私、昔々、アメリカにちょっと留学してましてね。(自分のお金で)

 

 

 

上の記事からの続きです。

よければ読んでください。

 

毒親から逃げたい気持ちがあったのも事実。

 

若さゆえに大胆でしたねえ。

 

 

結構田舎の方の大学を選んだんです。

なのでほぼ白人というコミュニティでした。

 

田舎を選んだ理由は簡単です。

物価が安かったからです。そして州立大学です。

授業料も私立より安かった。

 

アメリカ人に交じって授業受けましたが、

「統計」という授業でしたが、なんと中学3年でやった解の公式を

やっていたんです。クラスは私以外みんな白人アメリカ人。

30人くらいの教室だったかな。

みんな頭抱えていましたよ。

先生の指示は、解の公式を使って、数字を代入して答えを出す問題。

日本人の皆さん、学校で何度もこの公式を使って代入して、、、

ってやりましたよねえ。

なんせ、ほとんどの中学3年生は、高校受験してますからねえ。

この程度の事って朝飯前ですよねえ。

 

代入の仕方もわからないんですよ。周りのアメリカ人たち。

 

私の隣のいつも私の英語の発音を鼻で笑っていた白人アメリカ人女。

私のノートを思いっきりのぞき込んで、書き写してましたよ。

まあ、見せてあげましたけど。

 

なんか私とても嫌な女にうつりますよね。

でも、アメリカでは差別は日常的でしたよ。

 

あからさまにはあまりされないんですけど、

何て言うんでしょうか、「class」階級みたいなものが

透明の壁みたいなもので分かれているような

そんな感じでした。

 

白人が一番って感じでしょうか。

田舎だったので、、、もし大都会だったら

もう少し違ったんでしょうか、、、

 

アジア人なんて興味もないし目もくれない。

黒人よりも下だったんじゃないかな。

ネイティブアメリカン(インディアン)の人も差別されていたし。

脱線しますが、インディアンの人たちはもともとアメリカ大陸に

住んでいましたが、ヨーロッパから白人が入ってきて、勝手に

侵略し、インディアンの人たちの住む場所を

○○district  reservation

とかに場所を決めて住まわせていたんですよ。

つまり他に住む自由を与えないという感じでした。

 

 

白人同士でも差別がありました。

表面上はわかりませんでした。私には。

 

私が数少ない、仲良しになったアメリカ人は

 

イタリア系アメリカ人 リサ

髪の毛は濃い茶色、茶色の瞳。肌は白。

 

もう1人は 黒人とネイティブアメリカン(インディアン)とのハーフ

カッシーナ

髪は黒でチリチリ。茶色の瞳、肌は茶褐色。

 

リサが言うには、白人の中でもイタリア系は最下層なんだとか。

髪が金髪で、青い瞳が一番最上位なんだとか。

 

カッシーナに至っては、複雑なハーフゆえ

黒人のコミュニティにも属することはできないし、

インディアンのコミュニティにも属することができないと

話していました。

そのせいかわかりませんが、頭は良いのに

何かいつも物憂げな抑うつ的な感じで、

あまり授業にも出ていない感じでした。

 

授業で、「4人グループになって討論して」となっても

白人女子3人は、ものすごい早口で話して、私を

討論に入れる隙を与えてはくれませんでしたし。

(ま、私も討論できるほど英語できませんでしたけど)

 

私がたまたま早く教室に行って席に着いたら

「ここは私の席よ!」って強い口調で言われて

渋々席を離れたこともありました。

席は自由だったんですけどね。

 

まだ、コンピュータープログラミングのクラスの方が

男子が多かったし、宿題が多かったので、

それどころじゃない感じで、普通に授業受けれましたけど。


リサは、アラスカ出身で、一般教養の数学のクラスを

なかなかパスすることができず、私も何回か教えたことが

あったけれど、かなり手こずってました。

それはなぜか?

彼女曰く、当時のアラスカの中学、高校は、数学が

選択性だったため、彼女は数学を取らなかったそう。

大学で数学を取ることになり、基礎力がないので

苦労してました。

 

一般教養の数学も私の肌感覚では、中学3年から数Ⅰ前半

くらいのレベルだったように思う。

 

とまあ、数学のレベルは当時こんな感じでした。

 

なんかアメリカ留学時代のことを

色々思い出してきたのでまた書きます。

 

#アメリカ

#留学