Mercurey La Framboisiere | SINのブログ

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思い出のワイン。
 
こいつは、店頭で出会う機会は少ないけど、
値段も家飲みに向いたお手頃価格のブルゴーニュ、シャロネ産。
見かければ入手してしまう。
 
私が、自らの意思で購入し飲んだ初めての赤ワイン@1998年、東京都調布市、パルコ内のリカーショップにて。
その時のモノはヴィンテージ1995だった。
 
というモノだから。
 
初春にぴったりの、華やかさと軽やかさを楽しめる1本。
イメージ 1
 
初めてコイツを購入した頃に、まさかこんなにワインが好きになって
ワインにハマっていく自分など、想像してなかったもんだ。
 
こんやは、何となく、こいつと金曜の夜を、また手抜きパスタで過ごすことにしたんだ。
 
雨だったし。
外に出るには、春というには、まだ少々寒いし。
 
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Mercurey La Framboisiere 2004
 
Mercurey / Côte Chalonnaise / Bourgogne / France
 
ネゴシアンと解されているフェヴレ社だが、自社畑産以外のぶどうでつくる、いわゆるネゴシアンワインは
生産量全体の3割未満しかなく、逆に自社畑産のぶどうから生まれるドメーヌものが7割以上を占め、
これは普通一般のネゴシアンが生産するワインの割合とは180度異なっている。
 
所有する120ヘクタールにおよぶ広大な地所はほぼモレ サン ドニ全体に匹敵し、
ブルゴーニュ地方で一、二を争う大ドメーヌというのが実際の姿で、
8つのグランクリュに15銘柄のプルミエクリュを擁し、産するアペラシオンは50に上る。
 
初代ピエール フェヴレにより、ニュイ サン ジョルジュの町に1825年設立されたフェヴレ社だが、
ブルゴーニュワインに果たした役割は単に一ネゴシアンというにとどまらない。
1929年、米国に端を発した大恐慌の渦は遠くこのブルゴーニュ地方にも波及し、当然ワインも売れなく、
多くの農村は疲弊に喘いだ。
現当主エルワンの曽祖父にあたる4代目のジョルジュは、そんな窮状を打開しようと
友人とさまざまなアイデアを実行に移し、1934年には、現在ブルゴーニュ地方で最大の親睦団体となっている、
ラ コンフレリー デ シュヴァリエ デュ タストヴァンの設立にこぎつける。
また村毎におこなわれていたサン ヴァンサンの祝祭も各村の持ち回りとして一大イヴェントに
仕立て上げるなど、今日に続くブルゴーニュの隆盛のもとを築いた。
 
また、近年人気のエリアにコート シャロネーズがあるが、なかでもメルキュレはその高い酒質で
注目を集めている。フェヴレ社はこの地に早くから目を向け、その質の向上に寄与するとともに
畑も多く所有してきた。今日では60ヘクタール弱と、総面積650ヘクタールにおよぶメルキュレの
10分の1を占めるまでになり、フェヴレ社はこのアペラシオン随一の大地主となっているのである
 
――プルミエクリュのクロ デュ ロワ以外の銘柄は全てモノポール――。
 
 フェヴレ社の高い名声は、所有する畑の面積や歴史等々も然る事ながら、なんといっても生み出すワインの
秀逸さにある。現在、7代目となる1979年生まれのエルワン フェヴレ――2005年1月にフランソワから
エルワンに当主が交代した――が経営にあたるが、父フランソワの時代の1970年代半ば以降、
質の向上を図るため数々の取り組みが始められた。
 畑においては、健全なぶどう樹の育成と安定した樹齢を保つための植え替えのローテーションを徹底、
またテロワールを十全に引き出すため土壌の分析をおこない、そのもてる力をぶどう果に凝縮させるため、
芽掻き、ヴァンダンジュ ヴェルトなど収量の抑制に加え収穫の際の選果も徹底し、
最初は畑で次には醸造所内で選果台を用いて、という具合に2段階で腐敗、未熟果を除去。
発酵、熟成では長いマセラシオンによる多くの構成要素の抽出、加えて用いる新樽比率のアップ等々を図り、
またコート ドールのグランクリュ、プルミエクリュに関しては一切フィルターはかけずに樽から直接瓶詰め、
という手法に替えた。
 その結果、今日のフェヴレ社が生むワインは以前に較べ、凝縮度を増しテロワール毎の異なりもよく反映した
ものとなり、より高い評価を受けるようになった。
 
~~~コピペ情報、ご容赦あれ。~~~