この言葉が自分に向けられたものだと実感できるようなことがあれば。。。
かなりの割合で、人は救われるんじゃないかと思ったりします。
仕事柄、様々な家庭状況の子どもたちに会います。
母子家庭や父子家庭じゃない、両親が揃っている家庭でも。。。
この言葉が自分に向けられたものとして、実感できていないんじゃないかと感じることが多くあります。。。
だから、関わることができる時期・時間が限られていても。。。
言葉で。
態度で。
何とか拙いながらに、この言葉を全身で伝えたいと奮闘しております。
ちょっとした眼差しや微笑み。
何気なく交わす言葉。
スキンシップ。
あなたそのものが、大切で愛おしい存在なんだよ。。。って。
すぐキレて、暴言を吐いたり暴力をふるったりするような子どもでも、まだまだ子どもだもの。
叱るときは厳しく叱るけれど、それは
「あなたなら、ちゃんとこの話がわかるはず」
と、信じているからだって伝えながら。。。
そうやって日々心がけながら。
人が宗教の神に求めているものも、この言葉かもしれない。。。
ふと、思ったりします。
「あなたのことを大切に思っているよ」
そう誰かから。。。
そう。。。
「神」から言われたい。。。
語弊を承知で言うのならば。
人を救うものは、結局は「人」なのかもしれない。
人から傷つけられた傷を癒すのは、また人のあたたかさだったりするのだから。
人が持つ力は小さいけれど、時には無限にもなりうる。
個人個人の力がどうとかではない、そういうものを
「神」
という人もいるのかもしれないなぁ。。。
などと。
今日も自宅療養中の、妖怪赤目りんごはあれこれと妄想するのです☆