白河&会津紀行☆まとめ第2回 | NORTHERN SPIRIT

NORTHERN SPIRIT

☆ Historical products for Early Medieval ☆

こんばんは~夜空

ミニチュアダックスのエマ、本日ショップ様に旅立ちました花

週末を挟むため、少しお時間をいただきますが、無事に里親さまのもとに到着しますように四つ葉



そして今日は、先週末の旅日記の続きを。。


9月21日(土)

朝から I さんの車で 「塹壕めぐり」 に出発おんぷ♪


戊辰戦争で西軍(新政府軍)が会津に攻め入る2日前、母成峠の戦いがありました。

この峠に至る山道には、会津藩と旧幕府軍、新選組らが築いた陣地が3か所にあります。峠の一番上、現在の母成グリーンライン(道路)に交わる旧道から山に入って行くと、二重構造になった塹壕が。



Lilac Bear ☆ 小さなテディベア作ってます。


私の写真では判りにくいですね~;; すみません。。


北側の防塁は、1600年、上杉景勝・直江兼続の時代に築かれたもので、戊辰戦争時にも再利用しています。さらに南側に新たな塹壕を築き、その長さは384メートルに及ぶそうです。


戦国時代の「防塁」は、人馬の進行を防ぎ、弓と鉄砲(火縄銃)で狙うために築かれたもので、戊辰戦争の頃の「塹壕」は、戦国時代の防塁より幅が狭く、土塁も低いです。この時代は騎馬兵ではなく歩兵が戦いの中心で、掘った溝に潜んで敵を銃で狙い撃ちしました。


熊(テディベアではないほう/笑)と出会わないために、I さんは熊よけの鈴をつけた棒と笹薮の中を進むのに邪魔な枝を刈る鎌を持ち、私は長靴をお借りして、塹壕探検。

I さんのお蔭で、とても貴重で興味深い体験をさせていただきました^^

歴史の勉強、史料や文献を読むことも勿論大切ですが、フィールドワークの楽しさに勝るものはありませんくま


会津城下に近い戸ノ口原には、会津藩・白虎隊の陣地跡と、新政府軍の陣地跡があります。双方は1100メートル離れているそうです。

新政府軍の陣地にある塹壕跡は、明治時代に兵士の訓練用として再利用されました。


西会津の陣ケ峰峠にも陣地跡があり、ここでは1868年9月2日、大鳥圭介・新選組が長岡藩とともに戦いました。

新選組は京都での活躍が有名ですが、会津でも各地を転戦しています。


あまり専門的なことを書いても退屈かと思うので、このくらいにしておきます~


次回は南会津にて、さだきちが兄さんと再会したことなどを書きますねおんぷ


misa ☆ Lilac Bear