こんにちは
野沢ゆりこです。
おもに東京・千葉で活動しています。
自己否定が強い人、いつも自分を責めて苦しい人に向けて、
リトリーブサイコセラピーという心理療法を使って根本解決のお手伝いをしています。
早いもので、新年からひと月経ちました。
そして能登半島地震からひと月が経ちました。
今も不便な生活を余儀なくされている方々が、
一日も早く穏やかな日常が戻りますことを祈っております。
少し前に、元旦から半月が過ぎてというタイトルでブログを書きました。
お正月が憂鬱、ぶっちゃけ嫌い!って書いてます。
能登で大変な思いをされた方々からしたら、
何をのんきなことを…と思われて当然だと思います。
重々承知しながらも「お正月」にまつわる心理問題を書かせていただきます。
長文ですが、読んでいただけると嬉しいです。
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「お正月ブルー」の心理
あなたはお正月が好きですか?
そう質問されるとどんな気持ちになりますか?
私は、街や近所のスーパーが年末商戦で活気づく年末は、「ああ、またお正月が来る」とブルーでした。ブルーなままお正月をやり過ごし、1月の半ばを過ぎて人々が日常に戻る頃になると何だかホッとして、体調も気分も元に戻るという具合でした。
年明けに知人や友人に初めて会った時、「お正月はどう過ごしたの?実家に帰ったの?みんなで集まったの?おせちは食べた?」などと挨拶し合うことはありませんか?
「私、ずっとブルーだった。帰省はしたくないし、おせちのことで毎年パニックよ。お正月は嫌いなの」と、こんな本音を言ったら引かれるだろうと思っていました。
「帰省ブルー」ならぬ「お正月ブルー」の自分が恥ずかしくて隠していました。
いつから「お正月ブルー」なのかというと、物心ついた頃からで、お正月には楽しい思い出はなく、一年の中で最もつらかったからです。
幼少期のお正月は家族の現実を直視する日
幼少期のお正月の何が辛かったかというと、怖い父が休みで1週間も家にいることでした。休みの間、父が泥酔して目がすわって凄みながら家の真ん中に居るのです。
素面の時は怖くて近寄れない父は、酔うと不気味で、子供に絡んでくるので、逃げたくても逃げ場がありません。外で誰かと遊ぼうにもこの時ばかりは友達も家で過ごしているし、商店は休み、学校も休みなのです。
食卓には母が丹精込めて作った完璧なおせち料理が並んでいましたが、その料理を前にして両親は口喧嘩をしていました。不毛なやり取りを聞くともなくやり過ごし、父は寝てしまって家の中がようやく静かになります。今度は母が、父がいかに情けない人間か、酷い父親かを私に言って「お正月なのに」と嘆くのでした。私は美味しいはずのおせち料理の味が感じられず、喉も通りませんでした。
「お正月なのに」という母の言葉を頭で反芻しては、「お正月だから」悲惨なのだと思いましたが、口には出しませんでした。
翌日、2日酔いの父が、何もなかったような顔をして、浮かない顔の私に「お正月は家族の時間だからちゃんとしなさい」と新年から怒鳴るのは控えたのか、いい父親ぶっていました。私はいら立ち、「何が家族の時間⁈台無しにしているのは誰?」と酒瓶を叩き割りたい衝動を微塵も表さず、行動もしませんでした。
「お正月だから」と謀略無人な父と、「お正月だから」と料理に精を出しては嘆く母。夫婦喧嘩。飛び交う悪口。逃げ場がない子供。喉を通らない完璧なおせち料理。世間がおめでたい時、世の中が楽しく浮かれている時、私はいつも惨めになる。それは全部父が台無しにするからだ。お正月は家族の現実を直視せざるを得ない日でした。
過去が悲惨だったから、ちゃんとしたお正月をしなければ
つらい思い出は昔のことであり、私は何十年も前に結婚して家を出て自分の家族がいます。今は夫も子供もいて、誰もお酒に溺れることもなく至って平和なのです。過去の嫌な思い出が邪魔でしたが、忘れることが出来ませんでした。
世間的にお正月は晴れがましい日なのだから、親として、主婦としてちゃんとしなくては。伝統行事を継承していかなくてはという大それた義務感。その為に私は家族のために立ち働かなくてはならない。
過去が悲惨だったからこそ、ちゃんとしたい。家族を大切にしたい。家族みんなに喜んでもらいたい。本音とはかけ離れた理想がありました。
自由に選んでいい時ほど選べないでパニックになる
ちゃんとしたお正月とは、TVで見るような、正しく鏡餅を飾り、お花を活けて、しめ縄飾りをして、年末には大掃除をして、年賀状を出し、おせち料理を作るための買い出し。大晦日には年越しそば、元旦のお雑煮、初詣などで、これが正解なのだろうことを、「ちゃんと」こなそうとしました。原家族のお正月の悲惨なイメージを消すため、楽しさや華やかさといったイメージを外側に探して、真似しようとしました。
現実の私はというと、母の作るおせち料理に比べると私のおせち料理は陳腐に思えました。手の込んだことが好きな母とめんどくさがりの私。私はいつも母には負けているという屈辱感がありました。
そもそもおせち料理って何のためにあるのだろう?私は歴史を調べたり、料理家のレシピを調べたりしました。人々がおせち、おせちってこだわるのは何故?伝統で特別だから?人はともかく、私は何の為に作るのだろう?料理の腕で母と並びたいから?家族の為?正しくありたいから?いっそ買って済ませることも出来るけど、それでいいのだろうか?
考えるほどに頭が混乱してきました。
現実的には、甘い味が多いおせち料理を、夫はあまり好きではないのです。
家族からも「おせちが食べたい」と求められているわけでもないのです。
それに実家に帰省すると、丹精込めた完璧な母のおせち料理があるのです。私は相変わらず喉を通りにくいのですが、家族はそれを喜んで食べるのだから、自分は作らない選択でいいのですが、「母とは違う自分流を確立したい」と母と張り合ってしまうのです。
私の混乱はおせち料理だけでなく、家族が休みの間は何を食べるのか?元旦の昼は?夜は?と普段はそれぞれ忙しい家族が何日も家でくつろいでいる間、献立や買う食材のことを考えると、ますますパニックになってきます。
私は家族に何を提供したらいいの?何をどう決めたらいいの?何を選んだらいいの?
何を作ってもいいし、何を食べてもいい。買って来てもいい。全部自由に決めていい。たくさん選択肢がある。しかも正解がなく、明確な基準もない。そういう状況になると私はパニックに陥っていきました。
お正月=特別な日=家族の日=おせち料理+たくさんのごちそうの図式を自分で作り、それが圧迫感となって動きすぎて疲れてしまう、体調を崩して寝込むこともありました。
お正月が嫌いって感じてはダメ。抑圧するから「嫌い」が大きくなる
私に何が起きていたのかというと、お正月を嫌いだと感じてはいけないと抑圧していたので、抑圧するほどに「嫌い」「イヤ」という本音が膨れ上がっていったのです。
ネットで「お正月、憂鬱、嫌い」で検索すると、私と同じような人は意外と多いとわかります。冷静であればちょっと調べるだけで「私だけじゃない」とわかり、視野も広がるのですが、ブルーになってパニックになっている時というのは、視野が狭まっているので、調べてみることも思い浮かびませんでした。
そして高い理想を自分で掲げて、それに追いついていない現実と折り合いをつけること、「私は私でいい」と思うことができませんでした。
幼少期、私にとってTVは重要アイテムでした。癒しであり教科書みたいな存在でした。寂しさを埋めてくれて、楽しさや温かさを与えてくれる、悲しさを紛らしてくれるものでした。その感覚を今も持ち続けて、私は情報に流され揺らがされていたのです。
何より私は、自由に選んでいい状況になると、選べなくなっていたのです。
自分はどうしたいのかという本音を大事にすること、自分の欲求と家族の要望とすり合わせて話し合う。最終的に自分が選んで決めるということが怖かったのです。
なぜなら無意識で、自分が好きなようにすると、責められると感じていたからです。
本当は私もゆっくりしたい。疲れているから休みたい。ラクをしたい。でも私は主婦だし、母親だからそんなことは許されない。それは言ってはダメ、言ったら家族から責められ咎められ嫌われる、見捨てられると無意識で感じていたのでした。
両親からの否定や罵倒を飲み込み無力になる
母の料理が喉を通らなかったのは、母を飲み込み過ぎた拒絶反応だったと気づいたのは、ずっと後のことでした。謀略無人な父からだけでなく、味方で優しくてすごいと思っていた母からも実は見下されていたのですが、この現実は見ないように感じないようにしていました。
この抑圧した感情が「お正月ブルー」の大きな原因でした。
両親からこれ以上責められ、咎められ見下されることを避けたい。両親を飲み込む以外にこの家では生きて行けないと思っていたのです。
自分を殺して親を飲み込んでいると、子供はどうなるかというと、無力になっていきます。
無力になると、意思や欲求、感情がぼんやりして、やがて自分で決めることや自由に選ぶことも出来なくなります。
両親のゴミ箱役をして、嫌なことも酷いことも言われ放題して、サンドバックになりながらも従っていたから、感情や欲求を抑圧して自分で自分を無力にしたのです。
幼い時「お正月なのに」と嘆いていた母に対して本当は言い返したかったこと、父の「お正月」の名目で自分勝手なふるまいに、本当は言いたかったことがあったのに、それを飲み込んでいたのは、本音を言って、もっとひどい目に合う恐怖や、何を言っても現実が変わるわけはないという絶望を感じていたからでした。
大人になっても無力のままでいるのは、メリットがあるから
大人になっても自由に選ぶ状況になるとパニックになったのは、子供の頃の感覚を今も引きずっていたからでした。今の家族が責めることはないと頭ではわかっているのですが、
体は昔の感覚で反応していたのです。それは当時の怒りや絶望感がそのままだからです。
そして今も自分を無力と前提づけているのには、大きな利得がありました。
自分を出して人から責められ、咎められることを避けることができました。自分を出さずに、自分で選ばず、決めず、何でも人に合わせていれば傷つかなくてすみます。
でもこの生き方は、目の前の人を両親と重ねて見ていることです。「この人は私を責めるかもしれない。私を見下しているのかもしれない」と不信感を持ち続けて人と関わることです。人を信じることは出来ませんし、自分の意思や欲求を人に明け渡しているのと同じです。
そしてもう一つのメリットは、自分を無力と前提づけることで、私は頑張れたのです。
私は無力だからこそ頑張って出来る人になりたい。私を見下した両親に勝ちたい。これは恨みを原動力にする生き方で、自己否定を強化する生き方です。
どれだけ頑張っても、人は自分で決めた前提通りになるので、ずっと無力のままです。疲弊して頑張りが報われる日は来ないのです。
この利得を手放すことは、両親から愛されない絶望を受け止め、本当の意味で親を諦めること、原動力をも失うことでした。手放すと決意するまでには長い葛藤の時間が必要でした。
回復への道は螺旋階段、今も自分に向き合い続ける
私はこれまでにもセラピーで、トラウマを癒し未完了の感情を完了させてきました。
共依存や自己否定、対人恐怖の問題にも向き合ってきました。ですが、一つ問題を解決するとまた次の問題が現れて、回復への道は螺旋階段のようで、進んだかと思うとまた後戻りしていると感じる時もあります。けれど少しずつ回復していると信じたくもあります。そして自分に向き合い、言語化して、今もセラピーを受けながらまた言語化してと、そうやって自分を深く理解していく過程は楽しくもあります。
これからも自分に向き合いながら、人の痛みに寄り添えるセラピストでありたいと思っています。
長文を最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
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