考えたのですが、1万キロまであと300kmほどあります。
300kmと言えば東京~浜松以上の距離、
そう考えるとちょっと勿体無い。
丁度夕方まで雨は降らないというので、
以前から行きたかった茨城の逆井城跡に行ってきました。
印西からの国道356号、294号は住宅地の対面通行道路。
アベレージは上がらないし、追い越しはできない。
信号で前に出るくらい、ツーリングという気分ではありません。
坂東市に入ってやっと郊外らしい道になったのですが、
今度はセンターラインもない幅員(苦笑)
ナビが無かったら、道を間違えたと思うでしょうねぇ。

森の中に入ってさらに細い分岐に入って行きます。
まだ工事中の現場を通り過ぎて到着です~。

この逆井城は、古城跡の遺構と北条流最先端築城術を駆使した遺構とが
重なりながら残る城として、400年余り、この片田舎の地に、
ひっそり眠り続けていました。
特に、昭和57年以降の発掘調査と入念な時代考証を反映して、
戦国期の城郭をイメージした模擬建築物が建ち並んでいるのが
このお城の最大の見所です。
なかなか言葉やイラストだけではイメージすることが難しい、
「中世城郭」の雰囲気をみごとに再現しています。

二層物見櫓(右)と井楼櫓(左奥)。
二層物見櫓は初期望楼様式を伝える二層3階の櫓で、天守の原型です。

二層物見櫓と大手虎口門につながる大手橋。
物見櫓には中に入ることができます。

二層物見櫓からの眺望。右手に見えるのが本丸殿社。

井桜櫓。これも登ることができます。

井桜櫓の下から物見櫓を振り返って見る。
板と土塀、土塁がリアル。
この時代、関東の城は石垣が無かったのです。

本丸へ入る門は下総関宿城の城門を移築した本物。
二ノ曲輪はこういった建築物の野外博物館の様相です。

本丸殿社。堀之内大台城(茨城県潮来市)の発掘遺構を
もとに復元したもの。中に入れます。

中の様子。二間になっていてこちらが主殿ですね。

こっちは控えの間。板の間になってます。

枯山水の庭から二層物見櫓を望む。

観音堂。大安寺(茨城県岩井市)にあったもので、棟札から、
天正16年(1588)の上棟後、幕末の弘化2年(1845)に改築されたもの。

東二ノ曲輪から一曲輪(本丸)への櫓門と橋。
発掘調査の成果(遺構)をもとに復元されている。
遺構保存のため、本来の位置よりずらしてあるという細やかさ。
櫓門の両側に土塁があって、橋より高くなっていることに注目。

この折れ曲がった土塁が横矢狭間。
敵の側面から攻撃できるようになっているわけです。
まだまだ見所はいっぱいなんですが、絵柄的に地味なので(笑)
いかがでしょう。
千葉城みたいにありもしなかった天守をおっ建てるよりは、
極力戦国当時のお城の姿を忠実に再現しようとしたことは、
非常に高く評価していいのではないかと思います。
ご近所の本佐倉城址も城址の公園化という事業を考える上で、
参考にしていただきたいと思いました。
石垣や鉄筋コンクリートの天守より予算もかからないでしょうしね。
この後、往路を戻るのは嫌なのでお昼時でもあるし、
筑波に向かって、サイファさんオススメのつけ麺屋さんに向かいました。
が、1時を過ぎているのに店の前に行列が・・・。
腹が減ったのであっさり断念して、近くの蕎麦屋で昼食。
しかし、せっかく筑波に来たのだから関口醸造のおせんべいを
お土産に買って帰ります。

でも支店には割れ煎は売ってないのね

予定より遅くなったので、帰りは常磐道~圏央道を通ってバビュン。
120kmで巡航していたら、ハーレー軍団に追い越されてしまいました。
たぶん130~40kmくらいで走ってたんじゃないかな。
最近のハーレーは速いのね。。。

本日の走行距離、206.9km。燃費30.6km/L。
最後の高速走行で燃費が悪化しましたねぇ。

総走行距離も9900kmを超えたので、
来週あたり消耗品の交換ですね。
最後まで読んでくださったあなたに、全てのよきことが雪崩のごとく起きます。
