顧客の満足度が先〜身に付いた感覚と子供へのアドバイス | 『そうだね』って言えるまで〜日々の気づきと

『そうだね』って言えるまで〜日々の気づきと

美味しい物を食べて
少しだけぼーっとした時間と
寝心地の良い寝具があれば
幸せ。

以前、あるカテゴリーで上位だったブロガーの


『待っていてね』


という記述がとても印象に残っています。


そのブロガーはご自身の恋愛をブログで綴っていました。恋の進展具合によっては、『待っていてね』と読者に振り、後日投稿するというスタイルをされていました。



『待っていてね』と言える彼女は、確実に私とは違う種族だと思ったものです。




私は人に『待っていて』と言う事自体に罪悪感を覚えます。


理由が2つあります。

①父から『人を待たせることは、その人の時間を奪うことだ』と言われていたからです。


父は毎日晩酌をしていました。私が日本酒を御燗する準備をするのですが、日によってはテレビを見ていたりして、なかなか準備しないと『人を待たせるとは…』と毎回父から言われていたからです。

今考えると、早く飲みたいだけの酒飲みの戯言だったのかもしれません笑


とは言え『人の時間を奪ってしまう』という、その意識は染みついてしまったのです。


②独身時代は営業職でした。その営業では毎月の売り上げが1億ある得意先の社長対応に一番気を遣っていました。

社長は曲者でした。売り上げと比例する形で、何かと用事(今で言うクレームですね)を言いつけてきていました。


私の上司は『用事の完遂や、クレームの対応の正解を求めるよりも顧客の満足感を優先する』が口癖でした。

用事が済むことより、クレームの対応が完璧なことより、とりあえず社長のところに直接すぐ向かう、他の顧客を差し置いて参りましたという姿勢でいるこもが大切なのだと。社長が不快な気持ちのまま、待たせてはいけないという事を叩き込まれたのです。


未だに仕事でもプライベートでも、相手が不快や問題を訴えたら『あなたを一番優先していますよ』という態度を示す様に努めるようにしています。




どうやら私は、こういう昔取った杵柄の処世術的な感覚を子供に伝えてしまっている様です。


それに気づいたのは、私の子供がアルバイト先で年配のオーナーや所属長によく褒められるという話を聞いたからです。


『今どきの若い人は、あまりそんな事(気遣い)をしないんだって。お母さんくらいの人に、こういうの(気遣い)は、めちゃくちゃ褒められるよ』



私のこの感覚はいつの時代でも通用するのだろうか。


それとも、令和の時代に古い感覚なのか。


それは子供に伝えることで、子供の役に立っているのだろうか。押し付けなのだろうか。



褒められたという子供の自慢話なのに、ここまで考えてしまうのは、ネガティブの癖がつよい…のでしょう。