「JWと輸血拒否③」からもう少し続きます。
統治体成員であるフランズ兄弟が、心臓病の手術のために血液分画がOKになり、その恩恵によって末端信者の方々にも血液分画を選択することができるようになりました。
「血は神聖なものだから神のもの」
であるはずならば、分画とか関係なくすべて避けて輸血拒否するのが本筋でしょうが。。。
とりあえず、聖書の拡大解釈によって無駄に命を失う可能性が少しでも減ったのはよかったですね☆
喜ばしいことです。
さすが、統治体☆
権力があると、教義にも自由に新しい光が射して変更できる。
フランズ兄弟、ありがとう~ヽ(^o^)丿
。。。って、信者の方々は考えるのでしょうか(^_^;)
これが同じことならば、幼い子どもたちの命を守るために教義変更があったのならば、少しはマシだったのですが。
幼い子どもたちが、輸血拒否の教義を守った結果、亡くなったことを褒め称えることはしても
(そういう表紙の雑誌がありましたよね)
教義変更はおこなわれませんでした。
末端信者の命と、統治体成員の命。
そこに命の重さの差があったとしか言いようがありません。
「世界的な兄弟関係」
を誇り、すべての信者が平等であるという建前とは遠い遠い現実。
教義を守るためには、死んでもいい末端信者たち。
教義を変更してでも、死にたくない統治体成員たち。
輸血拒否に限りません。
「立場によって、許されること、許されないこと」
が、厳然としてJWの内部にあります。
望んでも家庭も持てないまま、もしくは子どもを持てないまま死んでいく末端信者たち。
そこそこに結婚して、子どもも孫もいる統治体成員たち。
貧しい暮らしをしながら、せっせと寄付をする末端信者たち。
寄付によって何不自由ない暮らしをし、おしゃれな時計や指輪をしている統治体成員たち。
それもこれも、みんな
「不完全な人間の組織」
だから?
それってなんだかおかしくないのかな(・・?