香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-河
(サラワク川沿いに建つホテル)

2009年12月15日

5月に引き続き、マレーシア、サラワク州都である

クチンに来ました。

昨日、到着し、2日目ですが、黄さん宅で、昼、夜と

ビデオ御法話でした。

黄さんは、身体に障害のある子供さんを世話され

ながら、商売もしておられ、本当に大変ですが、

私が明日16日、早朝にシンガポールに戻る為、

末っ子の高校生の息子さんと二人で、夜12時まで

かかりましたが、一日分のビデオ御法話を聴聞され

ました。

当然ですが、日本語ではなく、中国語吹き替え版を

聞かせて頂きました。

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ここでマレーシアについて、若干説明します。

マレーシアは、クアラルンプール等があるマレー半島側

と、ボルネオ島側の二つに分かれています。

シンガポールは、マレー半島の先端にある500万の

都市です。そこから640キロの海を隔て、ボルネオ島が

あります。ここはオランウータン(猩猩)の生息地として

有名で、高森顕徹先生の「白道燃ゆ」の中の『ハエと人間』

の中にも、紹介されています。

その中の原住民とは、イバン族であり、今でもクチンには

かなりのイバン族の人達が住んでいます。

華僑の人達は、19世紀に中国から移り住んできたようで

今では、4世、5世になっています。日本からブラジル等の

南米に移民した人が多かったように、東南アジアに移民

した中国人は多く、マレーシア(人口2千万人余り)だけ

でも現在、300万人の人が住んでいるとのことです。

中でも、シンガポールは、華僑が海外につくった国と言え

ますが、現在、東南アジアにはこのような華僑が

合計2000万から3000万人、住んでいると言われて

います。



香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-サラワク河

香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-クチン街5

以下は、ボルネオ島、サラワク州クチンの紹介です。

サラワク州の州都“森の都”クチンは河口から
約40kmのサラワク川に広がる、約45万人の都市。
19世紀にはイギリス人のジェームス・ブルックがラジャ(王)
として統治していたこともあり、街の中心を流れるサラワク川
沿いには今も数多くのコロニアル様式の建築物が美しい
街並みを形成している。 クチンとはマレー語で「ネコ」と
いう意味。世界有数のネコ博物館がある他、街中には
数多くのネコのオブジェがありクチンで暮らす人々に
愛されている。クチンの中心は川の南岸に広がる
東西600mほどのエリアでホテルや商店もこのあたりに
集中している。川辺には遊歩道が敷かれ、ローカルも散策
しにくる憩いの場となっている。
(http://www.trips.com.sg/より)

香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-議事堂

(チャイナタウン撮影)


香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-チャンギ空港

2009年12月14日

この日、朝、まる3日間滞在したシンガポールを離れ、

マレーシア、ボルネオ島のクチンへと向かいました。

上の写真は、シンガポールのチャンギ空港内ですが

ここは世界一の評価を何度も受けている有名空港

です。インターネットも簡単な手続きで、6時間無料

でした。一日いても飽きない空港と言われるだけあり、

無料の映画館やゲーム施設もあるとのことでした。

※16日にマレーシアからここに戻り、ひどい目に

 あうのですが、この時は、知るよしもありません

 でした。


ボルネオ島クチンへの航空券はJJSGさん手配でした。


実は、今回は特に急なことで、12月8日の午後に

シンガポール行きの話が出て、9日に決定し、午後に、

名古屋~シンガポールの航空券を手配したのです。

とにかく、その後の予定は、現地へついてからか、と

9日夕方、名古屋へ移動、翌日10日、日本を離れた

のでした。

13日のテレビ座談会以外はすべて未定でした。

それで、11日にシンガポールについてから、再度、

クチンの前回、家庭法話をさせて頂いた何さんに電話

するとやはり、今回は何さんは15日の夜まで、遠方へ

出張の為、また私が16日朝には、シンガポールに

戻る為、法話は時間的に無理と言われました。

15日の夜遅くしか時間がない為です。


12月12日、再度、電話し今回は取りやめます、と言うと、

「そんなこと言わず、黄夫人に連絡を取って下さい!」

と言われるではありませんか。

早速、今は亡き御主人がかつて福井大学に留学して

いた、黄夫人に電話すると、「短くてもいいので、是非、

来て下さい!」と、言われたのです。

そこで、クアラルンプールに行き、学徒の家族に会う予定

を再度変更し、今回は御縁がないと思っていたボルネオ島

に、黄夫人の一言で行くことになったのです!

その間、JJSGさんが、ネットで一番有効に時間を使える

パターンを何度も、考え、航空券をシュミレーションして

下さったのでした。

JJSGさん、本当に有難うございました。

香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-エアアジア1
JJSGさんと二人で、悩みに悩み、クアラルンプールにも

と、何度も考えましたが、結論は、時間に限りがあるので

聞法心の強い人を優先すべきと心が定まりました。

おかげで、二人で、自宅から会社までの道のりを一緒に

歩き、その日は、万歩計は18000歩を越えました!

あまりに遅いので、心配した奥さんから電話が入った

程でした。(笑)


話を元に戻します。

東南アジアの新興航空会社として有名なエアアジア便

が、シンガポールからクチンには、毎日1往復飛んで

いました。他の選択肢はなく、昼過ぎにクチン国際空港に

7ヶ月ぶりに降り立ったのでした。
香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-エアアジア2


出迎えてくれたのは、11年前、私の寺での法話に参詣し、

5月にも再会した黄さん母子でした。

香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-クチン街2

この日の夕方から、黄さん宅で、王舎城の悲劇中国語版

を上映。

最後まで見せて頂き、弥陀の本願について話しました。


香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-マーライオン2
シンガポールの番人?マーライオン像


2009年12月13日

この日はシンガポールで初のテレビ座談会の日

でした。

時差があり日本より、一時間遅いので、日本時間

9時ならシンガポールは8時。

香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-下田1
12月13日朝、JJSGさん宅からの風景(29F)

日曜の朝は、皆、遅くまで寝ていたいし、どこの国

にも時間にルーズな人がいるので、昨日、

「行きますよ!」と笑顔で別れたイブリンさん

でしたが、早い時間なので大丈夫か、心配でした。

案の定、約束の20分前、JJSGさんの携帯が鳴り

ました。ひょっとしたら都合が悪くなったのか?!

一瞬不安がよぎりました。

しかし、次の瞬間、その私の疑いはきれいに晴れ

たのでした。

もう、JJSGさんのコンドミニアム(高級マンション)

の真下にあるMRT(電車)の駅についたというでは

ありませんか!

真面目な彼女の姿が、ここでも分かりました。

かくして、イブリンさんは北京語の同時通訳で、

午後3時(日本時間4時)の終了まで、疲れた様子も

全く見せず、真剣に聴聞されたのでした。

仏縁深い彼女の姿には、JJSGさんと共に驚くばかり

でした。

この様子を、日本で同時に参加していたマレーシア

華僑の学生さんに伝えると、「彼女は白紙状態。

乾いたスポンジとも言えますね。」とのことでした。

夕方は、JJSGさん御夫妻に、イブリンさんの歓迎会と

翌日14日にマレーシアに旅立つ、私の歓送迎会を

して頂きました。

シンガポール初のテレビ座談会の御縁にあえた、互い

の仏縁を喜ばずにおれませんでした。


香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-下田2