こんばんは、whistleです。

未曾有の大地震で甚大な被害を受けた東北地方の被災地の方々の力になりたい。

でも何をしていいかわからずもどかしい気持ちでいる方が数多くいると思います。

もちろん電力・ガス・水道の各インフラへの負荷を減らすべく、

節電や節水を心がけるのは当然として、それだけではもちろん足りません。

政府による自衛隊派遣、民間企業による義援金の送付や物資援助など、
必至の救援活動が続いております。

そんな中、私たち一人一人にできないことがないわけがありません。

今すぐ救援物資を送ることは、ダメージを受けた輸送網にさらなる負担をかけてしまうため、
あまり得策とはいえません。

義援金としてお金を送ることは大事ですが、
ただお金を出すのではなく、もっと知恵を出して国民全体で乗り越えなければなりません。

被災地に今すぐ出向いて、手助けをすることが物理的に難しい私たちでも、
できることは必ず沢山あるはずです。

例えば、捜索や、モノを送ることができないとしても、

被災地の方々が今までのような生活を取り戻すためにできることとして、
職を失った方々や、学校に行けない子供たちへ何かしらの支援が必ずできるはずです。

一人では小さなことしかできなくても、同じ意志を持つ人が多く集まれば、必ず大きなことを達成できると信じております。

都度、ブログを使って情報発信はしていくつもりですが、これだけでは非効率だというのも事実です。

微力ながらお力添えさせていただきたいと思いますので、コメント等頂ければと思います。

こんばんは、whistleです。

今日はあるNPO団体Learning for Allの説明会に行ってきました。

Learning for All(LFA)はペンシルベニア大学卒のウェンディ・コップという女性が立ち上げたTeach for Americaという教育NPOをモデルとしたNPO団体です。

教育環境の格差を是正すべく、社会人や学生を各地域に送り込むことによって、
こども達に学ぶ機会を与えようというものです。

教育の問題というのは昔から叫ばれてはいました。

これは私自身にとっても大変関心の強い問題です。

私もまた自分の置かれた教育環境に苦悩し(相対的には恵まれていたかもしれませんが)
大学で求められている学力の「質」というものに甚だ疑問を感じながら日々過ごしてきました。

また日本教育の世界における低下は、イコール国の豊かさを失うことに他ならない、
そのような危機感を強く意識するようになりました。

そんな時に出会ったLFAには、私が考えていた日本教育のこれからの在り方を、実践しており、とても共感できました。まだ走り出して間もない団体ではありますが、LFAは必ず大きな価値を生み出すことができるのではないかと感じました。

日本のこどもたちの多くが、偏差値教育の中で、
「どうせ自分はできない」、
「僕の将来はせいぜいこんなもんだろう」とあきらめてしまっています。

そんな子供たちに自分の可能性を信じさせるヒントを与えたい。

私自身そのように考え、中学生から付き合いのある高校生に対して、

なんとかして可能性を信じてもらえるよう、
勉強の楽しさを知ってもらえるようにメッセージや学ぶヒントを伝えています。


「教育を変えたい」

そんな想いを持つ日本人は数多くいます。
教育は学校、家庭、行政だけではなく、社会全体で育まなければならない。

そのためには、今の閉鎖的な学校、
モンスターペアレントと揶揄されている親、
縦割りの業務で自発的な活動ができていない行政といった三者間における、
相互コミュニケーションの円滑化を推し進めなければなりません。

そのために最初にやるべきことは、
それぞれの間に高く聳え立つ壁に、風穴を開けなければならないと信じております。

LFAには、風穴を空けるだけのポテンシャルを感じました。


私の仕事は今とても忙しいです。
朝8時半に出社して、平日の帰宅は24時を過ぎることも日常茶飯事です。

それでも今立ち上がってアクションを起こさなければならないと強く感じました。

時間は創るものであり、「忙しい」という言葉は言い訳に過ぎない。
いまここでやらなければ、きっとこの先もやらないだろう。
「忙しい、忙しいとよく言ってきたけれど、それじゃあいつになったら暇になるの?」
そう自問したときに、いまこそやろうと決意できました。


また私にはそこまでする理由があります。

私は大切な弟と約束しました。

弟の分も「よく生きる」と。

人の分まで生きるとはどういうことだろう。
自分なりに考えた今の答えはこうです。

弟が見ることができなかった世界を、少しでも素晴らしいものにするということ。
そのために今までの自分ではとてもできなかったこと、
弟との約束が原動力となって始めてやってみようと思ったことに対して、
主体的にどんどんチャレンジしていく。

そこで結果を出すことができたならば、その結果が「よく生きた」ことになるのではと。
こんばんは、whistleです。

プレジデントロイターのある記事で、10年、20年前の東大の学力は、偏差値にして現在の東大より8ポイントほど高いと書いてありました。

またその記事によると、早慶の学力はマーチレベルであるそうな。

実際のところは解りませんが、そもそもの学力って何を意味しているのか、
これをきちんと整理することなしに、偏差値=学力と位置づけてしてしまうのは早計です。

確かに一昔前に比べれば、いわゆる知識を詰め込む暗記力は下がったかもしれません。
しかし一方で、テクノロジーの進化ととも知識を詰め込むことそのものに意味がなくなってきています。

今の時代に必要なのは、知識をどう抽出し、どう加工するかです。

ちょうど英語でインフォメーションが、加工前の知識(情報)を意味し、
インテリジェンスが加工された知識(情報)を意味していますが、

今の世代に必要なのはインテリジェンスをいかにして創りだすかということだと思います。

このような観点からいえば、必ずしも現在の学生の学力が低いとは一概には言えないでしょう。

自分より若い世代というものは、いつだって未熟に見えるものです。
私も今もなお高校生の学習指導をしているのでよくわかります。

ただ議論はここでうやむやにすべきではありません。
どうやってインテリジェンスを創出する若い世代を育て上げるか、

これは教育機関や企業だけでなく、ひとりひとりが考えなければならないでしょう。
まずどういう日本人を育てるべきなのか、
ここをもっと社会全体で議論しても良いのではないでしょうか?

そしてそれらの議論は主観を捨て、確証のあるデータを元に議論される必要があります。

例えばグローバルな人材を育てるべきだと意見を持つのであれば、

グローバルな人材をと定義した上で、
これらの人材が<1000万人(労働人口の1/7)>いたとすると・・・
色々なことが実現可能になりそうです。
ここの議論をしないでグローバルな人材が必要だから、小学校から英語教育を導入しようでは、
雑すぎですね。
そこまで明確にすることで説得力もでますし、
それらをたたき台に議論を進めることもできます。


今の日本はどのような人材を育てたいのか、
何を持って学力を定義するのかをもっと議論すべきでしょう。