年を取ると、体の働きが悪くなる。
動きが鈍いし、神経の働きなんかもそうとうとろい。
街に出れば人の流れについていけないし、
人の話もなかなか理解できないし、覚えも悪い。
やっかいものにはなりたくないし、
それに体中しわだらけで見た目もひどく醜態をさらしたくないので、
最近はほとんど外に出なくなってしまった。
若い頃は全く意識してなかった「死」も間近に感じられるようになり、
最近の関心ごとは、どこで死のうか?
死に場所探しである。
ただ思うのは、
若い頃イケメンでモテモテだった奴、
社会で大成功を収めて名を馳せた奴、
今どうしてるかわからないが、
みんな死ぬときはひとり。
死にざまだけは平等なんだろうな。
そう、
俺は老虫。
ひっそりと死を待つだけ。
最後に人と会ったのはいつだったっけか?
最後に言葉を発したのはいつだったっけか?
それも遠い昔のような気がする。
「老」
って言葉は元々中国では、
年老いるっていう意味の他に、
親愛なるとか、尊敬すべき、熟達した、しばしば~するなど、
良い意味もたくさんあるはずなのに、
なぜか日本に入ってきたら、老害とか老化とか老人とか、
悪い意味にしか使われなくなってしまった。
それだけ日本という国は老人に冷たいのか・・・
老人の蓄えをはぎ取ろうとしてる節もあるしね。
ああ、
何かを考えれば愚痴ばかりになってしまう。
余計なカロリーを消費しないように、
また動かずにじっとしてようか。
そんな俺の元に、
たしか1か月前だったか、
ひとつの小包が舞い込んだ。
「老虫さん、小包!」
なんか、茶色い塊りだった。
どうやら食べられる物のよう。
歯が無いから、
1時間ぐらいかけてようやく全部食べ終わった。
肛門から出てくるのにも相当な時間がかかったけれども、
その塊りが、
何を意味しているのか理解するのにも、
一カ月近くを要した。
日本は心無い国だ。
人の国を真似てクリスマスを流行らせたと思ったら、
今度はハロウィン。
ハロウィンが流行りはじめたら、
驚くほどクリスマスに人が見向きもしなくなり、
下火になってクリスマスグッズも売れなくなってしまったらしい。
お出かけ業界もぱったり。
そもそもハロウィンは英米の小さなお祭り、
それに対してクリスマスは欧米圏全体の元旦に匹敵する大きな行事なのに、
そんなこと日本ではどうでもいいんだね。
バレンタインもホワイトデーも、
なんも考えないでブームになってるだけなんだろうけど、
でも、
一匹の老虫を忘れないでいて、
憐れんでくれた、
日本のおなごの心には感謝したい。
日本は、人を踏み台にしたり、
人騙しのうまい人が、
生き残っていくような社会になってしまった。
こんな壊れてしまった日本は、
再起不能だと思ってはいたんだけど、
一人一人の
心の中にまだかろうじて残っている、
優しさに期待したい、
と思って、
俺のお腹の中で熟成して柔らかくなった、
あったかい茶色い塊りを
送り返しておいた。
-完-