過去生の研究をしている私ですが、
それは
物質的証拠や記述がない限りそれは現実的には妄想である
という事実を受け入れる事です。
何度も私はるい君についてアメブロで記していますが、
しかし、それを証明する遺跡も、古文書も、
悲しいですが少なくても一連のことは他人から見れば私の妄想。
例えどんなに私が「事実」
サインを感じるからって言っても、カラーバス効果だと言われて仕舞えばそれで終わりです、それが事実です。
厳しいですが世の中は論より証拠です。
これは正しい事実確認法なのです。
ですから、
だって、
出来ても、
となると、
ね?誰にも証明できない。
過去生に焦がれて研究するのは大いに結構です。
しかし、
ですから、真実事実であるのを認識すると同時に「
これを頭の片隅に置けないのであれば、
そう思うと「●●なのよ」
(神の名を嬉々として自ら騙る人は笑止、
スピ界隈では「自称歴史的有名人」を語る女性が多いです。
正直、研究している私から見ても「イタイ人達だなぁ」
黙って研究とか執筆とか、
いうだけなら気にしないしいいけれど、
(お金儲けが悪いわけではありません。「
そういう人に限って「一般人の記憶や過去生」
自称お姫様は小学生まででお願いします。
話がそれてしまいました、失礼。
取りあえず、過去生と向き合うのであれば少なくても他人からは「
そして、自身に問い続けてください。
「これが本当なのか?妄想でないか?」
と。
きっと生涯答えが出る事はないです、
それでも、その身に問い続ける事。
正しい、正しくない、
気にするポイントはそこではないのです。
過去にどんな経験をし、どんな学びがあったか。
それを知るために過去生を知るのです。
これが過去生の研究で一番大切なことではないかと私は思うのです