の中にいる

 

 

また背中からなにかが抜け体が軽くなった。


すべての出来事も思考もただ勝手に起こり浮かんでくること。


思考すらも!

 

あーーー

 

一切の罪悪感は飛び去り
一切の苦しみも飛んでいく

 


遊びをせむとや産まれけむ

《Ruruの体験》

感情は揺れ動く。

 

いい気分で幸せを感じたかと思ったら、数時間後には嫌だなと思ったりする。感情は彩り豊かでクルクルと変化する。
ずっといい気分でいたいけど、きっとずっといい気分でいたらいい気分なのかどうかわからなくなる。いろんな感情がわくからこそ、いい気分になった時には本当に幸せを感じるのだろう。

 

 

 

様々な出来事はただやってくる。
望まないことが起こらないように「正しく(正しいと信じているように)」生きていても、すべての出来事はただやってくる。その出来事により魂は成長する機会を得る。


 

魂は自分が生まれる前に望んだように成長していく。高次の自分(ハイヤーセルフ)はその望んだ状態をよく知っているので、そこに到達するように導く。到達するために気付くこと、思い出すこと、経験することが必要であれば、そのための出来事が起こる。それは完璧なタイミングで起こり、成長は完璧にスケジューリングされている。

 


 

 

出来事が起きると感情は動く。
動いた感情をそのまま感じ、そして出来事をただ見る。そこに判断を一切加えずにただ見る。見た上で対処する。

出来事にどういう意味があるのかと考えない。過去の原因探しや未来の心配などはしない。考えたとたんに不安が押し寄せる。エゴの大活躍だ。

 

 

出来事が起きた意味やどうなるかなどは、すべてハイヤーセルフを信頼して任せる。
考えがわいたらハイヤーセルフと話す。ハイヤーセルフはすぐに必要な情報を与えてくれる。それは誰かの言葉だったり目にしたものだったりどこかからのお知らせかもしれない。信頼してすべて任せている状態ならすぐに受け取れる。

 

 

 

 

この状態だと何が起きてもブレずにいられる。突然の大貧民にも。突然の大富豪にも。

 



《Ruruの体験》

家のそばの川で工事をしている。
大小のショベルカーやトラックが川に堆積した土の除去作業をしている。
見てると、首の短いショベルカーは自分がいる側の土を運び、首の長いショベルカーは自分の側の土を反対側に運ぶ作業をしている。川岸から除去された土はトラックに積んでどこかへ運び出されている。

当たり前の光景だけど、いろいろな形をした機械が自分の特徴を活かして協力して作業をしている様子に、「ほほえましいな~」と思ってしまった。

あら。。

ビジネスウーマンだった頃、休職したことがある。その時は犬や猫すらかわいいとは思えなかった自分がいたのに、今、機械を見てすら「ほほえましい」と思うなんて!!!

なんと健康的な感情で生きていることか~。
なんて幸せなことだろう。



散歩しているといろいろな出会いがある。
白鳥の親子
サギの親子
多種のカモの親子
電線や樹にトンビが止まってたり
もちろんカラスも犬も猫も雀も

おはよう!

気持ち良さそうに過ごしているのを見るのはなんて幸せなんだろう。



我が家には猫が12頭いる。1頭はペットショップから買った子だけど、他はみんな引き取ったり保護したりした子たち。
我が家の猫はみんな人なつっこい。らしい・・・。猫に詳しい方に言わせるとみんながみんなというのは珍しいらしい。

特に特別な育て方をしてるわけじゃない。むしろなにもしていない。

飼う前は私に生き物を育てることができるだろうかと思っていた。でもそれは大きな勘違い。私が育てているんじゃない。猫らは勝手に育っている。多少調子が悪くて食欲がなかったりしても、自分で食事の量を調整し、時に絶食して、じっとして、自分の体調をコントロールしている。数日もすればケロっと元気にごはんをパクついている。

我が家の12頭は揃いも揃って甘えんぼさん。代わる代わるなでて~と寄ってきたり、スリスリしてきたり、側に座ってジーっと見つめてきたりする。膝の上にぐいぐい乗っておしりを上げておしりポンポンを要求してきたりする。

そんな時、私も甘えたいときに甘えられるのが幸せだって感じるから、めっちゃなでなでしたりポンポンしたりする。

そうすると、私がなでなでしてもらってる感覚になって、めちゃめちゃ癒され満たされる。
幸せ~❤️



近くの温泉に入りに行く。
家でお風呂に入れないから数日置きに行くのだけれど、めっちゃ気持ちいい。
家のお風呂に入れないということがなかったら、たぶん入りに来なかったところ。
この地域では銭湯のような温泉があちこちにあって、人々は日常的に入りに行く。
長時間ではないけれど、お風呂掃除はしなくていいし、たっぷりの温泉湯に浸かれるし、すごく豊かで幸せだな~♪



何が今の自分にとって必要なもので何が必要じゃないものか。
心がワクワクするものは取っておく。そうじゃないものは手放していく。いただいたものだからとか、特別なものだからとか関係なく。大好き!と思えるものだけ残していく。

今まで何度目かの整理だけど、よりクリアになっていく感じ。猫らのものが何より多いし嵩張ってるけど(笑)大好き!なものだから手放さない☆



どんどんシンプルに。
どんどん軽く。
さあ、準備はできたよ♪




《Ruruの体験》

前の記事に書いた幸せな選択をすると安心感を感じる。
その安心感を感じたとき、私はよくワナにハマっていた。


.。o○.。o○.。o○



不安・心配・怖れ・イライラを感じ、それをそのままにして【】をみる。


初めてやってみてもすぐにちょっと安心できる感じがする。胸は軽くなり、あんなに考えていたことを考えなくなる。


するととたんにエゴが騒ぎ出す。


いいの?それでいいの??
安心してて解決できるの??
なにもしなくていいの??
考えなくていいの??


ハッとして、そうだよね・・・と考え出す。そしてまた不安・心配・怖れにハマっていく。。。(^o^;)


私の場合、そこは経験を重ねることでエゴのワナにハマりにくくなったと思う。


「私」という存在があると考えると、「私」を守りたいという欲求が出るからなんとかして守ろうとして考え出す。守ろうとして善悪や正否で判断しようとする。これが二元の世界。

宇宙と私は一体。
ハイヤーセルフと私は一体。
「私」という個はまぼろし~。
これが非二元の世界。
善も悪も正しいも間違ってるもない。

なかなか腑に落とせるところではないけれど、そうだとすれば守ろうとするものもないし、判断するものもない。



ワナにハマりそうになったら、愛されていることを思い出す。
そしてハイヤーセルフがすべてを最高のタイミングで整えてくれることを信頼する。


それは一見望まないことかもしれない。望まないことだとすれば、それは自分の魂の成長になるチャンスだ!
出来事や現れる人、言われる言葉、要求されることは、私が私をどう思っているかの投影。私が望んでいることの投影。


ぐいぐいズケズケ来る人が嫌いだった。
これは私が自分の思った通りぐいぐいズケズケしたかったから。それをダメだと言われずっと我慢していたから。

何かを要求されるのが怖かった。
これは私が嫌われないように生きていたから。要求には答えないといけない。はみ出してはいけない。ダメ人間じゃいけない。などなど



こうした出来事から自分の本心が見えてくる。そして自分が信じ込んでいたものが見えてくる。そしてそうじゃなくてもいいんだ、あるいはそうしてもいいんだということを知るきっかけになる。


ただ、望まないことが起きるとやっぱり瞬間的に不安・心配・怖れ・イライラのような感情が出る。
その感情が出るのは未熟だからじゃない。悟ってないとかまだ成長してないとかそういうことじゃない。

この物質世界で生きている以上、そういう感情は出るのだ。
その感情が出たことを否定したり、出てないことにしたり、なぜ出たのかと分析したりするのは分離の方向に行くことになる。


出た感情をただ見て受け入れて、そして宇宙に、ハイヤーセルフに愛されていることを思い出しその感情に浸る。

それがワナにハマらないための私なりの秘訣なのだ。



《Ruruの体験》

いつ見ても幸せそう。
いつも楽しそう。
そう見える人はどちらを選択してるのか。


 A 不安、心配、怖れ、イライラetc.

 B 愛、喜び、幸せ、感動etc.


不安になる出来事
心配事
こうなったらどうしようという怖れ
思い通りにならないイライラ

そういう感情を感じたとき、幸せな人は【】を見て愛の感情を選ぶ。

不安や心配、怖れ、イライラの感情を否定もせず、無くそうともせず、それがあるままで、【】を見る。


.。o○.。o○.。o○



引き寄せの法則を実践し始めた頃、ネガティブな感情は波動が低いんだと知った。コントラストを経験することで高次の自分(ハイヤーセルフ)は願望が叶った状態になっている。その願望を受けとるには波動を高く保てばいい。
だから高波動でいられるよう気分が良くなることにフォーカスするように頑張っていた。
波動を高く保てるようになれば、不安や心配、怖れなどはなくなるんだろうと思っていた。


2020年は本当にいろんなことがあって、精神的に大きく変わった年になった。残すところ1ヶ月の今、総決算のような出来事が起きている。


ああ、こういう感覚なのか

外から見たら、またまた大変な状況の中、今の私はとても期待に満ちて楽しみで、とっても穏やかな気分なのだ。



起きている事を見て、それを解決しよう、解消しようと思えば、不安・心配・怖れがやってくる。


でももう私はそっちを見ない。


今までさんざんそっちを見て、なんとか解決・解消しようとやってきた。やっと解決できた・・・そう思ってホッとしてもまた似たような出来事が起きる。似たような問題が起きる。気分は周りの人の言動や状況に左右され、ちっとも穏やかさを保てない。常に何かが足りない感覚があった。


不安・心配・怖れの感情に捕らわれると、胸がギューっと固く苦しくなる。息をするのもやっとなほど。そんな状態で「いい気分」になんてなれない。「いい気分」を撰ぶ!!と「いい気分」になれることを考えたりやってみたりしても、胸は不安・心配・怖れに捕らわれたままでちっとも楽しめない。安心なんてできない。


もういい。もう十分やってみた。
やめる!
起きている事を見て、それを解決しよう、解消しようなんてやめたー!


すべてのことをハイヤーセルフを信頼して任せる!!



振り返ってみればこれまでの人生のすべての出来事(良いことも起こってほしくなかったことも)は、どれも最高のタイミングで起きていて、すべて私の魂の成長となっている。

幼い頃の利己的な経験
青年期の外的世界の不足を感じる経験
壮年期の社会的挫折の後の自分を知っていく経験

そして今年起こった大きな出来事の数々を経験する中で、やっと自分の感情を少し客観的に見れるようになれた。


ここまで導いてくれたのは大いなる存在。ハイヤーセルフ。内なる存在。well being。
それは愛の存在。
すべての人、生物、出来事を愛の視点で見る存在。

私が肉体を持ってこの物質世界に生まれた目的をよく知っていて、その目的を果たせるように導いてくれている。
それは裕福になることとか、すべての物を手に入れるとか、名声を得るとか、そういうことではない。そうじゃないから目に見える状態は、それで幸せなの?そんなんで??と問いたくなるようなものかもしれない。少なくとも今は。

私自身、私が生まれてきた目的を明確にはわかっていない。でもきっとこういういことなのだと思うことがある。そこに向かって順調に歩んでいるのが今ははっきりとわかる。



だから私はハイヤーセルフを信頼し、ハイヤーセルフにすべて委ねると決めたのだ。


ハイヤーセルフと私は一体だ。
ハイヤーセルフがすべてを愛の視点で見ているように、私もすべてを愛の視点で見る。

私自身を愛の視点でみる。
不安になっても、うまくできないと感じても、親が子供を見るように私自身を見る。
大丈夫、うまくできてるよ。
いろんな感情を味わえてるよ。
超順調だよ!


相手を愛の視点でみる。
嫌な感情を持たされるようなことをされても、その感情を私が味わうことで私自身が気づけることがある。それを経験できる。魂の成長のステップを上がっていける。
「そのために嫌な感情を持たせる」という役割を担ってくれた魂としてみる。


出来事を愛の視点でみる。
環境や健康などの問題として見えていることも、宇宙の大きなサイクルの中では次のステップへの進化の過程とか浄化とか、そういう意味があること。
私はこの辺は詳しくは知らないけれど、その宇宙の大きな意図を信頼する。


不安・心配・怖れを感じたら、相手にイライラしたら、その感情をみる。
あー、不安なんだな。だから心配な気持ちがわいてくる。怖れを抱く。
自分を認めてほしいからイライラしてるんだな。

そしてそれをそのままあるままにして、愛の目線でみる。
今、暖かく過ごせる。
今、この瞬間を過ごすには十分なものがある。
相手も自分もわかってほしいのは同じ。認めてほしいのは同じ。


そして思い出す。
私は愛されている。
ハイヤーセルフに愛されている。
宇宙に愛されている。
すでにもう私がこうしてほしいと思う以上に愛されているんだ。




《Ruruの体験》

石鹸を探せ!!

探してない時は石鹸を見ていたのに、探し始めたら石鹸が見つからない。

私はある石鹸をイメージして探していたが、そのイメージが石鹸を見つけるのを邪魔していたのだ!


○o。.○o。.○o。.


引っ越し時のダンボールに入ったままの荷物がたくさんある。すぐにまた引っ越す可能性があるので、必要なもの以外出してなかった。

ある日石鹸を探していた。
確か小箱に入った石鹸が一つあったはず。(牛乳石鹸のような感じで)
どこかのダンボールにあったのを見た記憶がある。確か「洗面」と書いてあるダンボールだった気がする。


ない。


あれ?
すぐに使うようになるからと、どこかに出しただろうか。。。

出した可能性があるところを探索。


ない。
あれ?


こういう時は時間をおいて探すと見つかったりする。


日を改めてまた探索。


ない。。。。
おかしいなー


数時間後、やっぱり「洗面」ダンボールにあった気がする。
そう思ってマジマジ探索。


あったー!!!
小箱じゃない紙に包まれた石鹸が!!!

小箱に入っている石鹸をイメージして探したので「小箱」を探してしまってたんだ。
紙に包まれたものは目に入らなかった。


○o。.○o。.○o。.


これって探し物だけじゃない。
ヴィジョンボードやノートなどに貼ったり書いたりして願望を叶えるツールもいろいろある。私もやっていた時期がある。
ある程度次々叶う。だけどあまりにも思い入れか強くて具体的すぎるものは叶いにくかった。

具体的にイメージしすぎると、そのイメージと違う形で目の前にあっても、あることに気づけないのだ。


得たいものがある。
でも本当に得たいのは、そのものじゃなくてそのものを得たときに感じるだろう感情、状態だったりする。

心配がない状態。
不安がない状態。
安心してゆったりしている状態。
必要ならあげるよ~、持っていって~というオープンな状態。


欲しいものはすでに宇宙に用意されている。ボルテックスにある。そして高次の私は宇宙と一体。つまり高次の私はすでに手にしている。

物質世界の私が手にするのは、絶妙で完璧なタイミングで、私の想像を越えた大きさ、質、量なのだ。

楽しみに待つとしよう♪

完璧な○○はすでに用意されています。それは一番いい形で、一番いいタイミングで現れます。それを受け取ることにとても感謝しています。