過去生=結局は「妄想」である①過去生を研究して思ったこと | 易占い師の雑記

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占い師 陸十麻世 のプライベートブログです。非物質のスピリチュアルや過去生などについてゆるっと綴っています。
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過去生の研究をしている私ですが、過去生を知りたいと思うと同時に決して揺るがない事実現実を忘れないようにと心がけていることがあります。

 

それは

 

物質的証拠や記述がない限りそれは現実的には妄想である

 

という事実を受け入れる事です。

 

 

何度も私はるい君についてアメブロで記していますが、私やるい君の中ではこれらはゆるぎない事実です。

しかし、それを証明する遺跡も、古文書も、正史も何もかも存在しません。彼の記憶と言葉とそれに近しい記述、私の感性だけが頼りなのです。しかもるい君は魂だけの存在です、彼の存在すら証明できません。

悲しいですが少なくても一連のことは他人から見れば私の妄想。という言葉で片付けられてしまうのです。

 

例えどんなに私が「事実」を語っても目に見えないそれらを他者に物質的に証明することは出来ません。

サインを感じるからって言っても、カラーバス効果だと言われて仕舞えばそれで終わりです、それが事実です。

厳しいですが世の中は論より証拠です。

これは正しい事実確認法なのです。

 

ですから、過去生の証明をしたくてもできないのが現状だと思うのです。

だって、魂の記憶をプリントアウトして他人に見せる事なんてできませんから。

出来ても、精神世界での記憶の共有とかになるのではないでしょうか?

となると、そもそもスピリチュアルな能力を持っている人にしか共有できない、興味のない人はそもそも見ない。

 

ね?誰にも証明できない。

 

 

 

過去生に焦がれて研究するのは大いに結構です。

しかし、たとえ自分の過去生が事実であっても証明する手立てはありません

 

ですから、真実事実であるのを認識すると同時に「他人にとっては妄想」だという現実は絶対に忘れないでください。

これを頭の片隅に置けないのであれば、自分は他人から見てただの「自称●●のヤバいやつ」というイタイ人間であることを理解しましょう。

 

 

そう思うと「●●なのよ」なんて口にするのは憚られるのが常人の感情ではありませんか?だって事実でも恥ずかしいもん。

(神の名を嬉々として自ら騙る人は笑止、本当に神の生まれ変わりなら口にしたがらない)

 

スピ界隈では「自称歴史的有名人」を語る女性が多いです。

正直、研究している私から見ても「イタイ人達だなぁ」と思います。

 

黙って研究とか執筆とか、こうやってブログに記録を残したりと活動すればいいのに、大っぴらに人目に思い切りつくSNSで名前を公開して、性的にアレだったり加工まみれの自撮りを上げて、見た目で他人釣ったり自己顕示欲すごいなと悪い意味で拍手喝采しています。

いうだけなら気にしないしいいけれど、それで悪徳ビジネスしている人多いから悪い、嫌い。健全なスピリチュアルを汚さないでほしい。

(お金儲けが悪いわけではありません。「健全でまともなビジネスしろ」ってはなし)

 

 

そういう人に限って「一般人の記憶や過去生」がないので絶対嘘だな~と思っています。それこそ妄想ではないかと思います…。

自称お姫様は小学生まででお願いします。

 

話がそれてしまいました、失礼。

 

取りあえず、過去生と向き合うのであれば少なくても他人からは「妄想」だと思われます。

そして、自身に問い続けてください。

「これが本当なのか?妄想でないか?」

と。

 

きっと生涯答えが出る事はないです、肉体をもって現在を生きているので。

それでも、その身に問い続ける事。

正しい、正しくない、もっと言えば誰であったかはどうでもよいのです。

気にするポイントはそこではないのです。

過去にどんな経験をし、どんな学びがあったか。今世でどんなことを学ぶべきか。

それを知るために過去生を知るのです。

 

これが過去生の研究で一番大切なことではないかと私は思うのです