さて、宮武外骨「滑稽新聞」は、第二巻に入りました。

 

 

第40号の辺りまで、目を通しましたが、気になったのは、やはり、解説の方。

 

当時、どうも、社会では、女学生の「風俗の乱れ」が、大きな問題になっていたようですね。

この「風俗の乱れ」が、具体的に、どのようなものを指すのか、具体的な説明が無かったので、その点は、よく分かりませんが、「滑稽新聞」に書かれていた内容などから、やはり「性」の乱れ、と、言うことになるようです。

面白いのは、どういう経緯で、そのようなことになったのかという説明は無かったので、その点は、また、分からないところなのですが、女学生が、学校で使う教科書に、「四つ目屋」というお店のマークと同じものが掲載されていたとして、大きな問題になったそうです。

この「四つ目屋」とは、今で言うところの「アダルトグッズ」を売るお店だったそうで、これは、確かに、問題でしょう。

 

さて、この解説を読んで、個人的には、気になることが。

 

恐らく、一般的なイメージとしては、昭和、戦争の頃まで、「男女七歳にして、席を同じゅうせず」などの言葉があるように、男女、風紀には、かつて、日本社会は、厳しい環境にあったと思っている人が、多いのかも知れない。

しかし、日本の社会というものは、はるか昔から、昭和の中頃までは、この「性」に関しては、かなり大らかで、その点からすれば、「性の乱れ」と言っても、あまり、ピンと来ない。

ちなみに、民俗学の中で、柳田国男は、この「性」に関する問題に触れなかったそうですね。

そして、この問題を扱った民俗学の面白そうな本を見つけたので、読んでみようかどうか、考えているところ。

 

話がズレましたが、やはり、「女学生」ということで、当時の「女学生」とは、やはり、社会的身分の高い人の家の娘だったのでしょうから、庶民のような、「性」に対して、大らかな雰囲気ではなく、厳しく、社会的身分の高い、品位ある女性としての教育を求められていたのでしょうかね。

 

ちなみに、後に、民俗学者として高名になる「折口信夫」は、無名の時代から、宮武外骨と、親しく交流があったそうです。

 

さて、次は、「滑稽新聞」と、警察との対立の話。

 

当時、大阪の警察署は、東署と西署があったようで、この大阪の西署の方が、「滑稽新聞」に広告を掲載している会社に、嫌がらせを行っていたそうです。

これに対して、「滑稽新聞」は、記事の中で、警察を攻撃。

この記事に対して、大阪の西署が、「滑稽新聞」を、裁判に訴える。

この「滑稽新聞」と、大阪の警察との対立は、西署だけではなく、東署も巻き込んで、大きな騒動になったそうです。

権力を相手に、徹底的に戦うのは、宮武外骨の信条。

 

そして、意外に思ったのが「すたすた坊主」に関する記事があったこと。

 

この「すたすた坊主」、知っている人が居ますかね。

 

この「すたすた坊主」とは、江戸時代に存在した、大道芸をして、お金や食べ物を貰う乞食坊主のこと。

ネットで調べると、江戸時代の後期には、集団で居住し、歌を歌って、踊り歩いたり、裸同然の格好で、店先に立って芸をしてお金を貰ったりして、生計を立てていたそう。

寒中に、裸で縄の鉢巻きをし、腰にしめ縄を巻いて、扇や錫杖を持ち、歌い踊って金銭を貰った乞食坊主、と、言う説明もあります。

 

こちら、江戸時代の禅僧、白隠の描いた「すたすた坊主」です。

 

明治時代の後半になっても、まだ、存在していたのでしょうかね。