転載記事
http://www.forum21.jp/contents/04-9-1.html
「『大阪事件』で警察・検察の厳しい取り調べを受けて、池田は警察と検察を恐れるようになりました。本来ならば、池田は自らの不明を反省すべきだったんですが、池田の意識は反省に向かうのではなく警察を抱き込むことに向かいました。
そこで公明党が都議会でキャスティングボートを握るや否や、池田の指示のもと竹入や藤井がまっさきに警視庁の抱き込みに動いたのです。
左右の対立の激しい中で公明党は警視庁予算、人事を無傷で通してやることで恩を売りました。当時は社・共が警察に厳しい態度をとっていましたので、警視庁も公明党にすぐさますり寄ってきました。
そうした公明党と警視庁の談合の場になったのが築地の料亭・河庄です。ここに入り浸って今泉太郎(元都議)などが警視庁の幹部を接待・懐柔したのです。後に公明党の推薦で兵庫県知事となった警視庁のY総務部長をはじめ、以後、歴代の警視庁幹部が入り浸っていました。
その結果、創価学会・公明党の選挙違反は不問に付され、交通違反などももみ消されるばかりか、池田の女性問題を取り上げた月刊ペン事件の隈部大蔵編集長を警視庁の暴力団担当の四課がいきなり逮捕するというような、癒着の構造ができあがっていったのです。
池田にとって『大阪事件』は、警察を抱き込むという学習効果を与えるという、国民一般にとっては極めて不幸な結果を生むことにもつながったのです」(「フォーラム21」平成14年7月1日号特集「“無実”ではなかった『大阪事件』」)