この、手元には画像すらない、あんぷのことを知ったのは、
時はばぶるの真っ只中の、1992年のこと。
それはわたくしが「みにこんぽ」から、卒業しようとしていた矢先、
作られし時の古今を問わず、興味の向くまま手当たり次第の、
お~でぃお「聞き」に狂っていた折、実家の近所のりさいくるしょっぷの、
閑散とした店内に、置いてあったを四千円で、購めて奉ったのです。
そう、初めての 「体験」 を経て、ひところ求めてやまないように
当時わたくしが手当たり次第に、この耳にしたあんぷについては
めーかー間の垣根を越えて、年代の別に似通った
下に認めおく傾向を、どこかに感じていたのです。
※ それにしたって、あの頃は、何故か道端のそこいら中に、
まだまだ動く色んなあんぷが、捨てて置かれてましたなぁ。。。
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● 70年台前半~中盤のもの:
・使ってみたもの:
とりおKA-5006、おーれっくすSB-420、そにーTA-F3560
・共通の印象:
堅実というか派手ではないけど、聴感上のSNが良く、
音場感のしっかりした、実の詰まった音
● 70年台末~80年台前半のもの:
・使ってみたもの:
てくにくすSU-C01/SA-C01、やまはA-6a、おんきよーA-819RS
・共通の印象:
Dレンジ、Fレンジとも広いのかも知れないけれど、
聴感上のSN悪く、特に低域が固まった音
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なんと時代を下ったほうが、印象が良くなかったわけで、
後者は例えば固めに練った、小麦の粉の塊を、
まな板めがけてぶつけるような、芯の重たく湿っていて、
ざらつく粉塵撒き散らす、そんなイメージと映ったのです。
このひとはその印象悪き、時期の生まれに関わらず、
果たして先に書きたるような 「糞詰まり」 気味の音でない、
「暖かい」 やら 「柔らかい」、「厚い」といった言葉が似合う
音を奏でたものであり、後の時代のこの家の、
あんぷの音ともと対照的な、寛ぎの音と聞こえたのです。
これは一体、どうしたことか? と、操作まにゅあるを紐解けば、
何でも 「NFB」 という、歪みを消したる魔法の処方を、
用いない仕掛けだったとか。
その種のいわば 「どーぴんぐ」にも、例えられたる不自然な、
小細工に頼り過ぎたることへの、反省を込めた音だったのか。
一方でその柔らかさをば、裏っ返せば音像が
ややふやけがちな向きもあり、細かい襞は分厚いベールに
埋もれてしまったようでした。
しばらくそのまま過ごしていても、やっぱりすっきりしなくって、
ここで裏若きわたくしは、その理由をば単純に、
このひとは 「そーすだいれくと」 なる、すいっちを付けてないからと、
だから何だか見通し悪き、再生音になるのだ!!!と、
それならいっそ 「とーん」 回路を、通さないよう変えてしまえ!!!と、
※ だって 「とーんこんとろーる」 を効かせるボタンとは、別にあると思ってたんだもの。。。
電気の知識もまったくないのに、一体何を思ったか。
馬鹿げた 「美容整形」 を、その身体へと施したのです。
その顛末は火を見るよりも、明らか過ぎる結果に終わり、
この頭から憑き物が、落ちたときには後の祭りで、
哀れ半年持たずして、二目と見れぬその姿をば、
泣く泣く野辺に送ったのです。