1月のとある事件簿 | タイと踏ん張る

タイと踏ん張る

タイ生活で干支が一周し2019年末に日本に引っ越し。
旧タイトル『タイに腰掛け』…タイに腰を据える覚悟は無いけど、腰掛けじゃなく踏ん張って行こう‼︎→『タイと踏ん張る』
タイ人夫と長女9歳、3歳のダウン症の長男、2023年5月産まれの次男の5人家族。

ジュイの評価をだだ下げしてしまった前回の記事・・・笑

そして私は肝っ玉母ちゃんのイメージが付いたようで(ってまだお母ちゃんじゃないけどさ)そんな感じなのかなぁ~。

ジュイの名誉挽回じゃないけど、1月に起きた事件も何だか記録に残したくなったので、行きましょう。


1月8日は私の誕生日でした。
三十路を迎えた日・・・。
12月13日に入籍をして、夫婦になってから初めて迎える誕生日。

がしかし、ジュイはチェンマイに来れないかも・・・とか言ってたんです。

そもそもね、入籍した13日の翌日にジュイがランパーンに帰っていき、それから一度も会っていなかった私達。

お正月はジュイは実家だし、私は元旦早々一人だったし。

思いっきり精神不安定な感じでした。

その証拠に、年越し&新年早々の数日は相手してくれる人がいて少しは機嫌よく過ごしてて日記を書いてるけど、真ん中は全然記事を更新してない。
そしてスーパー情緒不安定だった1月中盤を越えて、安定している後半に日記を書いてる・・・。

ホントに気持ちに余裕がないと、日記なんて書こうと思えないし、心のバロメーターそのものです。
ここ最近、こうしてブログに向かえることは私が安定している証拠だとしみじみ思う。

誕生日日記に、私がランパーンに行ったと書いてあるんですが、実はジュイが6日にチェンマイに来てるんです。

何で来たのかってのが、私が壊れたから・・・。

えっとですね・・・6月末に日本帰国からタイに戻ってきて、ずっと情緒不安定だった私。

バンコクでの就職活動中は、泣いてばっかりだったし。
新しい仕事が決まっても、なかなかこの仕事を頑張ろうと思えなくて、結局試用期間中の2ヶ月で退職しちゃったし、心もそうだけど生活も何もかも安定してなかったの。

もうジュイと離れているのが嫌で、チェンマイまでやってきた私。
でも、結局今も一緒に生活は出来ていない私達。
遠いよりも近い方がいいと思っていたけど、問題は全然改善されているように思えなくて、自分の選択は間違ってた、パタヤに帰りたいなど・・・もう全てが間違ってるという風にしか考えられなかったワタシ。

近くにいれば頻繁に会えると思っていたけど、ジュイは全然会いに来てくれないし、私は一番忙しい時期で、いっぱいいっぱい。
彼に会いに行くよりも、なんで会いに来てくれないんだという不満でいっぱいだった。

で、ワタシ壊れたみたいになちゃってね。

今までに無いような、泣き喚き方をしたんですよ。
そしてジュイに「リリーはどうしたいんだ?」って聞かれて。

「もう日本に帰りたい、でも一人では帰れない、ジュイとは離れたくない」
と泣き叫ぶ。
もうマックスの精神不安定状態でした。

まー今までもジュイと電話越しに泣き言をいうことは多々あったけど、ここまで泣き喚いたことは無かったようで、ジュイはこのままでは私が私自身に何かするのではないかと思ったらしい。

そして、なんとジュイは電話を切った後、サッカーチームの監督に話をしに行ったらしい・・・。

「嫁がこうこうで、一人にしておけない。
 もう日本へ一緒に帰ることになると思う。
 契約書にサインをしたけど、サッカーを辞めざるを得ないかも知れない」

数時間後に電話があって、その話を聞いたときはビックリした。
そこまでしてくれるの?と感動もちょっとした。
でも、あなたのサッカーへの思いはそんなものなの?とも思って怒りも出てきた。
そして何よりも私の一言で彼の夢を潰すと思って焦ってきた。

ジュイのサッカー選手になるって事で、タイ国内遠距離恋愛をしてきた私達。
ジュイとの二人の将来を考えて、半分意地みたいになってタイで一人で頑張ってたつもりのワタシ。

あんたのサッカーに対する情熱は、そんなのだったの??
そんなに簡単に諦められるの??
私が日本に帰りたいって言ったら、辞めれるくらいの思いなの??

って腹が立ち始める。
私のこの2年に及ぶ、遠距離生活は何なの?

でもそれと同時に、私のわがままで彼の小さい頃の夢を奪い取ってしまう。
と・・・あの一言で彼を困らせてるということにやっと気付いた私は焦る・・・。

そう思って怒り&焦りながら、
「何を言ってるんだ、あんたのサッカーに対する思いはそんなもんなのか?
 そんな程度の想いなら、2年前にサッカー選手になんてなって欲しくなかった。
 パタヤで泣きじゃくる私を振り払って、サッカー選手になったんでしょ。」

明日は練習も出ずに私に会いにチェンマイに行るというジュイに・・・
「とにかく、明日はちゃんと練習に行くんだよ。
 いつもの気持ちの波で落ちてるだけだから、私は大丈夫だから。
 チェンマイに来なくていいから」

と電話を切った私・・・。

泣き疲れてすぐに眠ってしまう。

そして翌日も日常は当たり前のようにやってきて、仕事に向かう。
全然気分は晴れなかったけど、やらなきゃいけない仕事があって、それをこなして時間が経過していく一日。

仕事が終わって部屋にいると、ジュイから電話。

「今アパートの下にいるから、迎えに来て」

驚いた私はすぐに下に行くと、ヘルメットを持ったジュイ・・・。
そうランパーンからバイクを飛ばしてやってきてくれたジュイ。
私の言う通り、ちゃんと練習にも出たみたい。

とにかく会って話をしないといけないと思ったらしく、100キロ以上の道のりを、しかも夜に、しかも1月はかなり寒かったのに、バイクを飛ばしてやってきたジュイ。

私は本当に感動しました。
私この人と結婚したの間違ってなかったんだと心底思いました。

ジュイと一緒にいると落ち着いていられる私。

9日にジュイの練習試合があった為、私の休みを待って8日には二人でランパーンへ向かいます。
そうバイクで・・・。
2ケツで山越え、2時間半くらい・・・。
ここで事故ったら、親に申し訳ないと思いながらの道のり。
無事にランパーン到着。

その後の様子は、誕生日日記に書いたとおり。

で、これで正常心が保たれてたのはジュイと一緒にいた時だけ・・・。

10日にチェンマイに帰ってきて、その日の夜はまた泣いてしまう私。

でね、私・・・日本のお母さんに電話しちゃったの。
タイで生活するようになって5年。
電話越しでお母さんと話をして、初めて泣いてしまいました。

で、お母さんに言われたのが・・・

「ジュイとしっかり話をしなさい。
 腹くくって結婚したんやろ?
 二人でしっかり話をして解決しなさい。」

話す相手はお母さんじゃないと・・・。

その話をジュイにしたら、またジュイに怒られる。

「なんでお母さんを心配させるようなことをするんだ。
 ジュイがリリーの面倒をちゃんと見てないって、お母さんが思うでしょ」

そうか・・・もう何か問題があった時に頼れるのは親じゃないんだと思ったのです。
夫婦になった、パートナーであるジュイと問題を解決しないといけないんだ。

そうか、私とジュイは家族になったんだ。
そう思ってからは、驚くように心が安定しています。

実際、あの夜から泣いてないし。
泣かなくなったら、毎日楽しいし。
鼻歌なんか歌っちゃってるし。
毎日ブログにも向かえる。

『笑う角には福来る』ってホントなんだなぁ~って心底思う。

そして仕事にも慣れて、余裕が出来て、ジュイが会いに来れないんだったら私が会いに行けばいいと思えるようになって、頻繁に会えるようになったし。

今はジュイのリーグが始まって、試合の翌日は休みだったりするので、その休みを利用してジュイも会いに来てくれるようになった。

こういう1月の色々から、私はジュイに愛されていない訳がないという自信がめちゃくちゃあるの。
だから、前みたいなフェイスブックのごちゃごちゃも軽く流せる。

そう私とジュイは家族なんです。
これから出会うであろう問題は二人で解決しなきゃいけないの。

これからも凹んだらこの記事読んで頑張ろう♪

どうでしょう、ジュイ名誉挽回って感じ・・・笑