【喪失の日、そして誕生の日】 | 監督のささやき戦術

 今なお深い傷跡が残る未曾有の大震災から7年。

 犠牲となった多くの方々へのご冥福と、未だ途上の被災地の1日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

 

 列島が鎮魂の祈りにに包まれるこの3月11日が、開場記念日の当スタジアム。今年5回目の記念日を迎えることが出来た。

 当スタジアムの開場記念日を3月11日に定めたのは、特に意図したわけではない。手続きや工事の進捗によってたまたまそこに定まったというだけの、ただの偶然の産物である。ただの偶然なのだが、東北で育った自分が、偶然そういった日付に商売をスタートさせる事になったのは、ひとつの運命というか因縁めいたものなのではないかと、勝手に意味づけをして受け止めている。

 そんなわけで、5年前から「3・11」は自分にとってふたつの大きな意味を持つ日付となった。

 

 

 5年前の今日、誰も知らない神田の片隅にひっそりとオープンした当スタジアムが、5年経った今もこうして廃業の憂き目を見ることなく存続できているのは、ひとえに支えて頂いた、応援してくださったお客様や関係各位の皆様のご愛顧の賜物以外の何物でもない。この場をお借りして、心よりの感謝と御礼を申し上げる。

 

 

 支えて頂いた多くのお客様のご愛顧に当スタジアムが報いることが出来るとすれば、それは細くとも長く、いつ来ても野球ファンが楽しめる場を続けてゆくことであると思っている。そして、規模はめちゃくちゃ小さくとも、経済活動に参加する事、遠征で足を運ぶこと、僅かばかりでも税金を納め続ける事が、今の当スタジアムにもできる、被災地に対しての復興支援の形ではないかと考えている。

 

 

 こちらが5年前、開場当時の当スタジアム。

 

 そしてこちらが5年経った、本日現在の当スタジアム。

 

 「もう5年」などとは全然思わない。「まだ5年」である。過ごした時間が常に「成長」であるよう、今よりももっとずっと、野球ファンの皆様に喜んで頂ける、楽しんで頂ける、贔屓球団の本拠地球場の次に好きな球場と思って頂ける場であれるよう、これからも当スタジアムなりの野球道に邁進してゆく所存である。

 

 これまでの5年間の当スタジアムの観客動員数は、ようやく甲子園球場からあぶれる程度である。夢は大きくいつの日にか観客動員100万人達成とぶちあげて、10年20年50年と細くとも長く続けてゆきたいと、5周年に臨み決意を新たにした次第である。

 

 改めて、この5年間当スタジアムを支えて頂いた皆様の絶大なるご愛顧に心よりの感謝を申し上げるとともに、6年目に突入した当スタジアムへの皆様のご来場を、引き続き心よりお待ちしております。