今夜の出来事。 | タイと踏ん張る

タイと踏ん張る

タイ生活で干支が一周し2019年末に日本に引っ越し。
旧タイトル『タイに腰掛け』…タイに腰を据える覚悟は無いけど、腰掛けじゃなく踏ん張って行こう‼︎→『タイと踏ん張る』
タイ人夫と長女9歳、3歳のダウン症の長男、2023年5月産まれの次男の5人家族。

久しぶりに電話を無視しました…。

諦めないので、2回鳴ってる電話を切り、無視してるのよーをアピール。

遠距離期間が長かったので、会ってない時に喧嘩をするとややこしいというのを理解しているので、仲直りするタイミングにはいつもちゃんと仲直りしてた。相手から電話が掛かってくるというのは仲直りのタイミングです。

なので、私…電話が掛かってきたら、ちゃんと出ます。
無視するとか滅多にしません。

でも今日は無性にそんな気になれなくて無視。
(日曜が試合のため、今日から寮で寝る決まりなので、私は家で一人です)

FBでオンラインなのを見たのか、メッセージが来るももちろん答えず。

その後も電話が鳴る。

出ないと終わりがないような気がしたので、出ました。
明日は早く帰ってくるなと伝えました。

喧嘩というかね、私が悪いんですよ。
分かってる、ジュイは悪くないと頭では理解しています。

でもね、もーーーー虫だらけのこの家で、足は蚊に刺されまくって、新しく買ってきた蚊取り線香は匂いがきつすぎて使えず(業務スーパーでめっちゃ大きいパックを買ってきたのに消費できそうにない)蚊取り線香がないと、台所に立てないほど蚊が多く、もう雨季が始まったのかすごい雨で、台所がすごい雨漏りで、雨が降るたびにイライラし、挙句の果てには寝室のベットの上にもなぜか虫がたくさんいて、なんだか全てがもう本当に全てがいやになり、グーグルで「日本に帰りたい」と検索して、同じ気持ちの人の言葉を読んで、負のスパイラルに陥り、今日は今晩お店で出た大量の洗い物を全て残して寝室に上がってきてしまった。(お店始めて、初めて放置)

21時にジュイが去っていき、大量の洗い物。
強烈な匂いの蚊取り線香をつける気がせず、蚊取り線香なしで蚊の餌食になりながら洗い物をするのがいやで、あの状態で置いておけば大量のアリが集ること間違いなしなのも理解できるけど、どーーーーしてもやる気が起きず、シャワー浴びて寝室に来たら、小さい虫がいっぱい。

もういやーーーー。
本当にいやーーーー。

あー面倒臭い。

いちいち気持ちが落ちて、やる気がなくなって、ジュイを困らせる自分が嫌だ。

もっと普通のちゃんとした主婦になりたい。

ちゃんと朝ごはんも昼ごはんも夜ごはんもバランス考えて栄養考えて作れる奥さんになりたい。

蚊に刺されたくらいで、イライラしない人になりたい。

自分でやるって決めたお店ももっとちゃんとやりたい。

でも今とこぜーーーんぶ出来てない。

こんな私を見てさ「どうすんの?もう店辞めるの?」と簡単に言うジュイにムキーっとして見送った今日。

見送るときに喧嘩って嫌なの…だからそうならないように心がけてるつもりなの。

今日は電話ないだろうなーって思ってたけど、ちゃんと電話掛かってきたのに、無視する私。

はー嫌だ。

辞めるのは簡単だけど、今辞めたって問題は変わらないでしょ。
何もすることがなくて、イライラする自分の様子が目に浮かぶ。

でも何もやりたくない時ってのがあるんだよ。
病気なら・・・薬飲んで治るなら薬が飲みたいよ。

一人の時は良かったよね、っていっても働いてたから嫌でも仕事には行ってましたけど、近くで衣食住を共に過ごす人はいなかったから、そういう迷惑は掛けてなかった…と思う。

ちょうど1ヶ月くらい前にも、同じように何にもやりたくない期を迎えて、全く楽しそうにお店をしてない私を見て、営業中にジュイに「どうすんの?お店続けんの?」と言われて大泣きした…。

私はね、今から3年半前。
ジュイとやっぱり一緒に居たいと、2年半のタイでの生活に終わりを告げて日本に本帰国したにも関わらず、再びタイに戻ってきたんですよ。

そしたらね、タイ到着3日後くらいにジュイがサッカー選手になると言い出し、テストを受けに行き、合格し、当時働いていたホテルを辞め、私の目の前から去っていったんですよ。

私はその時、契約書にもサインした後だし、いい大人が彼氏がいなくなったのでやっぱり働けませんなんて言えるはずもなく、ジュイのいないパタヤでの生活が始まったんですよ。

その時から今の今まで(正確には3月末まで)ずっとずーーーーっと

「こんなはずじゃなかった」という気持ちを抱えながら、過ごして来ました。

なんでタイで一人なんだよって何度も思った。
タイ国内で遠距離ってなんだよって何度も思った。

日本にいたら家族もいるのに、今日本に帰ったらまたジュイと一緒に居たいとタイに帰ってくることは出来ないと思って寂しさで押しつぶされることがあっても耐えてきた。

でも何か自分の思い通りに行かないことがあるといつもいつも「こんなはずじゃなかった」とどこかで無意識のうちに思っていたみたい。

私はジュイと一緒にまたパタヤで楽しく生活する予定だったのに、なんでこうなの?と思っていた。

それはパタヤで一人になったときも思ったし、バンコクへ転職したときも思ったし、やっぱりジュイの近くへ行きたいと、チェンマイにまで来てしまった時にも思った。
そして結婚した今でさえ思ってた。

なんでランパーンにいるんだよって思う。
私は、別にこの町が好きで住んでいる訳ではないんだって…。
ジュイがいるからここにいなきゃいけないんだって…。

もう私の中にジュイと別々に生活をするという選択肢はない。

大した能力のない私でも、日本人という理由だけで、タイ人からすれば高給取りになる。
実際に、私の給料の方がジュイの稼ぎより良かった。

経済的安定よりも、自分の精神的安定を選んでジュイと一緒に生活するために、仕事を辞めて今ここにいる。

それなのに、この状態。
なんですか…。

3月末にこんな話を聞いてもらっていた、何でも話せる友人。

その彼女に「とにかくさ、こんなはずじゃなかったって過去のことを考えるのは辞めにしなよ」って言われたの。

「なるべくして、こうなったんだからさ」って。

「あの時パタヤでジュイと一緒の生活が始まってたら、結婚してなかったかも知れないよ」って。

今まで、私ずっと「なるようにしかならない」と自分に言い聞かせてきました。

でもそうではなくて、「(色々な過程を経て)なるべくしてなった」と言われてなんだかすごくしっくり来た…。

そうかぁ~と納得したの。

今のこの過程も、きっと将来への道なんだって都合よく考えられるようになった…。

のはつかの間、落ちるときは同じように落ちます。

この会話FBのチャットだったんだけど、それをさっき読み直して大泣きし、今こうして文章にして泣いている。

自分に疲れます。

何が言いたいかというと…こういう自分が嫌ということ。

そしてお店を辞めるの?と簡単に言うジュイも嫌…これは今後禁句とジュイに明日話そうと思う。
同じことで喧嘩するのが目に見えてる。

私はどこかで、タイで生活したくてしてるんじゃない。
ジュイがいるからしょうがなくここにいるんだ感があります。
ここにいるのに、自分が楽しくなりそうなことで、お店があるんだけど、そのお店も自分の何もやりたくない期を迎えたときは、やりたくない…。

全く困ります。こういう31歳は困ります。
もっと大人になりましょう。

明日は早起きして、アリと戦って洗い物だ。
ジュイに遅く帰って来いと言ったのは、洗い物をあの方が帰ってくるまでにするため…。

文書にしてちょっとすっきりした。

長いのに、支離滅裂な文章を最後まで読んでくださった方ありがとうございます。