2009年12月16日(水)

朝8時発のエアアジアで、ボルネオ島クチンから、

シンガポールに戻りました。

640キロの海を渡り、ボルネオからマレー半島最先端の

シンガポールまでの飛行時間は、1時間20分。

トラブルもなく快適な空の旅でした。

空港では、JJSGさんが、平日なのに、わざわざ休みを

取って、出迎えて
下さいました。タクシーの中では、

当初、一緒にボルネオに行くことも考えていたJJSG

さんでしたので、そのことも含め、色々とお話しでき

ました。

香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-コンドミニアム
(JJSGさん宅ベランダから:右上がウエストモール)

その後、大きいトランクを置かせてもらって

いましたので、JJSGさん宅に取りに行き、昼食をすぐ

そばのウエストモール内のフードコートで頂き、午後、

再び、シンガポール国際空港「チャンギ空港」に

戻りました。

これから、香港へ向かいます。

ところがここでトラブル発生\(゜□゜)/

実は朝、シンガポールに着いた時点でキャセイ航空

からメールが届き、午後4時25分発が、5時40分に遅延

になるとのことでした。

5時頃、出発ゲート前に着くと、多くの乗客が集まって

いました。

ところがまた異変が?

パイロット達が、飛行機から降りて来たのです。

まもなくアナウンス、「飛行機の故障で、午後7時に今後の

ことを案内します。」とのこと。それを聞くと同時に、かなりの

乗客が
カウンターに殺到。

「夜、大事な用事が入っているから、他の便で、すぐに香港

に行きたいが他の会社の便でもいいから用意してくれ!」と

多分、言っていたと思います。

(;^_^A 

実は、私もこの日の夜、香港の光寿中心にて、友人の講師の

法話が開かれているので、少し遅れて到着し、皆さんと旧交

をあたためるつもりだったので、カウンターに向かったのです

が、人が多過ぎて、航空会社職員も対応におおわらわ

でした。午後5時40分に遅延と連絡があった時点で、もう

法話には間に合わず、御縁ないことは分かっていたので、

他の人に譲りました。

この人達は、アメリカン航空の別便で行ったようでした。


午後7時、再びアナウンス。

「機体の故障は修復不能、キャセイ航空の他の便が

シンガポールに到着したら、その機材を使って、香港へ

向かいますので、もうしばらくお待ち下さい。

アポロジャイズ、
アポロジャイズ。

午後8時15分発に、別のゲートから出発とのことでした。

200人程が、またぞろぞろと移動しました。

2009年のエアライン・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、今年、

世界の航空会社の中でナンバー・1の評価を獲得した

そうですが、年末にこんな状態では、不満を言いたく

なりました。
\(*`∧´)/


しかし、考えようによっては、乗客の安全を第一に考えて

のことであり、それだけ責任をもって、運航しているという

証ですから、やはり、ナンバー・1ですか!



(^-^)/






香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-郵便局
(イギリス統治時代の郵便局)

2009年12月15日(その3)

5月にマレーシアにて初めて家庭法話をさせて頂いた

何さんは、今回、出張で不在でしたが、この日、夜10時に

クチン国際空港に帰ってこられました。

何さんが御縁ないなら今回は、クアラルンプールに行こうか、

と思っていた時、「黄さんがいるじゃないですか!是非、来て

下さい。」とクチン再訪をプッシュしてくれた人です。

私が明朝、シンガポールに帰ると知り、疲れておられる中、

夜10時半過ぎに、黄さん宅に来られました。

再会を喜び、それから、黄さん母子と、4人で遅い食事に

出かけ、ビデオ御法話の内容等、色々と話をしました

香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-クチン有縁の人
(メニューを見ているところ)


香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-冬粉

魚団子や厚揚げの入った「冬粉」を頂きました。

冬粉の日本名は、「はるさめ」です。

美味しかったですね。それも一杯約90円でした。

クチンは、マレーシアでも物価が安いことで有名です。

('-^*)/


香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-クチン川沿い
(サラワクリバーサイドストリート)

香港から世界のChina townへ(浄土真宗親鸞会講師の記録)-黄さん母子

2009年12月15日(その2)

丁度11年前の、1998年12月、とても元気だった黄夫人の

御主人が51才で、急逝されました。かつて福井大学に留学、

当時、日本企業の現地法人の人事責任者をしておられた方

でした。その時、寺での私の法話に合計8日間、すべて参詣

されたのが、黄さん御夫妻でした。

長女は、アメリカ、ニューヨークのハイスクールに留学中、

次女と、障害があり起き上がることさえできない長男と、

当時5才の次男の、4人の子供を残して、無常の風は容赦

なく、吹いたのでした。

11年ぶりに、再会したのが、今年5月でしたが、黄夫人の

たくましさには、敬服します。

長男の世話の為、2時間と家をあけられず、大変な中、

商売をされ、長女は、クアラルンプールの大学で博士課程

に学び、次女は、モスクワの医科大学へ留学、次男は、

黄色の服を着ている黄少年ですが、とてもたくましく

なっていましたが、大学受験を控えています。


今後、3人の子供が同時に学生になる時が2、3年続く

とのことですが、誰かから援助があるわけでもないのに、

女手一つで4人を養っておられるのです。

先祖は、海外に渡った華僑の中でも最も多い広東人との

ことですが、本当にすごいと思わずにおれませんでした。

その中、毎日、多忙を極めている中、高校生の次男にも

すすめ、午後1座、夜にも1座、合計1日分、真剣に聴聞

されたのでした。  (*^o^*)