私は友達を縛りたくない。だから、離れることもあり得るのです。 | 『そうだね』って言えるまで

『そうだね』って言えるまで

美味しい物を食べて
少しだけぼーっとした時間と
寝心地の良い寝具があれば
幸せ。

私のブログには友達との描写があまりありません。


それは、友達との接触がほぼ無い毎日だから。

そもそも私は友達がとても少ないです。 



子供を産んでから、多くの方と接してきましたが、ママ友と呼べる人は、3人だけです。


そのママ友も、年に一回会う程度です。ラインは、予定の確認のみといっても過言ではありません。


年に(または数年に)一度しか会わない関係性を友達というのは適切では無いかもしれません。


また相手は、ただの知り合いとしか思っていないのかもしれません。(知り合いでも、私には充分です。)



先日、2年ぶりにママ友とランチの約束をしました。その時、ふと思ったのです。


『これから先、友達と離れたり、失ったりすることはあるのだろうか。』



私にとって友達は、とても貴重な存在です。居てくれるだけ、存在自体、それだけで良いのです。


基本的に、頻繁に会ったり連絡もしないので、お互いに干渉する距離感ではありません。

ただ会えば、それまでの疎遠を吹き飛ばす様な濃い会話や親密な時間を過ごせる相手です。



そんな元から近くない距離感の友達と、敢えて離れる、または失うという状況はあるのか、という問いの答えは『アリ』であり

『お互いが変わってしまった時』だと思うのです。



人は肉体的にも、精神的にも、日々変わっていくものだと理解していて


その時の利害関係で友達から後回しされ不快な想いをすることや、

状況によっては看過できない言動を友達がする可能性はある訳です。



私だったら、友達が変わってしまった一点だけで、看過出来ない言動があるだけで、心が離れてしまうんじゃないかと、そんな自分自身が想像出来てしまうのです。


私も、友達も、自分の心を抑えつけてまで、理解ある存在、優しい存在でいる必要なんてない、と思っているので。



友達という縛りを守る為に、その人の生き方を縛るのは、少し歪な気がします。


その時

友達を理解できなければ離れればいい。

友達を許せなければ、許さなくていい。


ある日

また友達を理解出来れば、

その自分の気持ちを受け入れればいい。


その先に、再び友達と適切な距離感になる未来はあるかもしれないから。



自分も、友達も縛りたくないという想いなのに、友達を失うかもしれない回答しか思いつかない私はアホなんだと、我ながら呆れてしまうのですが…