この2014年11月15日号はレビ記特集かと思うくらい、レビ記からの記述が多くあります。
前記事「ものみの塔2014年11月15日号① 」で書いた輸血に関する問題も、レビ記を元にしています。
「すべての行状において聖なるものとなりなさい」
と題された研究記事では、
「聖なるもの」
となるために
「妥協をしない」
ことを強調しています。
問題はここで例示されている事例です。
「5 レビ記 10章1‐11節には,アロンの家族に生じた痛ましい出来事が記されています。
天からの火がアロンの子ナダブとアビフを幕屋で焼き尽くした時,家族は胸の張り裂ける思いをしたに違いありません。
しかしアロンとその家族は, 2人の死を嘆き悲しんではならない,と神から命じられました。
何と大きな信仰の試練でしょう。
あなたはどうですか。
家族その他で排斥されている人がいるなら,その人と交わらないことにより,自分が聖なる者であることを示していますか。
—コリント第一 5:11を読む。」
アロンの例を
「排斥された家族との関係」
に絡めてきました。
そして
「その人と交わらないことにより、自分が聖なる者であることを示していますか。」
。。。
相変わらずのイヤな手口です。
さらに記事は続きます。
「6 わたしたちは,アロンとその家族ほどの厳しい試練には直面しないかもしれません。
しかし,エホバの証人ではない親族から,教会で結婚式を挙げるので出席して参加してほしい,と言われたらどうでしょうか。
聖書には,出席を禁じる明確な命令はありませんが,決定を下す際に導きとすべき原則は幾つかあります。
7 ここに述べたような状況で,エホバの目から見て聖なる者であろうとすると,エホバの証人でない親族は戸惑うかもしれません。
(ペテ一 4:3, 4)
もちろん,親族を怒らせないように気をつけますが,率直に,そして穏やかに親族と話すのは,たいてい最善の方法です。
十分に前もって話すとよいでしょう。
式に参加するよう招かれてうれしく思う,と伝えることができます。
そして,
「宗教的な事柄が関係しているので,式に参加すると特別な日の晴れやかな雰囲気を壊してしまうかもしれないし,出席している方たちに嫌な思いをさせてしまうかもしれない」
と,言うことができます。
このようにして,信仰の面で妥協することを避けられるでしょう。」
親族の晴れがましい結婚式の場。
それさえも事実上出席を禁じてきました。
どこまでも非信者と深い一線を引かせて、関わりを断ち切りたいようです。
だいたい
「聖書には,出席を禁じる明確な命令はありませんが」
と書いておきながら、結局は禁じるところがなんともイヤらしいですね。
この研究記事には、まだまだイヤなところが満載ですので、さらに続きます☆