私は『本当のことだから』の本の中で、全てことは入り子構造になっているということについて詳しく書きました。小さい中で行なわれていることは、大きな中でも行なわれているという意味です。たとえば、原子の周りを電子が回っているのと同じ仕組みで、地球は太陽の周りを回り、太陽系は銀河系の中心を軸にして回っているというようなことも入り子構造だと言えると思います。それはすべてのことがらで言えるようで、だから、人間の身体の中で起きていることは、宇宙の中でも同じ仕組みで行なわれているといえるのだと思います。
山元加津子『宇宙(そら)の約束』P.144より
山元先生は、『宇宙の約束』の中で、
「大きな宇宙は何もかもすべてひっくるめて、全体でひとつの命・・・・・・
人だけでなく、自然や物や事柄などがお互いに補い合って、全体でひとつの命・・・・・・
そして、私たち一人ひとりを含めて、どれもが、その大きな命の大切な一部なのだと考えるのです。」
(P.74~75)とも言っています。
これらの文章を読んで思い出す聖書の言葉があります。
コリント人への手紙 第1 12章12節~27節に書かれている言葉です。
そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、
頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。
それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
コリント人への手紙 第1 12章21・22節
私は1個の人間です。そして地球規模で見たら、私は地球という生命体の1個の細胞なのかもしれません。
聖書では、「あなたがたはキリストの体であって、ひとりひとりは各器官なのです。」(27節)と言っています。
そして、「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、
もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。」(26節)とも言っています。
もし、いじめがあれば、いじめている人は自分をいじめていることになりますね。
病気になったり、けがをしたりしたら痛みを感じます。
痛みを感じなかったら・・・・・・(イメージしてみてください)
自分一人だけの幸せはありえませんね。”みんなが幸せであること”が大切です。
幸せはシェアすればするほど増えていきます。
みんなで幸せを分かち合いましょう。