先日ニュースでカナダの高校生にアンケートをとったところ約1/3の生徒が大麻をしたことがあると答えたそうです。
あまりにも高い数字にほんまかいな、と信じられませんが、以前書いたようにカナダは大麻は合法です。

旦那の家族は一人残らず経験があるし、現在の首相も昔はやっていたと認めています。まあだから合法化を推進したんでしょうが。

娘もできればやってほしくありませんが、やるでしょう。
合法な以上、ある程度大きくなったら親でも強く言うつもりはありません。タバコやアルコールほど害はないと言われていますし。

一方で日本のニュースで芸能人が沢山捕まっています。

教育や価値観の違いって本当におそろしいですね。

でもそれを認めて受け入れる大きな人間でいたいものです。
この10年、多少お給料が安くても頑張ってこれたのは今の仕事が大好きだったから。
今の会社を家族のように思っていたから。
そして人材重視を掲げているこの会社を誇りに思っていたから。

この半年ほどで長年一緒に頑張ってきた人たちが何人かクビを切られました。
収益はさほど悪いわけではありません。
仕事はそれなりにきちんとしてきた人たちだと思います。でも自分の仕事に誇りを持っている人たちで時おり上司とやり合うことの多かった人たち。

色々な意見が出るから会社は良くなる。
でも最近は管理者の独裁制を感じずにはいられません。
会社は従業員のモラルの高さでパフォーマンスが決まります。
今後の会社の行く末が不安です。
私のモラルは降下し続けています。


今日はカナダの第一次世界大戦終戦記念日です。
戦場に赤いポピーの花が咲いていたことから、ポピーの花を胸につけ平和のを祈ります。

カナダにきて11年。
第一次世界大戦は日本とカナダは同盟国だったものの、第二次世界大戦では敵。
カナダの兵士をサポートするポピーの花をどうしても買うことが出来ませんでした。別に敵だと思っていたわけではありません。亡くなっていった日本兵士に申し訳なく思っていたのです。

今回、そのセレモニーで、機会があって娘の学校で平和を象徴する言葉を日本語で全校生徒に紹介する機会がありました。
セレモニーでは原爆の像でもある佐々木貞子さんが紹介されました。

セレモニーのあと、年配の女性の方から、「戦争といえばホロコーストが取り上げられるけど、日本でもこんなことがあったことは以外にも知られていないからこうやって紹介されたのはよかったわ」と声をかけて頂きました。
貞子さんの紹介は学校側が計画したものだったから、当日まで私も知らず、私が誉められるものでもないのですが、嬉しかったです。

これまでこだわってポピーを買うことができなかった自分を恥じました。

戦争のない平和な世の中を心から願います。


さて前回に引き続き、人生について考えたいと思います。
生きる目的が幸せであるとすれば、ではその幸せとは一体何なのか。

前回紹介したサイトの運営者の言葉を引用すると、「幸せ」という言葉は手錠から来ているそうです。
これは昔、万里の長城を建設する際に戦争で捕虜にした人に長城を見守らせるということで柱に生き埋めにしたそうです。
でも中には生き埋めにされず手錠で繋がれ奴隷として扱われた人もいた。奴隷になった人からすれば生き埋めにならずに「幸せ」だった。ということからだとのこと。

これが本当だとすると、いつの時代も人と比べることでしか自分の幸せを見いだせないなんて、人間というものは何と醜く愚かなのだろうか、と感じました。

人と比べる幸せはキリがありません。
だって上には上がいるし、ある分野は自分のほうが優れていても別の分野は向こうのほうが優れているかもしれない。
人それぞれ個性があるようにそんなもの比べようがありません。

では人はどんなときに真の幸せを感じるのでしょうか。

最近、疲れているのか、イライラしたり、人と比べて自分の位置を確認したりしてしまいます。

そんな自分がすごく嫌で無性に煩悩を消したい、俗世を捨てたいと強く感じることがあります。

 

で、いろいろ調べてたどり着いた一つのサイト。

true-buddhism.com という仏教学のサイトです。

 

もともとお寺が大好きで、子供が成長し、夫が先だったら出家もいいなと考えています。

そんなときに出会ったサイト。

 

そこには史上最大の大富豪も歴史上の偉大な人物も、どんなに富や名声を手に入れても死を目の前にしたときは皆後悔しか残らなかった。では、人は何のために生きるのか。幸せとはいったい何なのか。というとてつもない大きいテーマに取り組んでいます。

 

私は20代のころ、インドを訪れて激しいカルチャーショックを受けました。

厳しいカースト制度のなか、毎日ある家族に仕え、夜は一人で床で寝る女の子と1週間を共にしました。

何がショックだったかというと、彼女がとても幸せそうだったから。家族と離れ、10歳という若さで一人裕福層の家庭に仕え、食事も寝床もすべて冷たい床の上。でも、彼女は幸せそうだった。だって、彼女からすれば屋根のある場所で眠ることができることはそれだけで幸せなことだから。

彼女だけじゃない。インドの国全体が活気があり、皆幸せで目がキラキラしている印象を受けました。

 

それ以来です。私が一切物欲を感じなくなったのは。

 

さて、話は戻り、人はなぜ生きるのか。

お金が人を幸せにしてくれるわけではないのは明らかですが、功績や努力ですら空しく感じるのであれば、人は何のために生きるのか。

 

私は思うのです。毎日を一生懸命に突っ走るのも人生。毎日が楽しければいいとのんびり過ごすのもまた人生。

何を幸せと思うかは人それぞれ。自分にとっての幸せとは何なのかを見出し、インドで出会った彼女のように、この世に生を受けた1分1秒を無駄にせずに精いっぱい幸せを感じることが私たちの生きる意味なのではないでしょうか。