自分が不倫をしていようが
自分が他人傷つけていようが
自分が人を裏切っていようが
自分が責任を取らず逃げていようが
他人の善意に訴える人達がいます。
他人の善意を利用しようとする人達がいます。
昔の私は、身近にいるそういう人達の声を聞いていました。
自分の善意は、プラスに作用すると信じていたからです。
しかし多くの場合、私の善意はその人達に消費されるだけでした。
その人達は消費した他人の善意を纏い、自らの姿をカモフラージュし、
結局、自分の欲求だけを満たすのです。
私が今までの人生で学んだことから
『善意を求める人に近づくのならば、
善意を施すならば、
自分が疲弊するのを覚悟すべきであり、
その善意が裏切られることで
自分が挫折することも仕方ないと
思える場合のみである』
と自分なりのルールを決めました。
私が、そこまでしても善意を施したい相手は、
家族あり、親友であり、
心から信頼する人達だけです。
私は冷たい人間なのかもしれません。
ただ、私が善良だと感じる人達、
善行を意識していると思う人達は、
赤の他人に善意を求めることを
躊躇する人達でもあります。
なぜならば、
善意を求める(利用する)
他人任せの生き方とは
人の優しさや同情に甘える生き方だと
その人達は知っているからだと
思います。
善良であろうという人ほど、
自分の足で立つということを意識している様な気がするのです。