こんばんは
問題の根っこを発掘・改善
して
あなたの心と人生を笑かす
直覚💛カード・カウンセラー
福の神のりこ です
今日は
今の私になるまでのお話 ~その3~
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ここまでのお話
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乳児期の拒食症・虐待からイジメまでを経て
『自分軸の確立』にいたった、私の原点
・・・はコチラ ~その1~
その1で身に着けた尊大な自信と
過剰気味な上から目線の自己主張力を膨らませつつ
プチヤンキーから優等生(?)に育ち
殺意を抱くほど、母の愛を強く求めていた葛藤の時期
・・・はコチラ ~その2~
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いきなりの余談ですが
過去を振り返る記事を書いていたら
昨夜
母が
「家を出て自由に生きるわ」と
嬉しそうに去っていく夢を見ました
置いて行かれた私は
夢の中で
「待ってよ
そんな急に言われても、気持ちも準備も追いつかないよ」
と泣いていて。
起きてからも
あまりにもハッキリ覚えていたので
夢占いを調べたら
『現状が良い方に変わる』
というメッセージだそう
寝起きは悲しい気持ちだったけど
吉夢でよかった
お母さん、ありがとう
(リアル母は何もしてないけどw)
さてさて
話は逸れましたが
本日の記事へ
高校~大学と
おそらく
友人や先輩・後輩を不快にさせる場面を含みながらも
気付くことも
悪びれることもなく
(みんなごめ~~~ん)
何とか無事に卒業・就職した私。
就職先は
ある消費者金融
いわゆるサラ金ですね
就職先に選んだ理由は
「お給料と福利厚生が良くて、休みが多いから」
またもや
理由が
めちゃくちゃチャラいッwww
※過去のチャラ理由は~その2~をご参照くだされw
そんな超絶自己中かつチャラい理由で就職した会社で
入社前に出すよう指示されたあるレポートが
ナゼかめちゃくちゃ評価され
支社の新入社員代表挨拶を任されたり、
その後のとある社内コンクールでも
(プライベートも削っての特訓の成果ではあるけど)
全国優勝したりで
私の
尊大な自信 と 過剰気味な上から目線の自己主張力は
無意識のうちに
MAXに
その後
「バリバリキャリアを築いて
定年まで働くぞ」
と息巻いて就職したその会社を
“想像していた以上に泥臭くて、精神的にツライ”と
結婚もキッカケとなって3年も経たずに退職するんだけど
私の送別会は
何と
二次会がなかったの
新入社員代表を務め
社内コンクールで全国優勝した私は
どうやら
知らず知らずのうちに天狗になり
周りに嫌われてたのネ
形式ばかりの送別会(一次会)のあと
みなさんは
“めんどくさ”
とばかりに
「お疲れさまでした~」とサッサと解散。
おそらく
私抜きで
気持ちよく二次会に行かれたことでしょう
何も気づいていなかった
オハズカシイ私は
“え?
二次会のない送別会なんてあるの!?”
なんて思って戸惑いつつ
ポカーンとしてるうちに取り残され
寂しく一人で帰途に就いたのでした
んもうね
思い出しても
穴があったら入りたいッ
って感じよ
この出来事の
反省は
正直かなり大きかった
めっちゃ今に活きてるよ
そして
そんなオハズカシイ私は
結婚生活もうまくいかず。
お付き合いから3カ月で結婚を決めた元旦那さんには
ことごとく義母と比べてダメ出しをされ
「お前はお袋のようにはできない」
「お前には分からないだろ」
と言われ続け、
(料理は得意なので)
お義母さんとほぼ同じ味のものを作ると
イライラされ、←できないハズのことをされてムカついたのね
私が仕事で遅くなると
「今日は外食しよう」と言ってくれたので
元旦那さんの優しさと思いきや
「お前はトロくさいから、この時間からメシを作ったら何時になるかわからないからな」
と言われる始末。
こう書くと
ただのモラハラ夫みたいだけど
後で振り返ると
天狗だった私が
気付かずに夫をそんな人にさせてたって一面も
(あくまでも一面ねw)
あると思うんだけどね
でもまぁ
口論になったら
旦那さんはプイと家を出ていき
帰ってきたら
右手がグローブみたいに腫れて血まみれで
聞くと
「ムカついてお前を殴りそうだったから、電柱を殴って来た」
とか危ナカッタ
義実家に泊まりに行ったら
泥酔して先に寝た元旦那さんは布団にオネショしていて
私が困ってオロオロしていると
眠ったままの元旦那さんから
憑依したっぽいおじさんキャラ(私たちのことを全部知ってた)と
退行したっぽい元旦那さんの3歳ぐらいのキャラが
交互に現れてしゃべり始め・・・
翌朝
元旦那さんにそのことを話すと
「そんなワケないだろう
適当なこと言うな」
とキレられ
(記憶もないし、きっと本人も怖かったんだろうね←今ならわかる)
他にも
元旦那さんとちょっとした口論になった義父が
台所から包丁を持ち出して来て
泣きながら目の前で自分の手を斬りつけたり、
単身赴任した元旦那さんが
「同僚がヤクザの女に手を出して拉致された。」
「飲みに行って一緒にケンカに巻き込まれた先輩が相手を失明させた。自分も拘留されるかもしれない。」
「後輩が飲み屋の女が持ってたシャブ(覚せい剤)をパクッて追われてる。」
「こっち(赴任先)にいる昔の女が、俺に振られたショックでそのあと自殺したらしく、下半身不随の車イス生活になってるから面倒見てる。」
などなど
今も嘘だったのか本当だったのかわからないことを
連日のように言い続けたり・・・。
(単身赴任だったから真偽の確かめようもなく)
もうね
一言で言って
カオスよ、カオスwww
私の天狗っぷりを差し引いても
ひどかったよね笑
今はもう
こうして書いてても
スゴ過ぎて笑っちゃうんだけど
当時
まだ20代前半だった私のメンタルは
ボロボロに・・・
そのうち娘を授かると
母の
『子供を片親にしてはダメ』
という想いに縛られていた私は
そんな状況でも
なおさら離婚の決心もつかなくなり
どんどん思いつめて
うつ状態に。
それでも
幼い娘のために死ぬわけにいかない私は
鬱で動かない身体で
ベッドからキッチンまで
ほふく前進で這い進み
床にはいつくばって
食パンを必死で飲み下して食事を摂り
(もちろん焼くことも、ジャムを付けることもなく)
何とか娘との二人生活を維持して。
と言いながら
毎晩眠る時には
「どうか、明日の朝は目が覚めませんように(死んでいますように)」
「旦那が事故でポックリ亡くなりますように」
とお祈りして眠りにつき、
翌朝目覚めると
まだ生きていることに心から落胆する日々だったの。
そんな状態を半年も続けた頃
療養のために一度娘と自分の実家に戻ることになって。
地元でメンタルクリニックに通うも
『離婚できない』という思い込みにがんじがらめになっていた私は
娘の前ではニコニコ元気だけど
それ以外は無表情・無反応のロボットのような状態になってしまったんだよね。
すると
鬱という病気をよく理解していない私の母が
私に喝を入れるつもりで
ある夜
「こんなロボットみたいな母親なら、いなくていい
私が育てるから出ていけ」
と言ったの。
そこで私は
ハッと我に返る
・・・なんてハズもなく
(鬱ってそんなことで我に返って済むようなものじゃないよね)
「もうどうでもいい」と
家にある薬を
自分に処方された精神科の薬はもちろん
風邪薬
胃薬
ビタミン剤
などまで
目に付いたものを全部飲んだんだ
OD = オーバードーズ
ってやつね。
でもその目的は
過剰服薬による多幸感なんかじゃなく
『死んで楽になること』。
よく
「死ぬぐらいなら何でもできる」
なんていう人がいるけど
それって
本気で死にたいくらい追い込まれた経験のない人の
無知で無責任な言葉だと思う。
本当に追い詰められてるときって
『死=解放』で
死のうとするときは
まるで甘美な楽園に行くような気持ち
なんだよね。
でも
私は死ななかった。
当時の感覚としては
「残念なことに、死ねなかった。」
薬を飲んで意識がもうろうとなって倒れていた私は
父に救急病院に連れていかれて
記憶にはないけれど
おそらく胃洗浄されて
助かった。
そのときの病院で
一つだけハッキリ覚えていることがあってね。
運んでくれた父が
「こんな時でもないと、できないからなぁ」って
泣きながら
私にほおずりしたこと。
夜になって少し伸びていた
父のひげが
ザリザリして頬がちょっと痛かったこと
今も
ハッキリ覚えてる。
それから数日間
実家で寝たきりで療養して
何とか日常生活を取り戻した私は
やっと
『どうすべきか?』を
ちゃんと考え始めたんだ
・・・と
ハンパない長文になっちゃったけど
ここまで読んでくれて
本当にありがとう
ここから
今のポジティブな私になるまでの
変化のお話が始まります
が。
さすがに
このまま書いたら長すぎるので
続きは次のお話にするね
今日も最後までお読みいただきありがとうございました
今日の記事があなたのハートに届いたら
一言でもコメントもらえるとめっちゃ嬉しいです
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