あなたの『正解』を押し付けていませんか?
私は昭和生まれなので、両親や親戚、先生、近所のおばちやん、目上の方の価値観、価値観の特に『正解』を聞かされて育ってきました。
多分、縛られてきました。
価値観よりも、優しさの『正解』を押し付ける人の方が、よく目にします。
母の介護でヘルパーの方にはお世話になりました。30代のヘルパーの方と実家に帰省時に、初めてお話しした際、開口一番に言われたのが
『お母様は寂しそうで、可哀想ですよ』でした。
ヘルパーの方は母のことを思い遣って下さっていると、まず感じました。
と同時に、喉の奥が締まる様な感覚が走りました。
『私が気にしていないとでも』というセリフは言えるはずもなく『出来るだけ帰省する様にいたします』と返答しました。
ヘルパーの方に依頼していたのは、片目が悪い母の手伝いとして、家の片付け、食事の用意等でした。
そのヘルパーの方が家に来て尚も、
毎回帰省する度にに小蝿が湧いていたり、キッチンの生ゴミ置き場の除菌処理がされてなかったり、部屋の片隅には綿埃を見つけることがありました。
『時間が足りないから出来ないのかな』
『ケアマネに相談して時間延長するべきなのかな』と思う私と
家族ならそれくらいするだろうという程度の家事も業務時間外には出来ない(当たり前なのだとは理解しています)ヘルパーの方が押し付けてきた正解の『優しさ』って何だよ、っと悪態をつきたくなる私がいました。
私はこの『正解』の押し付けにうんざりしています。
私は親の価値観の『正解』である『女に学は必要ない』『結婚すれば一人前』
義母の正解である『流産するなんて、あなたの身体が悪い』『義父母の面倒を看るための嫁なのだ』を盲目的に取り入れてしまった時期を過ごしてきて、それが私にとって、しんどい事だったんだと最近になって気づきました。
私は本当に愚直てした。
そしてその体験を子供や周りの人に、させたくない、その連鎖は断ち切りたいと今は思っています。
いや、あなたのブログも昔『正解』を押し付ける様な表現をしていたじゃん、という当初から読んでくれている方で思う人もいると思います。
今の私は反省しています。
アンチの方の攻撃で凹んで、悩んだから、この気づきに辿り着きました。
(どんな事にも学びはあるのですね)
ブログで
自分の『価値観』や『価値観』の『正解』、優しさの『正解』を語るのは自由だと思います。
語りを飛び越えて、自分の『正解』を読者に押し付けてる(『正解』ヘ誘導している、共感させる」ブログの場合は、正直、読むのは避けてしまう様になりました。
単純に、読後がしんどくなるからです。