9年間の記録。 | タイと踏ん張る

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タイ生活で干支が一周し2019年末に日本に引っ越し。
旧タイトル『タイに腰掛け』…タイに腰を据える覚悟は無いけど、腰掛けじゃなく踏ん張って行こう‼︎→『タイと踏ん張る』
タイ人夫と長女9歳、3歳のダウン症の長男、2023年5月産まれの次男の5人家族。

2011年、26歳でプロサッカー選手になったジュイさん。

彼が所属したチームと年数はこんな感じ。

 

2011年と2012年前半  ヤソートンで1シーズン半

2012年後半と2013-14年  ランパーンで2シーズン半

2015年  ランプーンで1シーズン

2016年前半  パンガーで半シーズン

2016年後半  アムナーチャルーンで半シーズン

2017年  ヤソートンで1シーズン

2018-19年  ランプーンで2シーズン

 

スタートはジュイさんの故郷である、東北のヤソートン県にあるチーム。

チームに関わりのある人に知り合いも居て、テストを受けに行って、無事合格し、激安給料(私はその三倍くらいって聞かされてた)でスタート。

きっと、他では年齢もそこそこでサッカー経歴のない自分を雇っては貰えなかったと思う・・・って言ってたな。

 

ランパーンFCへは、ヤソートンで学生時代に一緒にやってた選手の子の誘いで移籍。

ジュイさん、ここからどんどん調子良くなって、サッカー新聞の表紙にも何度か載りました。

試合によっては、キャプテンを任されることもあった。

私は彼を追う形で、チェンマイで新たな職に着き、2012年12月に入籍した。

2014年は新婚生活をランパーンでスタート、私も1年一緒に住んだ。

調子の良かったジュイさんでしたが、2014年シーズン終了後になぜかオーナーさんから解雇通知を受けて、チームを離れることに。

 

多数のチームからの誘いの中から、私が妊娠中だったのもあり、隣町のランプーンへ移籍。

チームの人からエース番号の10番を付けて欲しいと言われて、まさにスター的に迎え入れられて、チームメイトからの信頼も厚く、キャプテンとして活躍。

 

ランプーンからはまだ居て欲しいと言われたが、もっといい条件・環境を求めて移籍を希望し、一旦実家のあるヤソートンへ戻る。

ヤソートンから熱いオファーがあったんだけれども、直前に状況が変わり、行き先をなくす。この年はいろんなオファーはあるものの、不景気が影響したのか話すうちに条件が変わりすぎて、なかなか決まらず。

アムナーチャルーンのチームへテストを受けに行き合格するも、条件で折り合いがつかず、監督の進めでなぜか遠く南タイのプーケットヘ送られるんだけれども、そこでも折り合いが付かず、プーケット隣の県のパンガーで決まる。

 

パンガーでも絶好調だったが、チームのレベルが高くなく、移籍を希望し始めてから、意識して調子を落として行く(絶好調だと、いい選手を移籍させたくないと、チームの許しがでないため・・・だそうです)

 

シーズン折り返しで、移籍を申し出て、アムナーチャルーンのチームへ移籍。

ここが私の中で一番印象が薄い。

 

ランプーンから引き続き誘いがあり、戻ろうと決意を固めるも、その前に話していたヤソートン(最初の頃からオーナーが変わった新チーム)のチーム経営に関わる学生時代の恩師から引き止められて、しぶしぶヤソートンのチームに決まる。

この年もキャプテンだったかな。

 

この次こそはランプーンに戻りたいと思っていたが、ランプーンの反応が悪く、雲行きが怪しくなるが、なんとかランプーンへの所属が決まる。

この時は、もう移籍はなし。引退はこのチームで・・・とそれなりに夫婦で話し合っての引越し。

無事に2年目も所属が決まって、彼のサッカー人生で最長の3シーズンを過ごしたチームとなりました。

 

監督や選手仲間。

サポーターの皆さんに、暖かく見守られながらの引退試合となりました。

 

このチームで最後を迎えられて良かったな・・・と思いながらサポーターの人たちとのやり取りを見ておりました。

みんなに笑顔で見送られて、いいプロサッカー人生だったんじゃないかと思います。

 

ジュイさん、お疲れ様でした。

プロサッカー選手の妻としての役割は何もできなかったと思うけど、傍で一緒に居れたのを嬉しく思います。