ひとりごちる ~エホバの証人(JW)・ものみの塔(WT)・jw.orgについて考える~

ひとりごちる ~エホバの証人(JW)・ものみの塔(WT)・jw.orgについて考える~

一般人りんごの思うこと、あれこれ書いてます。
基本的に公開記事が多いので、個人情報に気をつけてコメントして下さいね。


Amebaでブログを始めよう!

JWと輸血拒否③」からもう少し続きます。


統治体成員であるフランズ兄弟が、心臓病の手術のために血液分画がOKになり、その恩恵によって末端信者の方々にも血液分画を選択することができるようになりました。


「血は神聖なものだから神のもの」

であるはずならば、分画とか関係なくすべて避けて輸血拒否するのが本筋でしょうが。。。

とりあえず、聖書の拡大解釈によって無駄に命を失う可能性が少しでも減ったのはよかったですね☆

喜ばしいことです。


さすが、統治体☆

権力があると、教義にも自由に新しい光が射して変更できる。

フランズ兄弟、ありがとう~ヽ(^o^)丿

。。。って、信者の方々は考えるのでしょうか(^_^;)


これが同じことならば、幼い子どもたちの命を守るために教義変更があったのならば、少しはマシだったのですが。


幼い子どもたちが、輸血拒否の教義を守った結果、亡くなったことを褒め称えることはしても

(そういう表紙の雑誌がありましたよね)

教義変更はおこなわれませんでした。


末端信者の命と、統治体成員の命。

そこに命の重さの差があったとしか言いようがありません。


「世界的な兄弟関係」

を誇り、すべての信者が平等であるという建前とは遠い遠い現実。


教義を守るためには、死んでもいい末端信者たち。

教義を変更してでも、死にたくない統治体成員たち。


輸血拒否に限りません。

「立場によって、許されること、許されないこと」

が、厳然としてJWの内部にあります。


望んでも家庭も持てないまま、もしくは子どもを持てないまま死んでいく末端信者たち。

そこそこに結婚して、子どもも孫もいる統治体成員たち。


貧しい暮らしをしながら、せっせと寄付をする末端信者たち。

寄付によって何不自由ない暮らしをし、おしゃれな時計や指輪をしている統治体成員たち。


それもこれも、みんな

「不完全な人間の組織」

だから?


それってなんだかおかしくないのかな(・・?

JWと輸血拒否②」から更に続きます☆


「血は神にささげるべき神聖なもの」

だから、

「人間は血を食べてはならない」

それが聖書に書かれた

「血を避ける」

理由です。


さて、そうなるとこの記述に従うならば、とにかく血は食べてはならない、ということになります。


JWの場合、それを拡大解釈して

「輸血拒否」

をしているわけですが。。。


何といっても、聖書の時代に輸血自体が存在しなかったために、聖書の中に輸血に関する記述は当然ありませんからね。

「血を食べる」

を拡大解釈したとしか言いようがありません☆


さて、矛盾とは。。。


これまた皆さまご存知の

「血液分画」

ですね。


全血だの主要成分だの分画だの。。。

そんなことは聖書のどこにもないわけです。


とにかく

「血を食べてはならない」

の一言だけです。


分画したからOK、ではないのです。


そもそも、なぜ

「血液分画ならOK」

などという発想が出てきたのでしょうか??


以前

始業前の素朴な疑問??

という記事を書きました。


輸血拒否をして亡くなった統治体成員もしくはその関係者がいたのかどうかが、ふと気になったからです。


とりあえず、現在のところ、そういう統治体成員もしくは関係者がいたという話は聞いておりません。

もしも、そういう統治体成員がいたということを御存知ならばぜひ教えてください。


その「始業前の素朴な疑問??」のコメント欄で、まめちどさんが書いてくださいましたが、統治体成員だったフランズ兄弟が心臓病の手術のために血液分画を受け入れる必要があったので、末端信者にも解禁になったとのことでした。


それにしても、なぜ、フランズ兄弟は、潔く輸血拒否をしなかったんでしょうね(・・?

楽園で復活するからOKじゃなかったんでしょうか??


輸血拒否の教義を守ったがために、その命を失った末端信者たち、そしてその教義の是非すらよく理解してもいない幼い子どもたちが現実に数多くいるのに。。。。





JWと輸血拒否①」から続きます。


JWが聖書の記述を根拠として

「輸血拒否」

をしていることは、前記事に書きました。


そして、エホバがなぜ

「血を避けるように」

と命令したのかと言えば

「血は神聖なものであり、贖罪に使うものであるから」

という理由からです。


そこに、全血だの主要成分がどうのということは一切書かれていません。

ごくごく、シンプルな理由です。


そう。

「血は神にささげるべき神聖なもの」

だからですよね。


以前から、不思議に思っていたのは、JW.ORGにしても、組織擁護派の方々にしても、しばしば

「輸血の害」

についてあれこれ書きつらねることでした。


聖書の記述を見れば

「血を避ける」

のは

「輸血に害があるから避ける」

という理由ではないことは明白だからです。


「輸血の害」

についてJWの方々があれこれ書くことは、はっきり言ってまったく聖書とは関係のない無駄なことなんじゃないかと常々感じています。

そんなこと、一言も聖書には書かれていませんから。


「輸血の害」

について書く必要など、本当はどこにもないはずです。


まぁ、それでも書くのは、自分たちの輸血拒否の教義を科学的に、もしくは医学的に正当化したいからにほかならないんでしょうけれど(^^ゞ

そうしたい気持ちもわかりますけどね~☆


さて。

それは置いといて、そうなると決定的に矛盾することが出てきます。


次に続きます。