先日、放送された大河ドラマ「べらぼう」。

ついに、田沼意次が失脚。

そして、松平定信が、老中、しかも、首座に、就任という話。

 

さて、気になったところを、いくつか。

 

一つは、松平定信が、「読売」(瓦版)を使って、自身の良い評判を、江戸市中に、広めようとしていましたね。

この「読売」については、以前も、書きましたが、いわゆる「瓦版」も「読売」で、その「瓦版」を売る人も「読売」です。

つまり、「読売」が、「読売」を売っているということ。

 

この「読売」(売る人)ですが、ドラマの中でも、いつもの時代劇と同じような感じの人が、「読売」(瓦版)を、売っていましたね。

しかし、以前も紹介した本によれば、「読売」(瓦版)は、非合法出版物です。

そのため、「読売」(売る人)は、覆面をして、二人一組で売るのが、基本だったようです。

 

ネットで探すと、こういう写真がありました。

顔を隠し、二人一組で、「読売」(瓦版)を売っている。

 

そして、有名な「狂歌」が、登場しましたね。

 

「世の中に、蚊ほどうるさき、ものはなし、ブンブと言うて、夜も眠れず」

 

これは、「世の中に、これほどうるさいものは無い。文武と言って、夜も眠れない」と、松平定信の「寛政の改革」を批判したもの。

この狂歌は、当時、大田南畝が作ったものという噂があったそうですね。

しかし、実際は、大田南畝の作ではないよう。

 

大田南畝の作ではないとすれば、誰が、作ったのでしょう。

後世の歴史の教科書にも掲載されるのですから、まさに、名作ですよね。

 

政治批判が、公に出来ない時代、こういった、政治を批判する「落書」と言われるものが、度々、世間を騒がせたよう。

特に、有名なのが、南北朝時代、後醍醐天皇の「建武の新政」を批判した「二条河原の落書」です。

「この頃、都に流行るもの。夜討、強盗、偽綸旨」で始まるもの。

これもまた、歴史の教科書に掲載されている。

落首の中の、名作中の名作。

 

さて、田沼意次と親しかった蔦屋重三郎は、出版物によって、新たな権力者、松平定信を攻撃しようと計画する。

しかし、その中で、大田南畝は、一旦、筆を断ち、山東京伝は、処罰を受ける。

恋川春町は、幕府に目をつけられるなかで、死去。自殺という説もあるようですが、ドラマの中では、どう描かれるのか。

 

やはり、「言論の自由」が無い時代、文筆で、権力と戦うことは、難しい。

やはり、「基本的人権」は、大切だと思うのですが、最近、日本では、安倍政権、管政権で「公平公正」を理由に、「報道」つまり「言論」に、圧力を加えようという姿勢が見えた。

今後、日本は、どうなるのかと思っていたのですが、その後、岸田政権、石破政権と、その傾向は、薄まった気がする。

次の政権では、どうなるのか。

社会、政治の右傾化が進む中、心配なところ。

 

さて、政治批判をするものに「狂歌」「落首」の他に「川柳」というものがある。

 

有名なのは「役人の、子はニギニギを、よく覚え」というもの。

この川柳は、「役人の子供は、親が賄賂を受け取っているので、その子供は、お金を握るのを、よく覚える」という「賄賂政治」を批判するもの。

 

これは、田沼意次の「賄賂政治」を批判したものと言われていますが、果たして、それは、事実なのでしょうかね。

 

かつては、「田沼意次」=「賄賂政治」ということで、「田沼意次の政治」は、「悪政」というイメージがあった。

しかし、今では、当時、「賄賂」というものは、社会の習慣として、当たり前に、やり取りをするものだったという認識で、田沼意次だけが、賄賂を貰っていた訳ではない。

そして、賄賂を送ることも、貰うことも、当時の社会では、常識的なことで、賄賂を送らない、受け取らないということは、むしろ「非常識」として、非難をされたのではないでしょうかね。

 

ドラマの中でも、描かれていましたが、「田沼意次」=「賄賂」というイメージは、松平定信の政権になってから、田沼政治を否定するために、作り上げられたもの。

そう考えれば「役人の、子はニギニギを、よく覚え」という川柳は、田沼意次が政治を行っていた時代に、作られたものとは思えない。

 

さて、この「川柳」というものを、収集し、研究の対象にした最初の人物が、「宮武外骨」だったと、この本に書かれていました。

 

 

宮武外骨もまた、徹底的に、権力批判を続けた人。

最近、玉野市の市立図書館で、宮武外骨の代表的な出版物「滑稽新聞」を、見つけました。

パラパラと見てみると、やはり、現代人には、なかなか、読みづらいものでしたが、取りあえず、時間を掛けて、全てに、目を通してみようと思っているところ。

 

さて、石破総理が、対陣という話。

ここで、一句。

 

「顔だけを、代えても元の、自民党」

 

誰が総裁になろうが、結局、自民党は、変わらない。

と、言うことになるのではないでしょうかね。