レビ記からの記述はまだまだ続きます。
「エホバに最良のものをささげる」
という章では、レビ記に書かれた焼燔の捧げものの規定について触れた後。。。
「どれほどエホバを賛美できるかは,健康状態や能力によって異なりますが,わたしたちがささげる賛美の犠牲は常に最良のものであるべきです。
—ロマ 12:1。 テモ二2:15。
13 わたしたちの賛美の犠牲は,神への愛ゆえにささげる自発的で個人的なものです。
(マタ 22:37,38)
では,宣教に費やした時間を毎月報告する取り決めについて,どんな見方をすべきでしょうか。
報告を提出することは,敬虔な専心の表われと言えます。
(ペテ二 1:7)
もちろん,より多くの時間を報告するために宣教に多くの時間を費やさなければならない,と考える必要はありません。
実際,介護施設で生活している人や,体の自由が利かない人は,野外奉仕を1時間単位ではなく, 15分単位で報告できます。
エホバは,そうした奉仕を,その奉仕者の最良の捧げ物とご覧になります。
また,ご自分への愛の表明と見て,さらには,エホバの証人として奉仕する貴重な特権への認識の表明と見て,高く評価してくださいます。
古代イスラエルにいた貧しい人たちも,神への犠牲をささげることができました。
同じように,何らかの限界のある兄弟姉妹たちも,報告を提出することができます。
そしてその報告を喜べます。
世界全体の報告は,そうした一人一人の報告によって作成されるのであり,組織が王国を宣べ伝える活動の計画を立てるうえで役立っています。
ですからわたしたちは,宣教に費やした時間を報告するのです。」
といきなり時間報告を正当化する言い訳を始めました。。。
さらに、
「最良のもの」
ということから、信者たちの楽しみにまで警告を発しています。
「エホバは,最良のものをささげるよう求めておられます。
エホバは,わたしたちがそうするに値する方です。
この2つの記事を通して,聖書全体をいっそう深く掘り下げて学びたいと思われたことでしょう。
(箴言 2:1‐5を読む。)
祈りのうちに研究の習慣を吟味してください。
自分の賛美の犠牲をエホバに受け入れられるものにする必要があります。
テレビ,コンピューターゲーム,スポーツ,趣味などによって気が散らされ,霊的進歩が妨げられていますか。
もしそうなら,ヘブライ人への手紙に記されている使徒パウロの言葉を黙想するのは,非常に有益でしょう。」
どこまで搾取するつもりでしょう。。。
自身の生活に潤いを持たせてくれる趣味を持つことにさえ、罪悪感を植え付けようと必死です。
でも。
その割にこの後に不思議な記述が。。。
「18 聖なる者であるためには,聖書を注意深く調べ,神が求めておられる事柄を行なわなければなりません。
アロンの子ナダブとアビフについて考えてください。
2人は
「適法でない火」
をささげたゆえに処刑されました。
その時の2人は酒に酔っていたようです。
(レビ 10:1,2)
神がその後アロンに述べた言葉に注目してください。
(レビ記 10:8‐11を読む。)
その言葉からすると,集会に行く前にアルコールは一切飲んではならない,ということになりますか。
次のような幾つかの点について考えてください。
わたしたちは律法のもとにはいません。
(ロマ10:4)
ある国の兄弟姉妹たちは集会に出席する前,食事の時に節度を保ちつつアルコールを飲むことがあります。
過ぎ越しの時にはぶどう酒が4杯用いられました。
イエスは記念式を制定した際,ご自分の血を表わすぶどう酒を飲むよう使徒たちに勧めました。
(マタ 26:27 )
聖書は大酒と酩酊を非としています。
(コリ一 6:10。 テモ一3:8)
多くのクリスチャンは良心に動かされ,神聖な奉仕に携わる前にはアルコールを一切飲まないように
したい,と考えています。
しかし,国によって状況は異なります。
クリスチャンにとって大切なのは,
「聖なるものと俗なるもの……とを区別」
し,神を喜ばせる聖なる行ないをすることです。」
今まで散々、旧約部分のレビ記について触れて、その
「律法」
に従うことを強調した挙句にですよ。
「わたしたちは律法のもとにはいません。」
??
そして集会前にアルコールを飲むことはOK♪
国によって状況は異なります。
。。。って、この唐突さはなんでしょうね(・・?
要は。。。
統治体ブラザーズの中に、相当お酒好きな方がいらっしゃるのでは?
そう勘繰りたくなるほどの唐突さです。
あと、まだまだツッコみたい記事もありますが、とりあえず今日はこの辺で。。。
また気が向いたら、この続きを書くかもしれません☆