自然の中に安らぐ時間
1人で自然の中に行きなさい、といわれ、直感のままに久々に大神神社へ最近また一段階感性が開いているようで変化中は特に人間よりも自然の中に1人身を置くことをいつも促される。純粋なものと向き合い、触れ合うことでその変化もより純粋なものとなるのだそう。日々ただ生きているだけで勝手に積もってくるチリ、ホコリのようにエネルギー体にも不純物が纏わりつく。自然はそれらを祓い、純粋な自分へと戻してくれる有難い存在この日は姿はないけれど実家で数年前まで飼っていた愛犬と共に参拝し、御神体へ登拝つい修行のように登りがちだけれど大自然の中でゆっくりと深く息をしながら冷たくて心地よい風を感じたり、流れる小川の音や鳥の声に耳を澄ませり、御神木の近くでアーシング。五感をフルに使って感じるというなんとも豊かな時間を満喫今、感じている懸念事項などについて、必要なアドバイスを沢山貰う。自分の中の教師との対話。歩いているとやたらと耳がキーンと詰まる感覚高く登ったから、という理由だけでは無さそうな程頻繁に。そして帰りのドライブ中にやたらと耳、の字をみていることに気づく。「耳」という字について調べてみると耳は元々「身実(み・み)」だったそう。古代では言葉は言霊。実体が見えない言霊を受け、身(み=身体)の中で実体にする(実にする)神聖な器官として扱われてきたよう。古代の神様の名前にやたらと 「耳」という字がついていて、なんでなのか気になっていたけれど目に見えないものを聞いて、実体にするという役割をしていた人を指していた。自分の感覚を研ぎ澄ませ、かつて古代の人達が生きていた感覚。私達に眠るDNAを呼び覚ますことを更に促されているのだなぁと感じた一日でした