一般人の私がJWブログを書き続ける理由の1つに、この記事のタイトルに書いた思いがあります。
私の父親の姉がJWでした。
「でした」
と書いたのは、もう亡くなってしまったからなのですが。。。
そして、伯母は最期まで、おそらく
「JWとして」
亡くなったのだろうと思いますが。。。
とにかく、伯母はJWでした。
伯母は、弟である私の父親(ややこしいですね(^_^;))のことをとても可愛がっていました。
父親も、伯母とは仲良しでしたが。。。
たった1つ。
伯母に厳しく言い渡していることがありました。
「自分(父親)の家族には、絶対にJWの教えを伝道しないこと」
伯母は、可愛い弟との約束を守って、私の家族に伝道することはありませんでした。
大会のために、泊りがけで遊びに来ることがあっても。
本当は、信じているJWの教えを、復活と永遠の命の希望であるその教えを、どんなにか弟家族に教えたかったことでしょう。
でも、可愛い大切な弟に疎まれたくなかったの。。。
あるいは、全然伝道しないことで、
「教えを知らないままに死んだ不義の者の復活」
を心ひそかに願っていたのかもしれません。
でも、もしも。
伯母が私の父親との約束を破って、母や私に伝道していたら?
そして、母がJWの教えにハマってしまったりしていたら?
私は、もしかしたらJW2世としての生活を送っていたかもしれません。。。
そして。。。
もう1つ。
私が人生で初めてつきあって、ただ1人、大好きでたまらなかったその人の母親はJWでした。
彼が15歳、私が16歳で出会って、1年後につきあいだし。。。
それから8年間。
遠距離恋愛となりつつも続き、周囲のみんなも、そして私たち自身もいつか当然結婚するのだろうと思いこんでいた矢先の事件。
すべての夢も希望も失ったかのように感じた上に、死にそこなった私は希死念慮に囚われつつ抜け殻のようになってしまい。。。
彼の方は、突然の私との別れが消化できずに鬱になり、JWの道へ。。。
JWになった彼から
「一緒に生きられなくても、せめて同じ世界に居たい。」
と、JWの研究を勧められた時。
一緒に生きられないのに、目の当たりに彼を見続けることも辛すぎたし、ましてや汚された身だと知られたくなかったこともあって、感情的に電話を切ってしまったけれど。。。
でも、もしも。
これが他の人から彼のJWの入信を知らされたのだったら。。。
そして、他の人からJW研究を勧められたのだったら。。。
あの時、彼が願ったように
「一緒に生きられなくても、せめて同じ世界に居たい。」
私もそう願い、JW研究を始めていたかもしれません。。。
そう。
「私は決してJWにはならなかった。」
とは、とてもじゃないけれど、言い切れない。
そして、今のようにネットでの情報も知らなかったあの頃に、JW研究をしていたら。。。?
私、自分で言うのもなんですが。。。
きっと、結構、それなりに模範的な姉妹とやらになっていたんじゃないかと思ってしまうのです。
多分、野外奉仕は苦手だったと思うけれど、真面目に研究に取り組み。
エホバに愛されるような人格を身につけようと努力し。
周囲の人との和をできるだけ大切にしながら、自分のできることを探し。
少々辛いことがあっても、ひたすら耐えて。。。
そして、いつかひっそりと心病んでしまっていたかも。。。
いやいや。。。
それは、妄想が過ぎるかな(^_^;)
もっと、マイペースにお花畑満開になっていたかも(笑)
それとも。。。
JWであることが唯一の命の道だと、かわいいわが子に涙ながらに鞭を振るってしまっていたかもしれない。。。
ああ、それから。
もしも、彼がJWにならないまま結婚できていたら?
それでも、彼の母親は熱心なJWで。
子どもが生まれたら、かわいい孫のためについついJWの教えを持ち込んできたかもしれないし。。。
人生の、いつ、どの瞬間に、私はJWになっていても不思議はなかった。
だけど、私は、いろんな偶然によって、結局JWにはならなかった。
ただ、それだけのこと。。。
だから。。。
ネットで調べ始めて知ったJW関係者の方々のさまざまな姿は、まるでパラレルワールドのもう1人の自分の姿でもあるようで。。。
とても、他人事には思えなかった。。。
今も、その思いは変わりません。。。
いや、反対にどんどん深くなります。
もしかしたら。。。の、もう1つの私自身が歩んでいたかもしれない人生の形。
私はJWにならなかった、とはやっぱり言い切れない。
JWになってしまった方々を馬鹿だなんて思えない。
JWとして生きている方々を見下げることもできない。
だってそこに、私自身も居たのかもしれないのだから。。。
他の宗教ではなく、JWに固執して調べてしまうのはそういう気持ちがベースになっているのかな。。。
そして。。。
だからこそ、WTの事実を多くの方々に知ってもらいたい。
WTが唯一・真の神の組織などではなく、どこにでもあるようなありきたりな単なる不完全な人間の組織に過ぎないことを。
大切なそれぞれの人生を埋もれさせてほしくない。