本当の自分で生きる女性のためのガーデンセラピスト、

城月佳子(しろつき よしこ)です。

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自己紹介は

こちら

 


30過ぎまで


自分への自信

ゼロどころか、マイナスの

ウジウジ人生クマムシくん


摂食障害にまで落ちて、


そこから

「生まれ変わっても私が良い!」

自分を大切に生きられるようになり、


誰かの役に立ちたい!

起業を目指すまでになった

私のストーリー指差し


そんな私が魂こめてつくっている

自分とつながるワークはこちらから友だち追加




  生きづらかった子供時代

昭和55年生まれ。


横浜の自然豊かな旭区という場所で育った。


父、母、姉、私、弟の3兄弟、5人家族。


兄弟は仲良し。



芸術やアートが好き、

管理栄養士で料理上手、

感性豊かな母。


とにかく、

現実的、堅実的。

家ではいつも仏頂面。

ベビースモーカー、

サラリーマンで技術者の父。


お互いタイプの違う両親は、

時とともに、

不仲になっていき、


離婚までは至らずとも、

私が高校の頃には

家庭内別居に。


と、

そんな環境で育ちました。



でも

3才くらいまでは

わりと日々楽しく生きていた感覚があります。

↑かわいすぎるわたし目がハート(母目線)



幼稚園に入ったあたりから、


“友達関係がなんとなく苦手“

と感じ始めまして。



自分の気持ちがうまく伝えられなかったり、


友達や周りの目を気にしてしまったり、


自分が周りよりできないことに敏感だったり。



常に

周りにアンテナを張り、

周りの様子をみて振る舞っていた気がします。



記憶にあった

そのきっかけのエピソードは、


女友達との喧嘩。



その子と、

土のお団子作りにハマっていて、


連日、

お団子を

園庭の端っこに隠しながら

大きく、ツルツルにし続けていたのだけど、


その過程の中で、


何かがあって


その子が怒ってきた時があって。

(詳しい内容は覚えてない)



その後、数日

その子とギクシャクなった時に、


私にとっては


それがショックで、

どうしたらいいかわからなくて、

辛くて、

怖くて、、、。。。


そこから

幼稚園で、


人との関わりに

なんとなく距離を置くようになったり、

ストレートに伝える事を控えるようになりました。



何かできないと

どうしよう〜って

軽いパニックみたいになって

泣きじゃくってた記憶もあり。


そんな子でしたね。


いわゆる


敏感、繊細ちゃん。


でした。

↑こんなにかわいいのに!笑


さらに

怖がり屋。


そのフィルターをセットして

前半人生を生きていました。


  自分軸ゼロからマイナスへと落ちていった 小中高


丸ブルーその性質をそのままに、

小学校時代は、


みんなよりできてない気がする自分、


うまくやれていないと感じる自分、


馴染めない自分



というイメージを

(勝手に)大きく膨らませ、


どんどん自分への信頼•自信を失っていきました。真顔


高学年であった、

軽い仲間はずれなども

私にとっては大ダメージ!!


胃が痛くて仕方なかった。



さらに

小学校に上がる前くらいから、

両親の不仲が加速。


父が仕事で不在がちだったので、


ワンオペ三児育児で大変な母に

そんな相談などはできない。


むしろ、


母親を助けてあげなきゃ、


お母さんに認めてもらえるように、

もっと頑張んなきゃ、


と、


兄弟の中でも、

運動も勉強も

それなりの結果を残したりもしていました。


でも満たされることはなく、


「これで私、大丈夫だよね?」


拠り所がないまま進む日々でした。



丸ブルー中学の頃も、


「とにかく頑張れば、

この気持ちを抜けられる!

どうにかなるはずなんだ!」


と、


テニス部の部長をしたり、

普通に受験をしたり、

友達と遊んだりと、


やっていたけれど、


周りと比較しての

劣等感がすごくて、


私より周りの方が合ってるんだろうなぁ、


私の選択より、他人の選択の方がいいのだろうな、


私の意見より、周りの意見の方が価値があるのだろうな、


と、


本当にいつもそう信じてて、

自分に価値を感じられなくなっていました。



集団行動のバスの中では、

辛すぎて

寝たフリ。


友達の集まりも

特に、

大人数だと

自分の存在は

あってもなくてもいいと

スッカリ信じているくらい。



丸ブルー高校の時は、




自分で否定してる自分を隠すように

振る舞って、


自信があるように見せたり、


できるように見せたり、


外見とかも工夫して、

進路も周りと同じように進学を選んで、

同じように過ごして、


馴染んでる風に頑張ったりと、


自分としてやれること

全部やって、

頑張っていました。



親なんかは、

楽しそうに高校ライフを送っているなー

思っていたんじゃないかと思う。


でも

その方向性は、


自分の内側では

裏目裏目で


本来の自分との繋がりは

途絶えていく一方。


いや、そうだよね。

だって

自分の本音、

やりたいことで進んでないんだもの泣くうさぎ


相変わらず

友人関係も言いたいことが言えぬまま、

うまくいかないこともしばしば。


ずーっと

心は満たされることなく、


鉛を抱えたように


胸に何か突っかかってる体感があったり、


この頃から、

声がうまく出せない感じにもなりました。



そんな流れの中で

生き延びるために、


私の場合は

自然にヘルプを出してもいたのですよね。


自然に触れると

そういう全部から離れられる感じがして

すごく安心して。


↑父が海人だったので、よく海辺へ。



母親と兄弟との、


原っぱへの散歩の時間が

何より好きでした。照れ


シロツメクサで色々作ったり、クローバークローバークローバー


ぼーっとしたり、


田舎育ちの母が

植物の名前を言いながら歩くあの時間が。


何より

そこでは

自分に還れた。おねがい



とはいえ、


そんなこんなで

摂食障害の20代へと突入してゆきます〜!


次回へ続く。。

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自然とつながることを通して
主に同世代のアラフィフ女性が
自分らしく生きてゆくサポートをしています。


以下ぜひチェックしてご利用くださいおねがい

お会いできるのを楽しみにしてまーす!