上の子供は恋愛をしています。
私は子供の恋の話でも、自分からはあまり聞かないです。
帰宅時間とか確認する時に、今日はデートなんだな、って位の把握です。
子供といっても、他人の恋愛なので立ち入るのは不躾な気がするからです。
ただ、子供が深く傷ついたり、悲しむ様な事態にならなければいいなと見守っています。
とはいっても、子供が恋人と喧嘩をしたら不満の捌け口として愚痴を聞き、相手の態度に悩んだ時は相談役となります。
そんなこんなで恋する二人の様子はわかっているのかもしれません。
新緑の様な瑞々しい若者の恋愛は、伸びやかで、そして内側から輝く眩しさがあります。
下の子供は、まだ精神的に幼いのか、私にこう聞くのです。
『人を好きになる(恋愛感情)がわからない。そんな感情を抱いたことがない』と。
まだ『恋』を経験していない、率直な感想であり、「昔の私と似ているなぁ」と思いました。
私もかつてそうでした。
私が本当に誰かを好きになる前は、
私の日常には誰かを『好き』になる必要はありませんでした。
『イケメン』『優しい』などの理由を挙げて、誰かが好きだと友達と騒ぐことはあっても、友達が好きだと頬を赤らめる理由や、別れてもずっと思いつめて涙を流す理由が、私にはピンときていませんでした。
ある日突然、私に『好き』が舞い降りた時、私は相手(他人)の中に、自分の存在を見つけたいと強烈に願っていることにきづきました。
私にとって『好き』は欲求から始まったのです。私の存在を感じて欲しい、相手の心に触れてみたい。
それは、私にとって苦しみに近い感情でした。
まだ『恋』を知らない下の子供も、いつかは『好き』とは『苦しみ』が同居する感情なのだと、知るのでしょうか。
恋愛は、人それぞれです。
下の子供の『好き』は、もっと穏やかで、清々しい始まりなのかもしれません。
(私にとって『恋』という感情は文学や芸術、エンタメの世界のみでお腹一杯です。リアルは恋よりも慈愛しか要らないという感じですね笑)