野球って本当に素晴らしい

野球って本当に素晴らしい

生きていくことは野球に似ている。
独立リーグ、NPB、二軍が好き。福岡ソフトバンクホークス、福岡レッドワーブラーズを応援しています。

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お久しぶりです。
久々にこの話題を書かねばと思い、PCに向かっています。

アイランドリーグファンの方はご存知かと思いますが、11/5に元・福岡レッドワーブラーズの西村拓也投手が引退を表明しました。

■本人から退団の申し出があり受理(任意引退)
<香川オリーブガイナーズ>
西村 拓也 (投手・背番号19)

そして今日11/10、元・福岡レッドワーブラーズの関口大志選手が同じく引退を表明しました。

■本人から退団の申し出があり受理(任意引退)
<徳島インディゴソックス>
関口 大志 (外野手・背番号60)

今年、元・福岡RWでアイランドリーグに在籍していたのはこの二人だけだったのでこれで全員がアイランドリーグを去ったことになります。(現在・関西独立リーグの紀州レンジャーズにいる、元福岡RWの徳永雄哉投手がまだ在籍しているので完全に消滅とはいえませんが)

2008年から続いてきたNPBにいる元・福岡RWの選手は、今はソフトバンクのキム・ムヨン投手と広島の中村真崇選手の二人のみ・・・

これも一つの時代の終わりなのでしょう。
香川に移籍後、フォームを変えてセットアッパーとして名を馳せた西村投手、國信貴裕選手が去った後、後を継いで徳島のキャプテンとなりチームを引っ張った関口選手。

お二人ともお若く、まだこれから先の人生の方が長いと思いますが、実りの多いものとなりますように。二人が魅せてくれたプレーの数々、今も鮮やかに思い出せます。
長い間、お疲れ様でした。
前回からかなり空いてしまいましたが、最終回の記事を上げます。
少し長いですけれど・・・

2009年10月29日、いつものように普通にオフィスにて作業をしているとレッドワーブラーズのニュースを知らせるアラートメールが流れてきました。

開いてみると「福岡レッドワーブラーズ今季限りで撤退へ」という記事。


2年目の観客動員の落ち込み方といい、こういう事態は十分あり得ることでした。

ついに・・・
しかし予測できた事態とはいえ、さすがに堪えました。

ほかのファンの方々にも連絡を取ったところ、今回の件でみな動揺していました。
落胆、号泣、放心状態、喪失感。

心が壊れた状態・・・というよりもう何もしたくない。できないほど落ち込みました。

この2年間はいったい私にとってなんだったんだろう。
自分の無力さ、小さな存在を改めて感じました。

何よりもファン感謝祭でファンには何一つ知らされなかった。

別れの言葉を言う機会すら与えられない。

この時、痛いほど気づきました。

独立リーグとは所詮、
スポンサー>>>>>>>>ファン
であることを。

ファンがいくらいても、お金を出している人が一番偉い。

当たり前のことなのだと頭では理解していても、心はずたずたに裏切られた思いでした。

ただ、当事者の選手たちにはもっと耐え難いことだったと思います。

スタッフさんや監督はじめ選手たちはもっと早くにこの件を知らされていたようで、ファン感謝祭の翌日には告知がされていたということでした。

ということはリーグにはもうずいぶん前に話がついていたのでしょう。

手際よく分配ドラフトの手配が終わっていたところを見る限り。
複数の人々が集合して何かを行うために、急に召集などということは決して簡単なことではないですから。

選手たちは会議で分配ドラフトにかけられ、指名のあった選手は合意に至ればそれぞれの球団に入団していきました。
当時の分配ドラフトの結果です。

しかし、残念ながらどこからも声のかからない選手も4名いました。

その選手たちは野球界にスタッフとして残ったり、就職したり、別のリーグに移籍していったりとそれぞれの道を歩んでいきました。

これほどの高い確率で指名をいただいたのは素晴らしいことだったと思います。
しかし、指名されなかった選手も力があり、その当時の球団のニーズに沿わなかっただけだと思います。
それだけレッドワーブラーズという球団が選手の質に対し、高い評価を受けていたのでしょう。

残念なニュースの中、唯一の明るいニュース。
愛媛戦で見事なピッチングを見せて猛アピールをした山田秋親投手が千葉ロッテマリーンズにトライアウトから入団が内定したという一報が11月になって入ってきました。

赤いユニフォームを着てトライアウトに臨んだ山田投手。
もうグランドでは見ることのない赤いユニフォームのプライドがファンの胸を打ちました。

赤鶯球団としてのユニフォームを公の場で見た最後になりました。


最後に。

球団として活動した期間は2年と短かったものの、初年度から2年連続で選手をNPBに送り出した功績は大きいと思います。

また、野球界にスタッフとして選手を送り出した実績も高い球団です。

ただ、球団を運営することは非常に難しい。
やってみてだめならつぶせばいいという考えには賛成できません。

だからこそ、これから独立リーグで新球団を起ち上げたい方々には真剣に考えていただきたいのです。
球団が無くなった時に傷つくの自分たちだけではありません。

福岡球団が無くなり、アイランドリーグから足が遠のいてしまったという方を何人も存じています。

自分自身も、すっかりアイランドリーグに遠い人間になってしまいました。
四国まで見に行くこともおそらくないでしょう。

レッドワーブラーズ運営会社の方は復活を前提に活動されていると聞いていますが、「復活させたい目標時期」とか「提供を受けたスポンサー基金はこのような用途で使用された」ということは報告は必要ではないのかなと思います。

夢という言葉は美しいですが、それだけでは運営は成り立ちません。
特に提供された金額は、提供された方の心です。

どうか心を大事にしてあげて欲しいと思います。

球団がなくなってからは告知や活動内容は徐々に減って、ほぼ消滅した状態になっています。

球団公式サイトもいつの間にか閉鎖されてしまいました。
公式ブログも森山元監督、國信選手、関口選手以外では更新された形跡はないようです。

活動休止以降、わーぶらTVさんが取材のブログを通じて「新規本拠地は筑後地区を想定。久留米市、小郡市、鳥栖市」と発表されたときには、ファンも荒れ気味になっていました。

これはまずい事態だと思いました。新しい地域が良くないというわけではありません。

北九州に関しては2年目はほぼ本拠地だったわけですから、それが二番手以下に落とされるなど都市としてのプライドを傷つけるようなことは好ましいことではないでしょう。

また、地方公共団体との折り合いは実は一番難しいことではないでしょうか?
なぜなら球場は私企業ではなく、多くは公的機関の所有物だからです。
球場を使わせるかどうかは彼らの手にゆだねられています。

上記の地区の役所関連とすでに話し合いができていて、受け入れる側からの発表なら問題ないかと思いますが、行く側の希望を一方的に発表では話し合いの前から懸念されることは容易に想像できます。

今のままなら自分が好きだったレッドワーブラーズはもう永遠に戻ってこない。
どこかでリセットしないと心が潰れたままになります。

楽しかったレッドワーブラーズでの日々、さようなら。
これでワーブラーズのお話は書き切りました。

同じく撤退した大阪ゴールドビリケーンズの村上監督も新球団に関してメンバーを集めたりなどの活動をされているようです。すでに関西独立リーグの準加盟も決定し、練習も行っているとのこと。

06ブルズという球団名だそうです。詳しくは村上さんのブログをご覧ください。

独立リーグの新たな動きに、今後とも温かく見守っていきたいと思います。
前回からの続き。

2009年のシーズンも終了し、四国九州アイランドリーグのあとの楽しみといえばフェニックスリーグとNPBのドラフト会議だけとなりました。

そんな矢先、球団から退団選手の発表がなされ、そのメンバーを見て愕然としました。
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【2009年9月30日付 契約解除】
清水 康広 (内野手)退団理由:本人からの申し出
トモ(増田 朋也) (外野手)退団理由:本人からの申し出
大澤 亮 (投手) 退団理由:球団より来季の契約を更新しない旨を通告
瓜野 純嗣 (捕手) 退団理由:球団より来季の契約を更新しない旨を通告
荒川 大輔 (内野手)退団理由:球団より来季の契約を更新しない旨を通告

自主退団の選手はともかく、そこそこの成績を残している主力に戦力外通告。
特に荒川選手に関しては、わたくし自身が納得のいかないものでした。
年齢的なものはあったでしょうが、間違いなくRWではトップクラスの人気選手であり、ファンへの対応の丁寧さも素晴らしく、そして試合ではチームの勝利への原動力でした。

自主退団でないということはまだ野球を続けるつもりだったととれるのですが、聞いた話によると彼からはウエーバー公示の希望が出ていなかったということでした。

それが彼自身の達観、あるいは諦観なのかかもしれませんが、荒川大輔は潔くこの世界を去っていきました。公示が出ていればわたくしは獲得を希望する球団が少なからずあったと思います。

RWのひとつの時代の終わりでした。

フェニックスリーグも終わり、10月25日はRW球団初のファン感謝祭が開催されました。
感謝祭というより一緒にレクリエーションのような内容で、選手と子供たちが一緒になって綱引きやかけっこをする運動会のようなほのぼのとしたものでした。

退団した選手が私服姿で現れていたにも気づきました。

感謝祭の終わりにはその年のポスターや選手名鑑、そしてグッズなどが配られ、最後には選手や代表からの挨拶で締めくくりました。

その時は「応援ありがとう、来年もよろしく」というようなありきたりの挨拶で何かを予感させるような印象は受けませんでした。

そう、翌日が来るまでは。
(8)に続きます。