creative thinkingの出発地点は自分が考えていることを把握することです。ところが、これは言うほど簡単ではありません。
すでに対象がはっきりして、その分析ができていることは簡単です。思い出せばいいだけだからです。
問題は「知っている」というレベルまでいっていない対象です。いや、対象が何かすら認識していないことも多く、形がなく曖昧模糊としています。
こういった意識化できていない情報は、自分が「知っている」と感じる情報よりはるかに多く、大量にあります。大量であるがゆえに、すべてを意識化はできません。無理にやればパンクしてしまうことでしょう。
しかし、その中には大切な情報がたくさんあります。それなのに私たちはそのほとんどを忘れてしまいます。重要性の低い情報は忘れて当然ですが、大切な情報であっても忘れる前に意識化できなければ忘れてしまいます。
読書などのインプットの大切さはよく言われますが、それを利用する方法に触れられることはさほど多くありません。大切なのはむしろインプットのあとです。
では、私たちは重要な意識化されない情報をどのようにすれば手にすることができるのでしょうか。
私たちの脳はそのヒントを与えてくれます。それは広い意味での違和感です。
たとえばなんとなく気になるとか唐突に特定のイメージが頭に浮かぶなどの、無意識からちょっとだけ意識にはみ出てくるような動きです。こういった情報は実は今自分がやっていることや、これからやりたいことのヒントになる場合がよくあります。
しかし、そのはみ出し方というのはほんのわずかです。ほかにやっていることがあればやり過ごしてしまいますし、あっという間に忘れてしまうものです。本当に大事なことなら繰り返し意識に出てきそうですが、残念ながらそれほど親切ではないようです。
これを知るためには、今ここには誰もいないという孤独な状態で、自分と対話する必要があります。そこで、なんだか気になること、なぜか浮かんでくるイメージをとらえ、それをとりあえずメモし、わずかなヒントから掘り起こすという作業が必要です。
こういった繊細な作業は「携帯電話でいつもメールのやりとりをしている」とか「インターネットをつなぎっぱなしでモニターの前にいる」いった状態ではほぼ不可能です。いわんや最近はテレビを見ながらツイッターや2ちゃんねるに書き込みをするといったことも流行っているようですが、そんな状態で自分と対話するなど不可能です。
自分と対話するにはネット断ちが必要です。では、そのためには何をすればいいのでしょうか。
誰もいないところで、ひたすら頭に浮かんだことをメモしいくのも有効です。ひたすらメモを繰り返して、翌日そのメモに目を通していくと、面白い発見が多々あります。
理想的には定期的に旅に出たりホテルに泊まったりして、ネットが使えない状態にすることですが、そんなことが気軽にできる人はそんなにはいないでしょう。
そこで、読書と瞑想を取り入れることをおすすめします。
読書は気軽にできるネット断ちにはふさわしい習慣です。
毎日1時間とか、土日で4時間など、決まった時間を読書に使って、その際に気になる文章に線を引き、付箋をはるなどの作業をするといいでしょう。読了して、なぜその文章が気になったのかを掘り起こしていくと、眠っていた重要情報の意識化ができる場合があります。
瞑想が自分と対話するのに有効なのは、外部を遮断し、自分というものだけに向き合う習慣だからです。
ただし、瞑想は雑念を払い「連想」を断ち切るのが1つの目標なので、瞑想自体は、とくに瞑想がうまくいく場合は自分との対話にはなりません。瞑想のあとでこれまでの自分を振り返ると、それまで曖昧模糊としていたものが明確になりやすくなります。
それは瞑想によって、自分に素直に向き合えるようになるからです。
本ブログの読者の方は、今年はぜひ「ネット断ち」を習慣にして、自分との対話の時間を増やしてください。ネットニュースより読書、テレビをネットで語るよりDVDや映画館、チャットより瞑想。
ネットの時代だからこそ、あけてネット断ちし、自分だけの時間を増やすことで強みが身につけられます。1日数時間、1週間に半日、1ヶ月に1日、ネットから遠ざかるだけです。
すべてはそこから始まります。ネットは利用するものです。依存していてはcreative thinkerなどなれるはずがありません。
(この項おしまい)
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