監督のささやき戦術

 平成も遠くなりにけりだが、いまだ鮮明に記憶に残るあの平成史上最悪の未曾有の大災害から昨日で14年。

 当たり前の日常を唐突に終えることとなってしまった多くの尊い命への哀悼を表するとともに、未だ長き道のりも半ばの被災地の1日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

 

 

 列島が14回目の鎮魂の祈りに包まれた昨日、12周年の開場記念日を迎えた当スタジアム。

 その日付の重みゆえ、わりと問われることがある。「よりによってなんでそんな日付をめでたいオープン日に……?」と。

 答えは至極単純明快。単に工事の進捗や開場準備の段取りなどから導き出された最短のオープン日がたまたまその日だった、というだけであり、わざわざ選んだわけではない。

 ただ、それが偶然の産物とはいえ、18歳までを東北で過ごした自分が、チャレンジングすぎる商売の第一歩を踏み出したのが結果的にそういう日付になったことはまぎれもない事実。これは普段「運命」とか「因縁」などといったものをまるで意識せず暮らしている者であっても、感じるものがあったのが正直なところだ。

 こうして12年前から自分にとっての「3.11」とは、14時46分に黙祷をささげた後、また新しい1年を迎えられたことに感謝するという、ふたつの意味を持つ特別な日付となったのだった。

 

 2013年3月11日、神田の猥雑な飲み屋街の片隅の、当時ですでに築40年を超えていた古い雑居ビルの2階に、ひっそりと人知れず開場した当スタジアム。

 「5年生存率20%」と言われる飲食業にあって(しかもかなり対象を選ぶニッチな業態にあって)、今もこうして同じ看板を掲げ続けて存続できている一番の理由は、端的に言って「運がよかった」という一言に集約されると思う。

 その「運」とはすなわち、「ただひたすらに良いお客様に恵まれたがゆえの幸運」だ。多くの野球ファンの皆様、関係各位の皆様との良縁に支えられ、応援いただいて存続できている当スタジアムは、稀に見る豪運の持ち主であるとしか言いようがない。

 個人的には決して運がいい方ではないのだが、その分が商売の方に上積みされているのであれば、空からの鳥の糞も車からの泥はねも喜んで受けよう。

 これまで当スタジアムを支え続けてくださり、豪運をもたらしてくださっているすべての野球ファン、関係各位の皆様に、この場をお借りして改めて心よりの感謝と御礼を申し上げる。

 

 東日本大震災以降も、熊本や能登の大地震や異常気象による水害などの天災、直近の大船渡の大規模森林火災、全世界を激変させた新型コロナ禍、そして遥か海の向こうのウクライナ戦争などなど、当たり前の日常を奪い去る災いは枚挙にいとまがない。

 そんな無形の巨大な魔物に対して、当スタジアムができることはほぼ何もないに等しい。特別なことはできないからこそ、当たり前に日常を過ごせる幸せさを忘れることなく日々営業活動に勤しみ、規模は小さくも買ったり売ったりを繰り返しながら些少なりとも税金を納め続ける、という経済サイクルの一員として、真摯に粛々と取り組んでゆくのみである。

 

 

 こちらが12年前、開場直後の当スタジアムの場内風景。

 

 そしてこちらが12年後、昨日時点での同じ場所。

 どっかのタイミングで「余白恐怖症」を発症したのか?(否定はしない)と訝しみたくなる、壁も天井も下地が見えない偏執的と言っていい圧迫展示。

 開場当時、12球団のホーム&ビジターユニ24着プラス少々でスタートした場内の展示ユニは、現在はざっと100着。倉庫にしまってある在庫は300を優に超えている。敷設されている人工芝も12年間で二度張り替えて現在3代目だ。

 

 これを進化と言っていいかと問われたら正直疑問だが、進化はともかく常に「変化」は意識し続けてきたこの12年。

 現状に甘んじることなく、これからも皆様に「いつ行っても何か新しい発見があって楽しい」と思っていただけるよう、当スタジアムなりの野球道に日々邁進してゆく所存である。

 それがこの12年、支え続けてくださった野球ファンの皆様の熱きご声援に報いることができる、数少ない当スタジアムのできること、やるべきことだと信じて。

 

 

 当スタジアムと同じ2013年にデビューした、いわゆる「同期」にあたるプロ野球選手は、イーグルス則本投手、スワローズ小川投手の同年の両リーグ新人王を筆頭に、ベイスターズ宮崎選手、ホークス東浜投手、今季ファイターズに移籍した福谷投手、メジャー挑戦3年目の藤浪投手、今春海を渡った菅野投手などがいる。

 入団12年、今季13年目ともなると、現役を続けられているのはチームの中心選手としての地位を確立できたごく少数の者のみ。事実、2013年がルーキーイヤーだった支配下70選手、育成13選手のうち、2025シーズンも現役でプレイしているのはわずか14選手。改めて厳しい世界だ。

 そんな2013世代を代表する巨大シンボルと言えば、ともに今週末来日するふたりのメジャーリーガー、大谷翔平選手と鈴木誠也選手だ。

 絶対にご本人たちの耳に入りっこないのをいいことに、「2013年は大谷・誠也・リリーズ世代と言われている」という珍説を、既成事実として世間に定着させるべく日夜あちこちで吹聴している。皆様もぜひ各所で触れて回ってほしい。

 

 同じ年にデビューしたそのおふたりは、今や押しも押されもせぬバリバリのメジャーリーガー。彼らの年俸を当スタジアムの年商が上回っていたのは、せいぜい最初に2~3年くらいだろう。今や年に5000日営業したとて到底追いつけないくらい差をつけられてしまったが、もはやそこで争うつもりはない(もともとない)。当スタジアムが彼らを上回れる要素があるとするならば、それは「現役年数」の一点のみだろう。

 ちょっと先の未来。鈴木誠也選手、大谷選手の引退試合を場内で放映しながら、「長い間お疲れ様。あれだけいた2013年組はついにうちだけになっちゃったけど、こちらは生涯現役でまだまだ頑張るよ……」とモニタ越しに語り掛ける初老の桃色野郎。というのが密かに抱いている中期的な野望のひとつなのだ。

 そんな歪な形での「大谷越え」を目標に、これからも日々奮闘してゆきたい。

 

 

 数ある当スタジアムの野望のひとつが、ロッテ(川崎時代)と同じ「観客動員100万人」。向こうは単年だが、当スタジアムあくまで累計で。

 その進捗はというと、開場12年目の昨季中にマイルストーンののべ10万人に到達。たった50席程度のちっぽけな当スタジアムに、長年の積み重ねでこれだけ多くのお客様にご来場いただけたことはとんでもなくありがたいことであり、誇るべき偉業に間違いはないのだが、目標達成という視点で言えばこのペースだと単純に120年かかることになるわけで、これから医学が劇的に進歩しない限り、自分の存命中の達成は難しそうだ。

 いつの日にかの達成を草葉の陰から見守るために、あと108年存続できる体制づくり、そして二代目三代目桃色野郎の育成も視野に入れながらやってゆきたい。

 

 35歳でこの店を始めた桃色野郎は、12年経って当たり前に12年分年を取り、47歳になった。

 年相応の衰えの実感は確実にあるが、実はこの12年間、大病や怪我などで登録抹消となったことが一度もなく、連続試合出場を続けられていることは、密かな自慢である。

 どれだけインフルエンザが世間で流行ろうとも不思議と罹ることなく、あの数年に及んだ新型コロナ禍中、デルタからもオミクロンからも身をかわして最後まで陰性のままやり過ごし、フィジカル面でも上半身も下半身もコンディション不良と発表されることもなく、来る日も来る日も変わらず店に立ち続けてられていること。これも当スタジアムの「豪運」のひとつであろう。

 知能やビジュアルのパラメーターを無視し、フィジカル面に全振りして生んでくれた両親には、心の底から感謝している。とは言えそれを過信することなく、これからも無事是名馬を是とし、心身のケアも怠らずに日々を過ごしてゆきたいと思う。

 

 

 毎年毎年物言いは多少変わるものの、言ってることはだいたい同じの開場記念日に寄せての所信表明。それだけ毎年ぶれぬ思いを持ち続けられているのだと、自己採点甘めに思っておくことにする。

 長々と駄文を連ねてきた最後に改めて。皆様の絶大なるご支援ご愛顧ご声援によって迎えられた12周年に心よりの感謝を申し上げるとともに、13年目の戦いをスタートした当スタジアムへの皆様のご来場を、引き続き心よりお待ちしております。